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【#9】嬉野さん62歳寿命説

嬉野珈琲店へようこそ。
マスターは大の珈琲好きである「水曜どうでしょう」カメラ担当ディレクターの嬉野雅道さん。店ではこだわりの珈琲を淹れながら、マスターが人生のあれこれについてじっくりと語ります。マスター独特の視点から語られる、胸に詰まった息がすっと抜けるお話――。本日は、21年前に奥さまから「62歳まで」と告げられた嬉野さんの寿命について。先日、とうとう62歳の誕生日を向かえられた嬉野さんはどうなってしまったのでしょうか。

あの夜から21年、問題の年がやってきた

追加挿入写真©hiroko

ようこそ嬉野珈琲店へ
本日も、わたくしのヒマな喫茶店からお送りする音声だけのライブ配信におつきあいください。

さて、先日の七夕で私はとうとう62歳になりました。この62歳という年は、実は私にとってなんとも問題の年なのです。

と、言いますのも、今から21年前のこと、私は女房から、「あのね、まさみちの寿命は62歳だよ」と告げられたのです。このときの驚愕の顛末は、これまでも方々で書きましたから既にご存知の方も多くおられると思いますが、その問題の62歳に、つい先日、私はとうとうなったのです。いったい今年、これから何が起きるのか、それは分かりませんが、なんだか七夕からこちら、私は妙な気持ちです。

差し替え写真①©hiroko

あれは、西暦2000年の夏のことでした。私は突然、女房から私の寿命を告げられたのです。

女房から寿命を告げられる。いったい、こういう状況を何といえばいいのか。いや、間違いなく一般家庭では起こり得ないシチュエーションです。でも、うちの女房は昔からそういうことのある女なのです。

預言者ではないとは思うのですが、いや、預言者というものが、そもそも実在するのか、それすら私には分からないのですが、でも、女房は、なんというのか、そういうイメージが不意に「降りてきた」と、受け取ってしまう体質なのでしょうね。そして降りて来た以上は、そのことを伝えずにはおれないという、そこは使命感なのでしょう。とにかく私は女房に寿命を告げられたわけです。

ホラードラマの脚本なんか書いてたからか

そのとき私は41歳でした。「四国R‐14」というタイトルでホラードラマの脚本を執筆中でした。思えば、来る日も来る日もホラーを書いている亭主という状況が、女房を変に刺激してしまったのでしょうか。ある夜更け、女房は、私の隣でスヤスヤ寝ていたはずなのに、「ねぇ起きてる?」と、不意に私に声をかけてきたのです。私は灯りを消して布団に入ってからもドラマの展開を考えて寝つけず起きていました。「起きてるよ」。私は答えました。すると、女房は神妙な口調で「あのね、まさみちの寿命は62歳なんだよ」と、静かに私に告げたのです。

この脈絡のなさが怖かった。だってあまりにも唐突すぎる発言なんだもん。

画像2©hiroko

振り返ればあのころの私は、とにかく四六時中ホラードラマのことばかり考えており、そのせいか怖いという感覚が麻痺したようで、「あれ? 怖いって、どんなだったっけ?」と、知らぬ間に「怖い」がまったく分からなくなっており、「とにかくもう一度怖いという思いを体験しなければ」と、私は一人で深夜のテレビ局へ出かけては誰もいない真っ暗な会議室の闇の中で自分の中に恐怖心が湧き上がるのをじっと待ち受けたり、なんとか「怖さよ戻って来い」と構えるのですが、おかしなもので、怖さというものは追いかけたり待ち伏せしたりしていると、いっこうに姿を現さないようなのです。だから、どこへ行ったってちっとも怖くない。あれならむしろ、怖さを求めて走り回ってる私を外から見てる方が、よっぽど怖かったかもしれない。

それなのに、女房に寿命を告げられた瞬間、私はあまりの不意打ちに思わず心臓がドキリと凍りつくかと思うほどビビったわけです。

とはいえ、その場でことの真意を女房に問い糺すのも恐ろしく、だってもっと怖いことが女房の口から出てきたら堪らんじゃないですか。で、まぁ、「どっちにしても21年も先のことだ」と、私は思い直しその晩は寝たわけです。そしたら不思議なもので、あの晩から21年もの歳月が本当に経ってしまったんですね。こうして私は、とうとう62歳になってしまった。

ところが問題の62歳になってみたら、おかしなことに、私はなんだか、毎日ひどく充実した気持ちなのです。

差し替え写真②©hiroko

ロンググッドバイ

いや、これも展開として唐突過ぎますから、皆さんにはなかなか受け取ってもらえないんでしょうね。これだったらむしろ、私がビビってる方が、よほど分かりやすいし受け取りやすかったでしょう。ですが、現実の私は、七夕からこっち、やけにハッピーなのです。この私の感じている充実感って、どういうことなんだろう。でも、やっぱりなんか「長いお別れ」みたいな、特別な時間に入ったようなことなんですかねぇ。

たしかに、「オレの人生、今年が最後なのかなぁ」みたいな想いも、きっとどこかにはあるんでしょうから。それで急に、この毎日という当たり前の日々が大事なものに思えてしまうとしても、おかしくはないですね。

でも、私に不治の病があって、そこをドクターに指摘されて余命を宣告されたわけではないわけで。ですから切実な緊張感はまるでないわけで。なのに、なぜか今、私は私を包んでくれているこの平穏な日常が、毎日とても愛しく感じられるという。まぁ、この辺りのことをあまり語っても、皆さんには、ちんぷんかんぷんでしょうし、たいして面白いとも思えないでしょうが、でも、私一人は、本当に得をした気持ちです。

だって、ただぼんやり座っていたって、生きてる充実感があるんですからね。

差し替え写真③©hiroko

「またオレ、うまいことやったなぁ」

そう思うんです。だって正直言いますと私、つい最近まで、割と気持ちが落ちていたんです。それは62歳が近づいてくる緊張というよりも、「こうやって何気なく毎日が過ぎて行って、また新しい年を迎えて、オレはどんどん70歳へ向かってカウントダウンを繰り返し、ある日、気がついたら、本当にリアル70になってる自分に気づき、そのときにはもう80歳へのカウントダウンが始まってて、そしたらその先はなんだよ」と、まぁそんなふうに、まだ来もしない未来のことばかりに気持ちが向いて、勝手に心が萎えていたんです。

これってね。もちろん取り越し苦労みたいなものですから、これがアスリートだったら試合に負けてしまうイメージですよね。つまり試合の前に、ふと、対戦相手に対する心配ごとが立ち上がって、その心配のイメージのまま試合したら身体が俊敏に動かず心配していた通りの筋立てのまま対戦相手に負けてしまうという、あの取り越し苦労ってやつ。そういう負のイメージに私はつい最近まで囚われていたと思うんです。

なのに、それが62歳の誕生日を迎えたら嘘みたいに消えちゃってて。

日々、私の身体を過ぎて行く時間が、なんだか勝手に愛しく思えるようになっちゃってて。これまで気にしてた、まだ来もしない先のことなんか「どうでもいいや」って思えてしまっててね。なので、誕生日が過ぎた今、70歳の自分がどうした的なことは、ちっとも考えなくなってしまった。

画像8©hiroko

これってやっぱり、「まさみちの寿命は62歳だよ」ってのが、ここに来て、上手い具合に効いてきたのかも知れませんね。だとしたら、やっぱり私って運が良い。だって今、私は、私が生きている今という時間にだけ自分の気持ちが向いちゃってるってことですからね。そこを集中的に堪能できているわけですから、生きている者にとってこんな得なことはない。

「本当にオレって、なんて自分に都合よく考えられる体質なんだろう」って、今回も私はそんな自分自身に感心してますよね。

にしても、進化論は役に立つ

おそらくね、少し前から読んでる本も、私に良い影響を与えてくれているんだろうと予感するわけです。

その本には進化論のことが書かれていて、読んでゆくと、「地球上の生命体で、絶滅しない種は、ないに等しい」みたいなことが書いてあったんです。つまり、どんなに繁栄した種も必ず最後は絶滅しているらしいのです。ということは、我々人類だって絶滅という形で最後を迎えるだろうってことですよ。それも、我々人類の落ち度が原因ではなく、まったく理不尽な理由で絶滅することだってあるらしいのです。それが証拠に、恐竜は、ずいぶん前に絶滅しちゃいましたけど、あれって恐竜たちには、とくだん落ち度はなかったようですからね。

あのときは小惑星が突然地球に激突して、そのときの衝撃で発生したとんでもないエネルギーと、そのあとに訪れた千年も続くような長い長い冬が、デカくて体毛に覆われていなかった巨大な恐竜を一匹残らず死に絶えさせたそうですよ。だったら恐竜たちにしてみれば、唐突に小惑星がぶつかってくることも想定外、そのあと地球に超長い冬が居座るのも想定外の話です。それって要するに、地球におけるそれまでの生命競争のルールがいきなり変えられてしまったってことですから、頑張ったり、努力したりすればなんとかなるってレベルではないわけです。早い話、ある日いきなり恐竜が存在できないルールに変えられてしまったという理不尽きわまりない話なのです。こんな理不尽なルール変更で恐竜は絶滅してしまったのですから恐竜たちに罪はなかった。実に気の毒な話です。

差し替え写真㈬©hiroko

だから人類もこの先で、存在できないほどの突然の気候変動とか、小惑星の衝突とか、宇宙人の襲来とかいった理不尽な目に遭遇してしまったら、絶滅するしかないのです。人類は退場です。

「そうか、そんな理不尽な絶滅だって用意されているのなら、そもそもこの地球に生息する生命が目指し続ける進化には、ゴールってものは、はじめから用意されてなんかなかったってことじゃないか」

みたいなね、なんか、そんなふうに思えてきちゃったんでしょうね、私には。

そうですよね。自分が死んだ後にも人間社会は続くんだよなぁと思うから、死ぬことは虚しく寂しく思えていたけど、自分が死んだあと、そんなに遠くない先で人類も絶滅するかと思えば、だったらまぁ大して寂しくはないか、と思えてきてね。なんでしょう、絶滅って聞こえは悪いけど、結局、最後はみんなで仲良く居なくなるってことですからね、だったら、とくに生きてる間に何か目立つようなことをしたって、してなくたって、べつに思い残すこともないように思えてきてね。そんなことより、「オレは生きていたんだな」って、その実感だけが思い出として残ればいい。

差し替え写真⑤©hiroko

私は元来、他人と競争するのが好きじゃないですから。だって、勝てる気しませんから。だから、「最近の激しい社会の変化について行けないと勝ち残れない」とか、「これだけ社会の変化が激しいと、必ず近い将来、置き去りにされる人たちが出てしまうはずですよ」的な、脅しのようなトークがね、とにかく好きじゃない。実に気に入らない。

でも、この先の先でね、最終的に人類に用意されているのが絶滅なら。しかも人類としては落ち度もないのに小惑星に衝突されて、みたいな、脈絡もなく訪れてしまう理不尽な絶滅まで視野に入れなければならないのなら、「おまえは複雑化するこの社会について行けるのか」も、「必死に対応しようとしないと置き去りにされる」も、さして意味はないわけで。だって、行き着く先で待っているのが理不尽な絶滅なら、この今ある社会の価値観だって自分の人生を捧げてまで追いかけるには値しないってことになりそうな気がしてね。だったら、そんな不確実なものに自分が振り回されることもないだろう、って思えてくる。

だったら、たとえ今の社会に自分が適合していなくたって別に哀しむほどのことでもない。適合しなければと焦ることもない。だって、この社会だって人類だって、最後に待っているのが絶滅なら、結局、人類自体が、そもそもこの地球上で生きるには不適格だったという理不尽な結果が出て終わるわけですから、そんなら今、自分が社会に適合できていると思えなくても別にいい。いや、むしろ、「あぁオレって、この社会に適合できてないなぁ」と実感しつつ、「でも、オレに向かって今吹いてくるこの風は気持ちいいなぁ」って、自分が生きている今に集中する方がいい。だってその気分の良さだけが自分が生きていた証になるから。そんなふうに考えるんですかねぇ。いつの間にか私は、自分がこの世界からいなくなるということにも、さしたる不安を覚えなくなったんですよね。生き残ろうとする意思はいつか否定されても、私が生きていたという事実を否定できるものはないと思えばね。

差し替え写真⑥©hiroko

特別な時間を生きている観光旅行

私は札幌に越してきて、今年で26年になるんですけど、いまだに札幌に観光旅行に来ているような気でいますよ。だって、その気持ちを忘れたら、せっかく札幌にいるのに、なんだか凄くもったいない気がするからね。HTBの新社屋のすぐそばに札幌時計台があるんですけど、会社へ行く道で、時計台が見えてくると、今でも気持ちが盛り上がります。「あ、時計台だ! ちっちぇーなぁ! オレは今、札幌にいるんだなぁ」ってね。いまだに観光客気分です。

やっぱり観光旅行してるときの人間って特別な時間を生きてますよね。だって、特別なことなんかしなくたって、自分は今「観光旅行をしているんだ」っていう大きな前提を常に持っていますから、歩き疲れて公園のベンチに座っていたって気持ちは新鮮なんですよね。

なんかね、今、その気持ちに近いんですよ。人生の観光旅行をしているような、そんな特別な感じなんです。その気持ちを前提に持てちゃったから、見るもの全てが特別なものに思える。とくに何することもなくても毎日が新鮮な気持ち。そういうことなのかなぁと、思えてきました。

この世界は、自分で自分の都合のいいように解釈されるのを待っているんだと思います。そんな自分勝手さに耐えうるだけの複雑怪奇さをこの世界は持っている、と私には思えますよね。
(次回は8月5日更新予定です)

嬉野雅道(うれしの まさみち)
1959年生まれ。佐賀県出身。「水曜どうでしょう」(北海道テレビ)のカメラ担当ディレクター。愛称は「うれしー」。ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、文化庁芸術祭賞優秀賞など多くの賞を受賞したドラマ「ミエルヒ」では企画を担当し、福屋渉氏とともにプロデューサーも務めた。「愛と平和と商売繁盛」「負けない」がモットー。どうでしょう藩士と奥様に人気。著書は『ひらあやまり』『ぬかよろこび』(ともにKADOKAWA)など多数。

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