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【#1-6】ロケの手ごたえゼロだった「水曜どうでしょう」の新作は、なぜ、おもしろかったのか

嬉野珈琲店へようこそ。
マスターは大の珈琲好きである「水曜どうでしょう」カメラ担当ディレクターの嬉野雅道さん。店ではこだわりの珈琲を淹れながら、マスターが人生のあれこれについてじっくりと語ります。マスター独特の視点から語られる、胸に詰まった息がすっと抜けるお話――。今回は約3ヵ月半にもわたった「水曜どうでしょう」編の最後となります。

嬉野雅道連載写真

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ひと休み①  ひと休み②

熱意というものは無闇にあっても暑苦しいばかりです

嬉野です。さて、ここで連載をはじめました去年の暮れの第1回目から、「ロケの手ごたえゼロだった『水曜どうでしょう』の新作は、なぜ、おもしろかったのか」と題して、2020年に放送された「水曜どうでしょう」の最新作の裏側で、いったい何が起きていたのかと、まるでミステリーエッセイ(聞いたことないですけどね)のように熱心に推理を重ねながら書いていたんですが(読んでない人は読みましょうね)。

途中で、ネットに上がっていたみうらじゅんさんの動画に魅せられて、「みうらじゅんさんのこと書きたいなぁ、今書きたいなぁ」と、ついつい寄り道をして「ひと休み」と題して書いてしまったら、そのまま2回続けてみうらじゅんさんのことを書いてしまい(読んでない人は読みましょうね)、なにぶんここでの連載は隔週ですから「ひと休み」も2回続けてしまうと1ヶ月半経過してしまった勘定となり、さて、「ロケの手ごたえゼロだった……云々」の続きに戻ろうかと思い直したものの、「え〜と、オレはこのあと、何を書きたかったんだっけ」と、夢中になっていた気持ちもどこかに忘れてきたようで、すっかり締まりのない、緩みきった心持ちに現在なっていますと、ここに正直に白状するものであります。

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でもまぁみなさん。熱意というのもね、無闇にあっても暑苦しいばかり。いっそ、このくらい持て余してる方が風通しも良く意外にいい文章が書けるのかもしれない。そう思ったんですけど、思ったところで、何から書けばいいんだかちっとも思いつかない。

「思えども、思うようには、はかどらず」と、まさに事態は人生の様相すら呈しております。

でも、「ひょっとすると……」と、私はさらに思うのです。つまり、もうとりたてて思いつくこともないくらい新作の舞台裏は書き尽くしたのかもしれない。だって、ずいぶん書きましたもん。「たしかにそうだな」と、私もひとり静かに自分を振り返るわけです。だったら、このタイトルで書くのは、ひとまず今回までとさせていただこう。いや、もちろん「水曜どうでしょう」のことはこれからも追い追い書いてしまうことでしょうしね。「そうか、そうだな。ではそうしよう。そうと決まれば今日のところはまぁ、このまま呑気な感じでダラダラと書きつつ、締まりのない感じで終わらせていただこう」と、このように安易に考えておりますので、どうぞお許しを。

4人だけでどこかへ行ければそれでいい――藤村くんの意外な一言

そうそう、先日のことですがね。実は、この4月11日にテレ朝チャンネルで「水曜どうでしょう」2020年の新作「21年目のヨーロッパ21カ国完全制覇」が一挙放送されることになりまして、その後枠みたいな感じで新作の思い出を藤村くんと二人で、カメラを前に話す機会があったんです。そのとき視聴者の方から「次に新作のロケに出るとしたらお二人はどんな企画にしたいですか」みたいなお便りがありまして。

私なんかはね。今やもう「なんだって来い」みたいな感じなんですよ。どこへ行ったっていい。こだわりなし。スッキリしたもんです。

だって、今回、25年の歴史の中で、初めて企画会議の席で自分の主張を通してしまいましたからね。あれは自分でも不思議でした。

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「わるいけど藤村くん、今回の新作ばかりはさぁ、オレは4人だけで旅がしたいよ。ユーコンのよしといえども他人に入ってもらいたくはないんだよ。ユーコンへ行ったら、あんたが言うように犬ぞりとか絶対に楽しいんだろうけど、でも、なぜかわからんけど企画を楽しむ4人みたいな情景もなんかうるさくて、今は本当に撮りたくない。視聴者のみなさんは、『犬ぞりで滑る洋ちゃん見たい!』なんだろうけど、オレはちっとも見たくない。企画なんて、やり残してるアイルランドへ行けば、それでいいんじゃないかなぁ。なんでもいいから4人だけで旅する時間の中にいたい。その時間の中にいる4人が撮りたい。だってもう12年もオレたちはその時間の中にいないんだよ」と、アイルランドへ行ったっておもしろくなるあてもないのに「そっちの方がオレは気分がいい」と主張して、藤村くんのユーコン行きを押し返して、藤村くんの気の進まないヨーロッパロケを強行し、とはいえ、別に私に策があったわけでもなかったという無責任さでしたから、そこからは、それこそ、この連載で詳細に書いた通り、ロケ中もロケから帰ってからも、すったもんだ、あったことは今やみなさんもご存知のこと(まだ読んでない人は読みましょうね)。

でも、そのあげく、おもしろくなるはずがなかった新作が、我々の予想を良い意味で裏切って、世にもおもしろいものに仕上がったんで、4人ともその現実に驚くやら、ホッとするやらで、まことに不思議な体験をしたもんですから、いまではもう私の心は、すっかり気が済んだ感じになりましたから、「次のロケは、藤村くんの行きたいユーコンでもどこでもオレは行くよ、現地でガイドが何十人待っていても構わないよ、オレはもう、自分のこだわりとかいっさいなくなったから」と、言ったんです。ところが意外なことに藤村くんが、

「いや、企画を考えることには、オレはもう、あんまり興味がなくなった。とにかく、4人だけの時間がおもしろいから、4人だけでどこかへ行ければ、それでいいと思う」

と、そんなことを言うのです。これには横で聞いていた私の方が、「あら? そうなの?」とポカンとする始末です。

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でも、これはいい兆候ですね。いや、視聴者諸君はどう思うか知らないけど、私はとても良い流れを得たと思いました。だって、「4人だけで旅がしたい」などと、一見、考えなしに見えた私の主張も、「水曜どうでしょう」25年の流れ全体から考えれば、あながち考えなしの発言ではなかった、いや、むしろ衷心よりの叫びであった、実に切実な、あのタイミングでこそ主張すべき主張だったということに、結果的になりますからね。

だから、こうして番組開始から25年が経つ今、今回のようなドタバタを経験したことで、「水曜どうでしょう」の一番のおもしろさは、やっぱり「4人でまた旅ができるんだ」というときに湧き上がる「あの4人の気分の中にあるんだな」という今一度の気づきを藤村くんに強く自覚せしめたわけですし、我々自身も銘々新たにそのことを確認しあったわけです。これまでいろんな企画を4人でやってきましたけれど、それでもどの企画も一番出汁の効いたところは4人の時間の中で醸された出たとこ勝負の人間模様にあったのだと、気分良く納得できた。このことはある意味、スタート地点のシンプルな気持ちに立ち返ってもいいのだと新たに思えるきっかけになったでしょう。それも、こんな年齢になってから、そんなことを思えるようになった。このチャンスが我々4人の気分を猛烈に楽にしてくれたのは間違いないことだと思います。

だって藤村くんなんかは、チーフディレクターとして、この20数年、ロケの現場に介入し、車中では大泉洋のトークの相手をし、会話を膨らませ、会話の中で自ら大泉洋の標的となり、仇敵となり、喧嘩腰の言葉を投げつけられては言葉で殴りあいつつ爆笑に導き、同時に、旅の間は常に神経を尖らせては脳内編集をし、足りないシーンがないようにと現場で緻密な判断を繰り返し、旅の流れを管理したあげく、旅の最後では燃え尽きているという感じだったんですから。

それが今回のロケを経験したことで、この20数年の間、ロケのたびに重くなっていくばかりだった肩の荷を、おろせたかもしれないんですからね。

私としては、「お疲れさま」と言いたいですよね。だって、やっぱり人間というものはね、どんなに優れた人でも、いや、優れていればこそ「オレがやってるんだ」という自負を持ってしまうものです。だって、それって当然の自覚なんですから。

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番組開始から25年、未だに成長が止まらない「水曜どうでしょう」

でも、それでもやっぱりここが危ないところで、「オレがやってる」から素晴らしいということになってしまうと、「オレがやって」なかったら危ないという理屈になるわけで。そうなると「オレ」というやつは永遠に「やり続けなければならない」道理になってしまう。それも「やるだけ」ではダメで、「やるからには、素晴らしいと賞賛される結果を出しつづけなければならない」という大きな負荷となって付きまとってくるわけです。

ここが辛いところです。これが、自負に背負わされる肩の荷の重みであり苦しみです。これを藤村くんは20数年、独りで背負ってくれていたわけです。これにはどんな人間であろうと、どこかで耐えかねるはずです。

だからでしょう、もう10年ほど前から、藤村くんがロケを前にして、よく言う言葉がありました。

「タレントを、楽にさせなければいけないんだよ」という言葉です。もちろん「タレントのメンタルを」という意味です。

でも、あれは、あの言葉は、ひょっとしたら同時に藤村くんが、「自分自身に言っていた言葉」だったかもしれないと、私はずっとどこかで思うところがあったのです。

「水曜どうでしょう」という看板は、それほどまで、楽には背負えない大看板になっていた、ということです。それをここまで一人で支えることは、藤村くんにしても並大抵の精神力ではなかったでしょう。そしてそれは、違った立ち位置に立つ大泉洋も、また、そうであったかもしれないのですから、まったくもって苦労なことです。

でも今回のことで、藤村くんは、その呪縛から、ふっと、自由になれたのではないでしょうか。

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だってね、「やってる」という自負を持つ藤村くんが、あのヨーロッパのロケに限っては、「やってる」という自覚すらなかったであろう「やってない」時間がけっこうあったわけです。そしてその「やってなかった」時間が、藤村くんには初めての体験だっただけに「新鮮だった」という瑞々しい感覚を与え、そしてなおかつ、脳内編集すらしていなかったろうと思わせる「オレは蚊帳の外にいたから」という自覚的な発言すらさせているのです。それはあのロケの最中、藤村くんが、「アイルランドは、これはおもしろくならない、自分にはおもしろくできない」と、ある意味さじを投げて旅をしていた証だと思うのです。その旅が、彼の意に反しておもしろくなっていた。そうなってしまうと、「『やってる』とこれまで自負していた、アレはなんだったんだろうなぁ」と藤村くんとしても自ら振り返るところが当然あったろうことは想像に難くないという順番です。

その思いが自覚的にあったから、藤村くんは、「自分が、やっているんだ」と、「こだわる」ことから気分良く解放されたんだろうなと思うんです。

だからこそ「今は企画には興味がない、4人だけの時間がおもしろいから」と、シンプルなことを、気休めでなく、自分の中の手ごたえとして素直に言えたのだと思います。いやぁ良かった。

シンプルになると機械も故障が減りますから、あの人もまた一つ、今までより楽に力を出せる人になったということではないでしょうか。

これぞ成長ですね。

もちろん、こういう順番で成長を続ける個人は、古今東西を問えば、たくさんいて、あまり珍しいことでもないのだと思いますが、しかし、このような「水曜どうでしょう」という番組規模で、個人が経験するのとおなじような成長を、番組ごと経験して成長してしまえるテレビマンも、古今東西を問うても、我々の他には、いないだろうと思えるのです。なんと我々は柔軟なことでしょうか。かくて「水曜どうでしょう」は成長が止まらないのです。

もう「水曜どうでしょう」のカメラも誰だっていいんですよ

まぁ、こう書くとね、「じゃぁ、お前は今回のロケでどう成長したんだよ、何したんだよ」と言われそうですがね。まぁ、たしかにそこを突かれると弱い。

だって、私なんかは時差ぼけして、ロケ2日目の朝に寝ちゃってね、撮影中にカメラをドンガラガッシャーンと落としたくらいなもんですよ。反省しきりですよ。大泉洋にも言われましたよ、「寝てた! 寝てたんですか? あなた、それでよく4人だけで旅がしたいとか言い出しっぺになりましたよね」ってね。実に耳が痛いですよ、穴があったら入れてくださいよ。

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まぁそんな事件もありましたからね、私もかつては、「カメラはオレが独りでやるんだ」なんて思ったこともありましたが、今はもう綺麗さっぱりないですよ。今後はもう、誰が「水曜どうでしょう」のカメラやってくれたっていいですよ。こだわりいっさいなし。藤村くんがカメラやりたいって言うんなら、そりゃもうどんどんやってくださいよって話ですよ。

「じゃぁ、おまえは現場で何やるんだよ」って言われそうですけど、「とくに、なんにもやんなくたっていいや」って思えるんですよ。不思議ですよね。なんかもう、今はね、なんでもありな気がするんですよ。4人でいて、4人でなんとかすればいいんだろうって思うんですよ。それにね、別に、カメラ回してなきゃ「水曜どうでしょう」に居場所がなくなるとも思えない。この20年来、独りでカメラやってきましたけど、もちろん、ちゃんとおもしろい事象を、おもしろい角度から撮影するということに関してはキチンとやってきたとは思いますよ。でも、どうやら、それがメインでもなかったのだろうと思うようになったんです。メインはカメラを回してきたことではなく、おそらくあの現場にいたということ、あの現場に、あの4人でいたということの方だったんだな、みたいな、そのことの方がメインだったんだなって、なんか気がするんです。

それはそのまま、我々の人間社会の話でもあるような気がします。

「こだわり」というものは、知らぬうちに保身を生むんでしょうね。

その「こだわり」と「自負」があるから自分はその椅子に座っていられるんだと、人間はどこかで思い込んでしまうんでしょうね。だからその椅子にしがみついてしまう。そして、そのことに気づかない。そうして本質を見誤って椅子のために頑張っている、みたいな本末転倒したことにどこかでなってしまっている。その状態に気づけないで生きている。それがこの社会で生きる苦しさの一端でもある、なんかね、そんな気がしますよ。

でも、考えたらですよ。べつに椅子がなくたって、座りたければ、そこにいたければ「床」に座ればいいんですよ。そのことに気づけば、いや、そのことを思い出せば、人間は「自由」を思い出すんですよ。そしたらもう、好きなときに、好きなところに座れるって思えるんですよ。その気づきに近いものを今回の新作で体験したんだと思うのです。

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さて、このような私の面倒くさい話も、連載を読んでくださっている読者の皆様なれば、必ずしも「分かった!」とは言えずとも、まぁ、なんとなくは分かったような気にはなっていただけたことと思います。

なんにしても、我々はまた成長したのです。成長すると人は楽になるのです。これは本当にそうなのです。だって肩に重くのしかかっていたものが下ろせるんですから、それは楽以外のなにものでもない。楽になれば人間、それだけで楽しくなって微笑んでしまうという順番です。それが、心の成長だと思います。ということはつまり、成長とは、どんどん楽になっていく、楽しくなっていくことをいうのです。そんなら成長した方がいい。そのためには、背負っていたものを下ろせる機会に気づいたら迷わず下ろす方がいい。まぁ、そんな話です。

次の「水曜どうでしょう」はいずこへ?

さて、このコロナ禍の今、「水曜どうでしょう」の次の新作はどうすればいいのか。そんなことも考えます。

意外と「四国八十八ヶ所」とかいいんじゃないでしょうか。

ねぇ、次、行くんなら4人で「四国八十八ヶ所」とか、いいんじゃないですかね。寺を八十八も回るんですから4人だけの時間も濃密です。そして大泉さんに「疫病退散」を祈願していただく。これも時勢に叶っています。これであれば、お忙しい大泉さんに回っていただくには格好の大義名分。

ただ、そのかわり、車中が密になっちゃう。

いやいや、あの二人にはカブに乗って回ってもらえばよろしい。それでもう密にはなりません。タレントをカブに乗せると多少雨風に打たれることもありますが、そこはもう疫病からタレントを守るという気遣いですからね、やむを得ない。

そんなことを考えますと、こんな時代でもやりようはあるんだなと思えてきます。

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ということで、本日のところは、このあたりにさせていただいて。

次回からは「嬉野珈琲店」という本来のタイトルに立ち返って、珈琲店のマスター然として、みなさんを「いらっしゃいませ」でお迎えして、「では、またのお越しをお待ちいたしております」みたいな常套句で送り出してみようかと思っておりますので、ぜひまたお越しくださいませ。

それではこれからも「嬉野珈琲店」を、どうぞご贔屓に願います。次回からやっと開店です。長い長い序章でした。
(次回は4月15日更新です)

追伸
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                              嬉野雅道

嬉野雅道(うれしの まさみち)
1959年生まれ。佐賀県出身。「水曜どうでしょう」(北海道テレビ)のカメラ担当ディレクター。愛称は「うれしー」。ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、文化庁芸術祭賞優秀賞など多くの賞を受賞したドラマ「ミエルヒ」では企画を担当し、福屋渉氏とともにプロデューサーも務めた。「愛と平和と商売繁盛」「負けない」がモットー。どうでしょう藩士と奥様に人気。著書は『ひらあやまり』『ぬかよろこび』『ただばたらき』(ともにKADOKAWA)など多数。

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