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逃げる編集者たち①――エンタメ小説家の失敗学11 by平山瑞穂

過去の連載はこちら。

平山さんの最新刊です。

第2章 功を焦ってはならない Ⅴ

〈コラム〉逃げる編集者たち①

  うまくいっている――すなわち、小説家が売れているか、売れるかもしれないという期待を出版社側に抱かせることができるかしているかぎり、担当編集者というのは、作家にとって実に頼りになる相棒でありうる。しかし、その前提が崩れるなり、彼らは驚くほど素早く、「逃げる側」に回る。そのことは、小説家を目指す以上、知っておいたほうがいい。

 もちろん、全員がそうだと言うつもりはない。中には、さしあたって仕事には直接つながらなくても、思い出したようにふと安否を気遣ってくれたり、本人の思いにかかわらず何も力になることができないことについて、申し訳ないと言ってくれたりする人もいる。どうにかして刊行まで漕ぎつけた他社での新刊を律儀に読んで、感想を書き送ってくれる人もいる。

 しかし、僕の感触からいって、八割がたの編集者は、見込みがなくなってしまったあとの小説家に対しては、接触そのものを無条件に避けようとすると言ってまちがいない。少なくとも、僕はそういう扱いを受けている。

「うまくいっていた」頃、僕の書いた作品や僕の作風・才能について、あれほど惜しみなく賛辞を並べ立ててくれたことは、いったいなんだったのか――。そう言いたくなるほど、彼らは一転して冷淡になっていくのだ。

 必ずしも、悪気があってそうしているのではないことはわかっている。多くは、ただ心苦しくて、「合わせる顔がない」と思っているだけなのだろう。前任者からたまたま割り振られて担当になったというのならともかく、自分から「この人に書いてもらいたい」と望み、声をかけてきた場合などは特に、自分の担当した本が結果として売れなかったことを面目なく思ってもいるはずだ。

 さりとて、「この作家の本はもう出せない」というジャッジを社からひとたび下されてしまえば、一編集者にできることはきわめて限られている。たとえ本人に、ひきつづき僕に書いてもらいたいという気持ちがあったとしても、それを果たす方法はないに等しい。色よい話が何もできないのにメールなどを送ったところで話題もないし、連絡もおのずと滞りがちになるだろう。それはわかる。

 それはわかるのだが、それにしても――と思うような数々の事例に、僕は直面してきた。

 たとえば、こんなエピソードもある。登場人物は、仮にP氏とQ氏とでもしておこう。P氏は、自身が担当した僕の本が売れないとなった途端、ぱったりと連絡をくれなくなってしまった。あるパーティの会場で偶然出くわした際、散会直後に一瞬だけ近づいてきて、「近いうちに食事でも」とだけ言ってなにやらいそいそと立ち去るのを見送ったのが、彼と顔を合わせた最後だ。その食事の約束は果たされなかったし、やがて年賀状さえ届かなくなった。

 そんなP氏のふるまいをかたわらから見ていて、「あの人にはそういうところがあるんです。都合が悪くなるとすぐ逃げるんですよ」と苦言を呈していた別の編集者もいた。それがQ氏だ。Q氏は、P氏とは別の出版社の編集者だったのだが、たまたまP氏とも懇意にしており、その人となりをよく知っていたのである。そしてQ氏自身は当時、自分の勤務する出版社で、僕の小説を刊行しようと画策してくれていた。

 ところが、その頃にはすでに、「売れなかった」というデータがだいぶ蓄積されていた僕については、どの社でも判断が厳しくなってきており、Q氏の出版社でも、僕の本を出すという企画については再考を促される流れとなってしまった。Q氏は、「タイミングを見計らって再チャレンジします」と約束してくれていたのだが、ほどなくして、そのQ氏からも連絡は途絶えた。そしてQ氏もまた、年賀状すら送ってこなくなった。それきり一〇年ほど、彼からはいっさい、なんの連絡も受けていない。

 なんのことはない、P氏のことを批判していたQ氏も、「都合が悪くなると逃げる」という点ではまったく人のことが言えず、P氏とそっくりのやり方で、僕の前から姿を消したのである。

 彼らのことを恨む気はない。僕だって、同じ立場なら似たような形でしかふるまえないかもしれないのだから。それに彼らには、こちらからその後、なにか働きかけをしたわけでもない。「その後、どうなっていますか?」とか、「仕切り直しで、僕の本を出すことをもう一度検討してもらえませんか?」などと持ちかければ、もしかしたら、彼らもなんらかの努力をしてくれたかもしれない(その可能性は高くないだろうとは思うが)。

 僕が彼らにそうした打診を試みなかったのは、僕の本を刊行するという企画を通すことなど、十中八九、無理であることがその時点ですでに自明であり、彼らをいたずらに困らせたくなかったからだ。

 本を出版することは、かぎりなくハードルが高い。大手の場合、初版としては最低でも三〇〇〇部ほどは刷らねばならない(実際には、四〜五〇〇〇部ほどになることが多い。もちろんこれは、「売れない」作家の場合である。売れっ子なら、三万部からスタートなども普通にあるだろう)。通常、その本が実際に売れようが売れまいが、本の定価×刷り部数の一割が著者に印税として支払われるわけだが、それ以前に、印刷代・紙代・製本代という厖大な経費が発生する。

 その他、製版代や装幀等のデザイン料なども含め、一冊の本を作るのにかかった経費を回収し、なおかつ利益を出すためには、けっこうな部数が売れてくれなければならない。それが見込めない作家の本を版元が刊行したがらないのも、当然といえば当然の話なのだ。(続く)


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