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武者小路実篤『友情』は恋するすべての人が読むべき最良の教科書だ #3_1

第3回として採り上げるのは、白樺派の中心人物の一人、武者小路実篤の『友情』です。 

『友情』は1919年10月から新聞社の連載として書き始められたものですが、1920年に完成し、一冊の本として出版されました。『こころ』が1914年でしたので、それから6年後の出版になります。年代的にはそれほど変わりませんが、恋愛の描写は実に奔放、自由主義的な理念を掲げる白樺派の代表作の1つと言えます。文体の美しさや優雅さ、芸術性といった要素は少ないかもしれませんが、恋愛の本質を知るうえで、欠かすことができない秀作です。

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もりかわ・とものり/早稲田大学国際教養学部教授。政治学博士(Ph.D.)。1955年群馬県生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒、ボストン大学政治学部修士号、オレゴン大学政治学部博士号取得。専門分野は日本政治、恋愛学、進化政治学。早稲田大学の授業「恋愛学入門」は学生に絶大な支持を得ている。恋愛学の著書としては『最強の恋愛術』(ロンブー田村淳との共著、マガジンハウス)、『一目惚れの科学』(ディスカヴァー携書)、『黄昏流星群学』(弘兼憲史との共著)等がある。

あらすじ

主な登場人物は野島、杉子、大宮の3人です。すぐに三角関係であることが分かりますね。ほかにも登場人物はいますが、恋愛に関する限り、この3人の関係を知れば十分です。

主人公は23歳の大学生(学習院大学?)である野島脚本家の卵です。スポーツは苦手、やせすぎと言われるくらいの貧弱な身体つきで、「人つきあいが悪く、不愛想で、怒りっぽい」とあるので偏屈な性格でもあるようです。実家はそれほど裕福ではなく、食うに困らない程度の家庭出身です。また作中に「女はまだ知らなかった」とあるので、童貞でもあります。 

ヒロインは、友人の仲田の妹である16歳の杉子。野島は、帝国劇場で杉子に出会って恋に落ちます。それ以前に写真で見たことがあり、その時から気にはなっていましたが、実際に会って一目惚れしました。野島は感嘆します、「何故にこんなに無垢な美しい清い、思いやりのある、愛らしい女」がいるのかと。

たしかに杉子は美しく、背が高く、純粋で、溌剌とし、はっきりものを言う聡明な女性です。

野島は杉子に片思いをするのですが、告白する勇気はありません。そもそも彼女は16歳なので、18歳くらいになるまでじっと我慢だと自分に言い聞かせます。

野島の友人に小説家の大宮(26歳)がいます。野島の最大の理解者であり親友です。大宮は性格も良く、体格も立派。スポーツに優れ、鎌倉に別荘をもつ上流階級出身で、のちに杉子が「あなたのお家の前を通った時、お家の立派なのにおどろいた」とありますので、豪邸に住んでもいました。職業は売れっ子の小説家です。日本を離れパリに行く時には、東京駅に雑誌記者、新聞記者、文士が見送りにきたくらいですから、相当有名な小説家のようです。

野島はそんな大宮に、杉子に片思いしている旨を相談します。大宮と会うたびに、杉子がどれだけ素敵なのかをとくとくと話すわけです。大宮は、野島を応援していると言い、励まします。

杉子は成長とともにさらに美しくなり、他の大勢の男がまわりに集まり始めます。プロポーズする男性も現れ、野島の心中は穏やかではありません。

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夏休みには、野島は大宮の別荘がある鎌倉で一緒に過ごすのですが、そこに杉子も友だちと一緒に合流します。しかし、野島と杉子の距離は縮まりそうで縮まりません。

他方、杉子はだんだんと大宮のことが好きだと感じ始めます。一方の大宮も、徐々にですが杉子に惹かれていきます。野島、大宮、杉子の微妙な三角関係に陥りますが、大宮は、そんな微妙な間柄を断ち切るために、突然パリ行きを思い立ちます。

表向きは勉強のため、内心では親友の野島への遠慮から杉子への想いを断とうとしたためです。友情をとるか恋愛をとるかで、大宮はとりあえずは友情を選択したことになります。

大宮の渡仏後の1年後に、野島は「結婚したい」と人を介して杉子に告白をしますが、体よく、しかしきっぱりと断られてしまいます。のちに分かることですが、杉子にとって野島の気持ちは「ありがた迷惑」だったようです。「私は野島さまの妻には死んでもならないつもりでおります。」「野島さまのわきには、一時間以上は居たくないのです。」と杉子に吐き捨ててしまわれるくらいでした。

しばらくすると、大宮から葉書が届きます。そこには「尊敬すべき、おおいなる友よ。自分は君に謝罪しなければならない。すべては某同人雑誌に出した小説(?)を見てくれればわかる。」とありました。野島は大宮が書いた小説を読むのですが、内容は、東京にいる杉子とパリにいる大宮の仲が、手紙のやりとりを通じて深まってゆく経緯が描写されていました。

手紙を交わす中で、杉子はいかに大宮のことが好きかを吐露します。大宮も次第に自分の胸中を明かし、親友である野島との友情をとるか、杉子との恋愛のどちらをとるかで悩んでいることを告白してゆきます。最終的には、大宮は杉子との結婚を選びます。

杉子も大宮のいるフランスに向かって旅立ちます。他方、野島は真実を語った大宮に対して怒り、悲しみます。しかし、きっぱりと大宮と杉子の手紙の中で書いてくれたので、「失恋」を自覚し、恋に注いでいたエネルギーを仕事に向ける旨を宣言するところで小説は終わります。

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『友情』の特徴と意義

まあ、なんと天真爛漫で、一切の曖昧さのない小説でしょうか。「片思い」「叶わぬ恋」「失恋」という3つのテーマについて、自由奔放に、包み隠さず描写しています。『こころ』が出版されてから6年後の小説とは思えません。さすが「白樺派」です。

白樺派とは、1910年に創刊された同人誌『白樺』に集った作家や芸術家の総称で、多くが学習院出身の上流階級に属していた人たちです。実篤のほかには志賀直哉、有島武郎、里見弴らがいて、画家では岸田劉生や梅原龍三郎らがいます。大正時代の「大正デモクラシー」を受けて、自由闊達な生き方をめざし、自我の肯定をまっすぐに表現する作風で、自己が生き生きと描かれている点が特徴です。 とくに実篤は「白樺派」のオピニオン・リーダーとして、人間の生命の賛美、本能の肯定、自我主義、人類主義(反国家主義)、新しい理想主義の模索に筆をふるいました。

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『友情』も「白樺派」の理想主義と自由な気質が満載な恋愛小説となっていますね。「恋愛の自由」を原則として、三角関係において「恋愛」をとるか「友情」をとるかがテーマになっていますが、大宮が堂々と友情より恋愛をとるのが斬新です。また野島も失恋したからといって自殺したりはしません。漱石の『こころ』へのアンチテーゼです。

最後に杉子は大宮をフランスまで追いかけていきますので、ちょうどエリスをふった豊太郎とは真逆になっていて、鷗外の『舞姫』と好対照となっています。

また、ミステリー満載な『こころ』や、読者に二者択一を迫る『舞姫』とも異なり、『友情』は竹を割ったようにさっぱりとした小説です。表現もあけすけ、激情的であり、実篤自身が実際に経験した片思いと失恋を描写したに違いありません。実体験しないと言葉で上手に表現できませんから。

当時、恋愛を小説で描写することはたいへん意義のあることでした。なにしろ、大多数の結婚は、お見合いや許嫁で決まっていた時代ですから。結婚は家と家をつなぐツールだったことは、『舞姫』の回で申し上げたとおりです。

図表1をご覧ください。『友情』は1920年の作品ですが、その10年後のデータ(1931~1935年)では全結婚のうち、13.4%しか恋愛結婚でありませんでした。10組中のほぼ1組でしかなかったのです。他方、お見合い結婚は69.0%にも達していました(残りは「その他」で許嫁等であると考えられます)。したがって、さらに年代をさかのぼる1920年前後では、恋愛結婚は10%程度だったことが推測されます。ましてここで描かれているのは上流階級で、上流になればなるほど家の格を意識するので、自由恋愛というのは珍しかったはずです。

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図表1 恋愛結婚・お見合い結婚の推移(出典:第15回出生動向調査より)

当時の結婚に至る典型的なパターンは、お見合い(あるいは許嫁)→結婚です。現代の恋愛のプロセスは、好きになる→つき合う→別れる→別の人を好きになりつき合うを何度か繰り返し、プロポーズする→結婚するとなりますが、この流れとは明らかに異なります。

ですから、大正時代以降増えていくだろう恋愛結婚に関して、読者に恋愛がどのような仕組みになっているかを手ほどきする本が必要だったと思われます。それが、この『友情』でした。たしかに、実篤は1920年に単行本が重版された際に「この小説は実は新しき村(実篤らが作ったコミュニティ)の若い人たちが今後、結婚したり失恋したりすると思うので両方を祝したく、また力を与えたく思ってかき出した」と書いたくらいですので、この小説は、恋愛の仕方、失恋の仕方を知らない多くの人々の教科書となる役割を担っていたのです(当時はテレビなどありませんでした)。

なお、図表1でおわかりのとおり、お見合い結婚は高度成長期までは一般的な結婚の形でしたが、1970年以降に急激に減少して、現在では5.5%となっています。それに代わって恋愛結婚が主流となっていて、87.7%が自由恋愛によって結婚に至っています。

したがって現代では片思いを必ず経験しますし、自由恋愛になったからこそ失恋も日常茶飯事です。とくにまだ若ければ、この小説から学べることはたくさんあります。若者が恋愛するにあたっての必読書であることは間違いありません。

次回は実篤が描いた「片思い」「叶わぬ恋」「失恋」について1つずつ詳しく見ていきたいと思います。

後編につづく


バックナンバーはこちら↓

第1回 夏目漱石『こころ』前編
第1回 夏目漱石『こころ』後編
第2回 森鷗外『舞姫』前編
第2回 森鷗外『舞姫』後編

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