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高橋真矢が考える「安心な生活が私たちから失われた理由」

税や社会保険の負担が増加し、雇用が不安定化し、人びとの所得が減少していけば、私たちにどんな未来が待ち受けることになるのでしょうか。また、所得や資産の格差は、どんな社会を生み出すことになるのでしょうか。日本経済は、これまで長い停滞を続けてきました。そこに追い打ちをかけたのがコロナ禍です。本書では、立命館大学経済学部教授の松尾匡さんと、駒澤大学経済学部准教授の井上智洋さんという経済学の論客2人と、不安定ワーカーである高橋真矢さんがタッグを組み、これまで常識と考えられてきた経済学のストーリーに異議を唱えます。そして、いま私たちが「発明」すべき「新しいストーリー」を提示します。今回、高橋さんが書かれた「プロローグ」から一部を抜粋して紹介いたします。

 「『予算がない』。だから諦めて我慢して、みんな頑張ってね」!?

 おそらく1990年代後半のこの頃からだろうか。

 もはや企業も国も頼ることはできない、一方で消費税や社会保険料の負担が増えようとも国民一丸となって支え合わないといけない……。学生の頃から将来の年金を心配するような雰囲気が、徐々に醸成されていった。

 また、「国の借金」という言葉も普及し始めた。誰が誰に借りているのかもよくわからないまま、とにかく「みんなで返さなければいけない」というストーリーが形成された。「国にお金がない」ことはすべての物事の前提となった。
 介護、医療、教育、科学、文化、災害対策などなど、あらゆる現場では「予算がない」という言葉が、殺し文句として使われてきたことだろう。
「予算がない」
 だから諦めてね、我慢してね、だけどもっと頑張ってね、と。

私たちは、豊かなのか、貧しいのか?

 本書では徹頭徹尾「国には予算も財源もある」という前提に立っている。しかし、この前提が人びとの認知的不協和を引き起こし、時に反感さえ買うこともあるだろう。
 それはそうかもしれない。報道でも繰り返し繰り返し「国の借金は一人あたり800万円以上も蓄積され、将来世代への負担が増大している」と聞かされて、「節約こそ正義」というストーリーの中で、みんな自己努力で悪戦苦闘してきたのだから。
 生涯安定して働ける場所は減っていて、将来の年金も期待できないから物が溢れかえっている世の中でも朝から晩まで忙しく働かないといけない。それでも「貧しい途上国」へのチャリティー番組なんかを見ていると「私は貧しい」なんてとても言えない。
 これが現代的な欠乏感覚であり、豊かな社会における「お金がない」という状況は常に「認知的不協和」を引き起こす。

 一体、私たちは豊かなのか、貧しいのか?

「でも、今はみんなスマホを持っているじゃないか」
 この言葉は、何だかんだ言っても世の中はどんどん便利になっているし、現代日本に欠乏などない、ということを表現する便利な言い回しとしてよく使われる。昔は誰も持っていなかったものを今や誰でも持ち歩いている、というわけだ。
 確かに、洗濯板でゴシゴシと洗濯をしていた時代には、経済の成長=技術の進歩=暮らしの向上、というストーリーに信憑性があった。技術進歩で社会は効率的になり、その分みんなの生活は豊かになるというわけだ。
 これが【車+マイホーム+子供の教育費】+スマートフォンの代金を賄(まかな)えているという意味ならば、確かに生活は向上したと言えるかもしれない。しかし、スマートフォンの代金を賄えても、【車+マイホーム+子供の教育費】を賄えない人はすでに「普通」になっている。スマホを解約したところで、住宅ローンが組めるようになるわけでもない。

 マイホームというもの自体が時代遅れなのかもしれない。しかし、そもそもなぜ848万9000戸も住宅が余り(総務省統計局平成30年住宅・土地統計調査 特別集計)、2030年には3軒に1軒が空き家になる時代に、住宅ローンや家賃の支払いに四苦八苦しているのか、ということに、そろそろ私たちは認知的不協和を覚えるべきなのだ。
 まるでスマホやAIの進化と引き換えに、私たちは安心できる生活を失っていくかのようだ。

今こそ「新しいストーリー」を“発明”すべき

 どうやら経済の仕組みに問題があるらしい。
 歴史上の、あるいは現代の発明家たちの良心を信じれば、人の役に立ちたいという志がスタート地点だったはずだ。科学者が癌(がん)の治療法を発明したとして、それが実際に一部の人しか受けられない治療になってしまえば、残念ではないだろうか。
 そう、テクノロジーの進歩に加えて、新しい経済に関するストーリーを「発明」する必要がある。
 生活のために働き、生活を犠牲にする。そうではなく、経済とは本来みんなの生活を良くする、もっと言えば、みんなを幸せにするための土台であるはずだ。
 アメリカン・ドリーム的なストーリーでは、確かに勝者は巨万の富を得る。しかし、うまくいかなかった場合は家の外でテントを張って生活するところまできている(アメリカのホームレス数は50万人以上だと推計されている)。
 これを「選択の自由」と言えるだろうか? もっと普通の選択肢はないのだろうか?
 いや、あるにはあるのだが、いわゆるリッチ組でもなくテント組でもない「中間層」自体がジリジリとテント組に近づいてきていて、地盤沈下が起こっている。

 いわゆる「働き方」もそうだ。非正規雇用という働き方も「選べますよ」と言われたとき、それは経済の衰退が「働き方の多様化」というストーリーに置き換わってはいないだろうか?
 誰もが安心して有休や育休を取ることができる。あるいは所得が減ることもなく、週半ばの水曜日が休みの週休3日制となる。これらも経済成長の一つのストーリーである。技術が進歩して便利になり、その分人間はゆっくり休める。モノやサービスを次々と生み出すだけが、成長ではない。
 しかし、経済とは自分たちの意思の及ばないものだ、という感覚が私たちの中に強く根付いてしまっている。「景気が悪い」という言葉は、まるで気候の変動のように「天気が悪い」くらいの意味で使われ、もはやそれは常態化され「そういう時代だから」というストーリーになっている。
 私たちが唯一持っているものは、あらかじめ用意されている乏しいメニューの中から、なるべくより良いものを「選択する自由」である。
(中略)

ネガティブからポジティブへ反転せよ

 豊かな現代に生きるはずの私たちが将来への不安や焦りを感じている根源的な理由の一つは、人生そのものが大きな負債(借り)を返すために成り立っているからである、と言うことができる。
 私たちは住宅ローンを、借りている部屋の家賃を支払うために、自分の時間を投資して返済日という未来をずっと追いかける。子どもや学生だって同じだ。将来のために時間を投資する。あらゆる人間関係さえも「自分を高く買ってもらう」ための投資行動となる。
 しかし今や、人生の時間を投資した先に待っているのは年金さえ返ってこないかもしれない未来である。私たちの時間は、もはや不良債権になりつつある。
 私たちはこの本で、違う新たなストーリーを提示したい。そこでは「返済日という未来」をずっと追いかけるのではなく、追いかけていたはずの未来こそが人生のスタート地点になるということ。つまり、ネガティブからポジティブへの反転である。

(以上、松尾匡・井上智洋・高橋真矢『資本主義から脱却せよ』、プロローグ「私たちの『借金』とは何か?」(文/高橋真矢)より一部アレンジして抜粋)

著者プロフィール

高橋真矢(たかはし まや)
兵庫県生まれ、現在、大阪府在住。高校中退、高卒認定(旧大検)取得、夜間学部大学卒業。現役不安定ワーカー。tkmayaxx@gmail.com

資本主義から脱却せよ◆目次

【プロローグ】私たちの「借金」とは何か?(高橋)
【第一章】そもそも、お金とは何か?(高橋)
【第二章】債務棒引き制度はなぜ、どの程度必要か(松尾)
【第三章】現代資本主義の問題点(井上)
【第四章】私たちは何を取り戻すべきなのか(高橋)
【第五章】銀行中心の貨幣制度から国民中心の貨幣制度へ(井上)
【第六章】信用創造を廃止し、貨幣発行を公有化する(松尾)
【第七章】「すべての人びと」が恩恵を受ける経済のあり方とは?(高橋)
【第八章】淘汰と緊縮へのコロナショックドクトリン(松尾)
【第九章】「選択の自由」の罠からの解放(高橋)
【第十章】「考える私」「感じる私」にとっての選択(松尾)
【第十一章】脱労働社会における人間の価値について(井上)
【エピローグ】不平等の拡大と個人空間化(高橋)

特別公開②「松尾匡が読みとく『国の債務も消費者の債務も帳消しにする意義』」はこちら

特別公開③「井上智洋が提言する『脱労働社会の可能性』」はこちら


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