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現代文化の隅々にまで、パンク・ロックの影響がある――『教養としてのパンク・ロック』第2回 by 川崎大助

『教養としてのロック名盤100』『教養としてのロック名曲100』(いずれも光文社新書)でおなじみの川崎大助さんの新連載が始まります。タイトルは「教養としてのパンク・ロック」。いろんな意味で、物議を醸すことは間違いありません。ただ、本連載を最後まで読んでいただければ、ご納得いただけるはずです。

過去の連載はこちら。

序章 パンク・ロックが予言した未来に住まう僕たちは:〈2〉現代文化の隅々にまで、パンク・ロックの影響がある

パンク・ロックのざっくりした全体像

 音楽ジャンルとしてのパンク・ロックは、70年代半ばに確立したものだ。おおよそ、楽曲の概観としては、以下のような傾向が強い。

 まずは、エレクトリック・ギターだ。回転する旋盤や作動中の削岩機などと評されることもある、激しく、ささくれ立って、かつタイトなギター・サウンド。おもにコード・カッティングもしくは「リフ」を弾き、長いソロなどほとんどない。だからベースの主張力がとても重要となる。そんな音像を、シャープでタイトかつ「速い」ドラムスの8ビートがバックアップしていく。つまり60年代初期、もしくは50年代に先祖返りしたかのようなシンプルなロックが原型だ。ロック界にて巨大に成功した「最初の」リヴァイヴァル・ムーヴメントだと解釈することもできる。とはいえ、これが単なるリヴァイヴァルでは済まなかったところが「事件」となった。

 パンク・ロッカーたちは、おもに「ビートルズ中期以前」の時代のロックから、「甘さ」「やさしさ」「さわやかさ」などをほぼ完全に「切除」して、荒っぽさ、生々しさ、トゲトゲしさ、野卑な高揚感などをおもに抽出し、培養した。さらには「ビートルズになれなかった」60s~70s初頭のガレージ・バンドの魂の咆哮をも、我がものとした。墓場を掘り返し、亡霊たちを再決起させた。

 そして音と拮抗していくヴォーカルは、流麗なメロディを歌うのではなく、叫ぶ、吠える、うなる――シンプルかつ往々にして過激な内容の歌詞に宿った「激情」にかられて、先へ先へとつんのめっていく。あらゆる強迫観念に急きたてられているかのように……といったところが、パンク・ロックのざっくりした全体像だ。「砕かれたガラス瓶や、錆びついたカミソリの刃のような音」だと言われることもある(セックス・ピストルズ)。

パンク・ファッション

 そうしたパンク・ロックの精神性については、先鋭的で、潔癖症的で、妥協のない姿勢がよく指摘される。そんな内面がストレートに反映された結果、「新しい」感触を持つロック音楽となって、当時大きな注目を集めた。最初はニューヨークで誕生し、直後ロンドンで大きく花開いた。そして、すぐに散った――のだが、しかしそのビッグ・バンは、その後のロック界のみならず、現代文化の隅々にまで、ぬぐい去りがたい巨大な影響を残している。

 音楽そのものだけではなく、演奏者であるバンドや取り巻きたちのスタイル(パンク・ファッション)も、世を騒がした。ちんぴらっぽい、あるいは世間の良識を嘲笑うかのような「過激」きわまりない装いこそが、まずなんと言っても「パンク」のイメージを決定づけたのかもしれない。

 加えてパンク・ロッカーたちの言動や哲学、作品を彩ったグラフィック・デザインなども、たびたび衝撃を呼んだ。音楽業界なんかはるかに跳び超えて、広い世間において、社会的に、ときには政治的にも物議をかもした。具体的には、イギリスのタブロイド系大衆新聞お気に入りのスキャンダル題材として、パンク・ロックおよびパンクスは、なにかにつけ叩かれることになる。

 そしていつしか、「パンク」という言葉は人口に膾炙し、前述のような形容詞としても定着していったわけだ。英語圏のみならず、世界中で。ここ日本でも。

パンク神話と教養

 とはいえパンク・ロックとは、「ファン以外の」広い世間からは、なにかというと「軽んじられる」傾向があるのも事実だ。おおよそのところ「こんな程度なんだろう」なんて思われているだろうところを、描写してみよう。まずは典型的な例から。

「パンク・ロックとは、やんちゃな奴らが勢いにまかせて、無手勝流で好き放題やって暴れているだけなのだ。その程度のことが誉れの、適当な音楽ジャンルなのだ」

 とまあ、こんな具合に決めつけられているようなフシがある。もっともこれは、明らかなる小児的ファンタジーでしかないのだが、しかし一面、これこそが「パンクの人気をぐんぐん伸ばした」神話の最たるものだったことも、否定できない。

 だからこの先入観に、具体例を与えてみると……こんな感じだろうか。(1)演奏は、下手ならばより下手なほうがいい。(2)頭と性格は、悪ければ悪いほうがいい。(3)なにによらず「無知な素人」が、手っ取り早く、素朴に「手作り」したものがいい。(4)さらにそれを「年若い女子供」がやっていれば、なおいい――とかいったようなもの、だったように思える。

 しかしこれらは「神話」だから、基本的に全部嘘か、なにかが針小棒大に誇張されているだけの「子供だまし」の物言いでしかない。真に受けてはいけない。

 真実は、本物のパンク・ロックの原型とは、正しく「教養」の産物であり、ゆえにポップ音楽におけるポストモダン時代の到来を、これ以上なくド派手に告げるものだったのだから。西洋史におけるルネサンスにも匹敵する、巨大かつ革命的な文化運動だったのだから。

 「自らの疎外感、孤独感をこれほどまでにあけすけにひけらかした若者文化もかつてなかったが、そのニヒリズムを国家に対してだけではなく、若者文化にまでも向けたのは、パンクが初めてであった。戦後の数々の若者文化の歴史やスタイルをすべて叩き潰し、切り刻んだ上で、安全ピンでつなぎ合わせたのが、パンクたちだった」

(ジョン・サヴェージ『イギリス「族」物語』岡崎真理・訳/毎日新聞社・99年より)

  これものちに詳述するが、黎明期のUKパンク・ロック・バンドが音楽性の「ネタ」として好んだもののひとつが、60年代半ばに同国で隆盛を見たモッズ(Mods)文化由来のバンド群だった。モッズとは、現代的な人たちという意味の「モダーンズ(Moderns)」から転じた、ある特定のライフスタイルを愛好する若者の「族」を指す流行語だった。だからその文化をサンプリングした上で改変し、「安全ピンでつなぎ合わせた」パンクがポストモダンとなる――というのは、たまたまにしては出来過ぎの話みたいにも思えるのだが、本当だ。(続く)

【今週の2曲】

The Who - Real Me

73年発表。いくつかいる「ゴッドファーザー」オブ・パンクの筆頭であるザ・フーの、なかでもこれぞモッズ・ソングというナンバー。アルバム『四重人格(Quadrophenia)』にて展開されたロック・オペラ(79年に映画化)のオープニングのこの曲に、パンク直前の時代の若者の緊迫感を見る者は多い。

 

The Stooges - No Fun

69年発表のガレージ・ロック・クラシック。セックス・ピストルズの「定番」カヴァー・ソングといえば、まずはこれ。というかピストルズは、この1曲から一体何曲のアイデアを得たのか……パンクのゴッドファーザーのひとり、野人にして魔人のイギー・ポップを擁するバンドのデビュー作より。

川崎大助(かわさきだいすけ)
1965年生まれ。作家。88年、音楽雑誌「ロッキング・オン」にてライター・デビュー。93年、インディー雑誌「米国音楽」を創刊。執筆のほか、編集やデザイン、DJ、レコード・プロデュースもおこなう。著書に長篇小説『東京フールズゴールド』(河出書房新社)、『日本のロック名盤ベスト100』(講談社現代新書)、『教養としてのロック名盤ベスト100』『教養としてのロック名盤ベスト100』(ともに光文社新書)、評伝『僕と魚のブルーズ ~評伝フィッシュマンズ』(イースト・プレス)、訳書に『フレディ・マーキュリー 写真のなかの人生 ~The Great Pretender』(光文社)がある。
Twitterは@dsk_kawasaki


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