メタバースはテックジャイアントの支配構造を強化する―『メタバースは革命かバズワードか~もう一つの現実』by岡嶋裕史
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メタバースはテックジャイアントの支配構造を強化する―『メタバースは革命かバズワードか~もう一つの現実』by岡嶋裕史

3章① なぜ今メタバースなのか?

光文社新書編集部の三宅です。

岡嶋裕史さんのメタバース連載の14回目。「1章 フォートナイトの衝撃」「2章 仮想現実の歴史」に続き、「3章 なぜ今メタバースなのか?」を数回に分けて掲載していきます。今回は3章の1回目です。なぜここに来て、メタバースということが言われ始めたのか? その背景を探っていきましょう。

まずは、メタバースの成立を可能にする技術的背景についてです。

下記マガジンで、連載をプロローグから順に読めます。

3章① なぜ今メタバースなのか?

■技術的背景

ファンタジーの器としてのコンピュータ

 メタバースが急速に勃興しつつある背景は、まず何よりも描画技術の向上にある。人間の欲求は太古からそんなに変わっていない。安全や安心を願い、居場所の確保と賞賛を望み、世界に爪痕を残したいと企てる。

 リアルでの人生はそうそう思惑通りには運ばないから、少しでも自分の意思を通すために自分を磨き、組織を作り、社会に働きかける。いっぽうで、それらのしんどい行動から逃れて、自分に都合のいい世界をファンタジーとして消費したい欲望も生まれる。生産的ではないかもしれないが、ストレスのかかる状況下で心身のバランスを保つためには重要な心の働きだ。

 ファンタジーを提供する媒体として、大昔から小説や伝承、絵画、音楽、演劇が存在した。むしろ、新しい媒体候補が現れる都度、その器にファンタジーが載せられないかがいつも試されてきた。

 コンピュータが登場したときも、当然のようにファンタジーを提供する媒体にされた。

 古典的な芸術は素晴らしいクオリティのファンタジーを提供してくれるが、利用者はあくまで観客であって、双方向性に乏しい。自分がその世界に関わることには限界がある。コンピュータが提供する娯楽は、利用者が積極的に関わっていける点が既存のアートに対して差別化されており、期待が持たれていた。

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ミステリーハウス

 ただし、この時代に得られた体験は、お世辞にも豊かなものとは言えなかった。上図は謎解きものの初期の作品として著名な「ミステリーハウス」である。私は推理小説マニアであったので、即日購入した。殺される側でも、殺す側でも、右往左往するその他大勢でもいいから推理小説の世界に入り込み、その空気を堪能したいと考えていた利用者には理想的なコンテンツではないか。

 その期待はゲームを起動した瞬間から裏切られる。たかだか場面が変わるだけのことで、その都度カセットテープから数分の時をかけてデータを読み出し、インタプリタ言語で綴られたプログラムはゆっくりと、人の目にも明らかな速度で線画を1本1本描いていく。1枚の絵が描き上がるまでに数十秒から数分を要するときもある。

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ミステリーハウスの操作体系

 加えて、「その世界への参加」もちっともスムーズではなかった。スマートフォンのタッチパネルの、まるで情報を指で直接操作しているような爽快感とは無縁である。キーボードの何を押せば、この世界で何をしたことになるのか、コマンドリストをメモっておかなければまったく把握できない。

 ではこうした試みは失敗だったかと問われれば、私自身は大成功であったと答える。マイクロソフトのWindowsが、投入当初は「動かないぞ」「重たすぎる」と文句を言われつつも確実に普及していくように、高い目標やビジョンを示せば、それに共鳴した人々が必ず高度化や普及の手助けをしてくれる。最初に示すビジョンに夢がないと、こうした力が働かないのである。だから、新規システムの実装は、仮に最初はバグだらけでも、「これが完全なものになった暁には、世界が変わるぞ」と思わせるものでなくてはならない。

 ミステリーハウスをはじめとする初期のゲーム作品群は、十分にその役目を果たしたと思う。仮想的に作られた世界に触れ、そこに関わることの楽しさを、少なくともその可能性を形にして見せたのである。それに魅せられた人々は、大挙して利用者となり、その中には後にこの分野に強い影響力と革新をもたらすクリエイターになる者も含まれていた。

 80年代から90年代を経て21世紀に至るゲーム表現の長足の進歩は、プレイ画面を一瞥しただけでも見て取ることができる。これらの革新は、単体としてはプアだったかもしれないミステリーハウスやBATTLE ZONEの存在なしには、促されることはなかっただろう。そしてここで培われた技術が、いまメタバースに使われている。

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ブラックオニキス

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ザナドゥ

ファイナルファンタジー7

エースコンバット6

ニーアオートマタ

 ゲームとメタバースの親和性はとても高い。もちろん、ゲームはメタバースの一部を切り取ったサブセットでしかないが、これまでの情報システムは包括的なメタバースを取り扱えるような演算速度もデータセットも持っていなかった。そのため、メタバースを形作る重要な進化はゲームとともにあったと言っても過言ではない。

描画機能―GPU

 その中でも視覚効果はとてもわかりやすいため、巨大なリソースが開発に注ぎ込まれた。CPUやGPUのメーカーにとっても悪い話ではなかったのである。解像度やリフレッシュレートが上がれば、ヘビーゲーマーは必ず買ってくれるし、解像度の高い画面はビジネス用途にも大きな恩恵をもたらすので、投じたリソースが無駄になることはなかった。

 この時期、CPUから描画機能を切り出して専用パーツ化したGPUが一般に普及した(当初はグラフィックアクセラレータと呼ばれていた)。CPUはどんな命令にも応えるために内部構造が複雑になっていて、その複雑さは速度性能を殺していた。

 そこから描画機能だけを抽出したGPUは、最初から単用途であることが確定していたので極めてシンプルな構造にすることができた。それが速さに直結したのである。

 今では、高速化したGPUを描画以外の仕事に使って、業務を効率化することが普通に行われている(GPGPU:ジェネラルパーパスGPU。GPUを描画以外の一般的な用途に使うこと)。用途の逆流である。膨大な計算量を必要とするディープラーニングや、ブロックチェーンのマイニングで欠かせないものとなっている。これらもシンプルな行列計算を多用するので、GPUと相性がいいのだ。

 GPU2大メーカーの1つであるNVIDIA(エヌビディア)の幹部は自身がゲーマーであり、快適にゲームがしたいから開発に従事してきたと述べている。ゲーマーの欲望がなければ、AIの進歩はもっとゆっくりしたものになっていたかもしれない。

モニタの解像度

 モニタの性能を示す指標は様々だが、解像度は止まることなく精密になり続けた。

320x240 QVGA(アスペクト比4:3)
640x480 VGA(4:3)
800x600 SVGA(4:3)
1024x768 XGA(4:3)
1280x720 HD(16:9)
1280x800 WXGA(16:10)
1366x768 FWXGA(16:9)
1440x900 WXGA+(16:10)
1600x900 WXGA++(16:10)
1920x1080 Full HD(16:9)
2560x1440 WQHD(16:9)
3840x2160 4K(16:9)
7680x4320 8K(16:9)
15360x8640 16K(16:9)

 モニタは映画館に追従するように横長化する傾向があるので、途中で主要なアスペクト比率が4:3から16:9ないし16:10へ変更になった。VGAはSD(standard definition)とも呼ばれる、昔のアナログテレビの画質である。これに対して、1280x720以上はHD(high definition)と呼ばれ、1920x1080でフルHDとなる。この辺はテレビでおなじみだろう。

 テレビの受像機はいま4Kへ切り替わりつつある途上で、コンシューマゲーム機も2020年のプレイステーション5から本格的に4Kへ対応し始めた。PCゲームでは4K対応はすでに一般化しており、VRを用いたものだと8K、16Kが視野に入っている。

反応速度

 反応速度も向上している。日本のテレビ放送は29.97fpsである。テレビや映画の原理はパラパラ漫画と同じだが、1秒間に約30枚の画像をパラパラやっているわけである。

 これがPCゲームの世界だと、60fpsや120fps、144fps、240fps、300fpsが使われている。1秒間に300枚も画像を切り替えたところで、人の目にそれが映るのだろうかと不思議に思うが、ミリ秒を争うアクションゲームの利用者はこれを必須の装備にしている。300fpsであれば1秒間に300回反応するチャンスがあるところを、30fpsでは30回しか与えられず速度競争で負けるからである。

 ただ、これだけの画像処理を行うのはコンピュータにとっても負担が重く、たとえばプレイステーション5では4K画質の30fpsか、フルHD画質の60fpsを選ばせるゲームが多くなるだろう。

明暗と色合い

 明暗や色合いも、「仮想現実」を感じさせる重要な要素である。従来のモニタ(SDR:Standard Dynamic Range)は明るさの表現を8ビット(256段階)で行ってきた。このくらいの割り方だと、真っ暗と直射日光の差を十分に表現し切れない。結果として、薄暗い場所は全部黒く映ってしまうようなことが起こる。

 これをHDR(High Dynamic Range)では、10ビット(1024段階)に拡張する。現実の風景を自分の目で見たように、とまではいかないが、かなりそれに近い明暗を表現することが可能になる。

 モニタ上に描ける色も、かなり広がる。従来のモニタはBT.709といって、実際に人間が識別できる色の4分の3ほどを再現するものだったが、新しいBT.2020規格ではほぼ100%の色を表示することができる。HDRやBT.2020は徐々に普及しつつある段階だ。家庭用テレビでも(再生したい映像が、HDRやBT.2020に対応しているかどうかは別として)、比較的高価なものであれば搭載されているだろう。

 こうした技術によって構築された「世界」は、より情報の密度を高めている。ゲームのような世界と、リアルを隔てていた主因はこの情報密度の差に求めることができる。したがって、これらの高精細技術を用いてVRヘッドセットに360度ビューを映じれば、本当にその世界に没入したかのような感覚が得られる。

インタフェース

「もう一つの世界」に関わるためにはインタフェースも重要だが、こちらも進歩した。黎明期にはキーボードを使うしか手段がなかったが、マウスが登場し、パソコンでも汎用的なゲームパッドが使えるようになった。タッチパネルやモーションコントローラは、仮想現実内のモノ(オブジェクト)に触れている実感を利用者に与えることに成功した。

 リアルを置換できるかと問われれば、まだまだだ。VRグローブを使って、メタバース内のモノ1つつかむにしても、リアルとは異なるスキルが必要であり、そこには習熟を要する。HMDも長く世界を楽しむ障害になるほどには重い。

 ただ、リアルに近づいていることは確かだし、仮にリアルと100%の親和性がなくても良いのだ。私たちはプアなインタフェースしか持たない小説ですら、そこに没入して仮想現実を楽しんできたのだ。

 強いインタラクティブ性を持つメタバースは、リアルとは異なる、しかし長い時間を投じて楽しむに値する世界として人々に認知され、その可処分所得を奪っていくだろう。

テックジャイアントしか勝負できない世界

 しかし、多くのゲームメーカーやソフトハウス、SNSプラットフォームがメタバースに参入できるとは思わない。

 リアルと同じ触感をもった仮想現実を構築するには、データサイエンスの助けも重要である。いわゆるビッグデータを収集し、どうすれば利用者が喜ぶのかを抽出する。そのとき、利用者が喜ぶキーファクターを見つけられるかどうかは、残酷なくらいデータのサイズに依存する。

 アクティブユーザが1000人ほどしかいないニッチなゲームメーカーに、勝ち目はない。IT、とりわけインターネットでは勝者一人勝ち、巨大な先行者利得が喧伝される。今のところメタバースには明確な勝ち組はおらず、だからこそ覇権を求めて各社がしのぎを削っているのだが、メタバースに限らずITのサービスは今後ますます利用者に快適さを感じさせるか否かが重要になる。

 ところが、利用者が何を快適と考えるかなど、よくわからないのだ。行動経済学などの理屈はあっても、利用者が本当にその通りに反応するかなど、試してみないとわからない。

 それを試し、実際のサービスに取り込むことができるメーカーはごく少数だ。

「利用者は隣の街まで60秒で行けるのと、120秒かかるのとではどちらが好きだろう。よし試してみよう」と思いついたとして、利用者が1億人いるサービスはすぐに試すことができる。でも、それが1000人だと得られた知見は誤差の範囲に留まるだろう。

「ボタンを押してから、仮想現実内で実際にそれが起こるまでに0.2秒以上かかるとユーザが逃げるぞ。よし、クラウド側のマシンパワーを増設しよう」といって、どれだけの企業がその投資に耐えうるだろう。

 一つ一つは小さな違いである。しかし、その一つ一つを経るごとに、あるサービスは利用者を増やし、あるサービスは減らす。増やしたサービスは好循環を獲得し、減らしたサービスは負のスパイラルに陥る。それはすぐに逆転不可能な格差となる。

 これは高い蓋然性を持って予測することができる。私たちはウェブでもSNSでもそれを見てきたからだ。特にメタバースの場合は、すでに少なくない数のテックジャイアントが研究開発に乗り出しているため、これから出てくるスタートアップがそれをひっくり返すことはとても厳しい。

 かつてインターネットがフラットな世界だと言われたことがあった。ひょっとしたら、今でもそう考えている人がいるかもしれない。しかし、今のインターネットは資金と設備を擁した者が勝つ重厚長大産業だ。

 グーグルがフリーライド(他人の設備を利用して、タダで自分たちの商売をしている)と言われたのは過去のことだ。彼らは小国の国家予算を上回る莫大な投資をして、自分たちのネットワークを作っている。それが必要だったからだ。先に述べたようにインターネットの利用者は気まぐれだ。0.1秒応答時間が遅れただけで、別のサイトを見に行ってしまう。グーグルは巨大なデータセンタと自前のネットワークインフラを投じることで、顧客の流出を抑えた。

 インターネットは全員参加型の互恵ネットワークではすでになく、大資本を投じた者が基幹部分をおさえている。インターネットによく似た、しかしグーグルの中やアマゾンの中で閉じた別のネットワークが稼働していると考えてもよい。その恩恵に浴さない小規模ウェブサイトが、速度や利便性でグーグルに勝つことはなく、差は開く一方である。

 成功したユーチューバーなどに接すると、過去に語られたように、インターネットが個人の力を増幅させたように見えるかもしれない。しかし、あれはグーグルが作った枠組みの中で、よく踊れた者が利益を手にしているだけである。ユーチューブというサービスと、それを載せるインフラ(どちらもグーグルのものだ)がなければ成立しない職業なのだ。だから、グーグルがユーチューブの規約を少しいじっただけで、あっという間にページビューを失い、収益の道を絶たれるのである。

 インターネットは古くからの政治権力から個人を解放する力にはなったが、より強固なテックジャイアントの支配構造を生んでいる。メタバースも、それを強化する方向へ作用するだろう。この点は後段でも詳述する。(続く)

上記マガジンでプロローグから連載が読めます。



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