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未来を読む「アート思考」を身に付けるには? バンクシーや岡本太郎の例から探る

現代アートギャラリー「hiromiyoshii」を運営するアートディレクターの吉井仁実さんは、これまで様々なアーティストの作品を世に送り出されてきました。吉井さんの父・吉井長三さんは1965年に東京・銀座で「吉井画廊」を構え、セザンヌやルオーといった芸術家の作品を日本に紹介してきた方で、また岡本太郎や小林秀雄など、日本を代表する多くの文化人と交流のあった方でもあります。そんな「生まれたときから」アートの世界に身を置いてきた吉井さんは、最近、「現代アートはもう終わったのではないか」と言えるほどの大きな変化がアートの世界で起きている語ります。また、最近よく耳にする「アート思考」という言葉に対しても独自の見解をお持ちです。そんな吉井さんが、アートを通して未来を読む力を身に付けるための一冊『〈問い〉から始めるアート思考』(光文社新書)を上梓されました。刊行を機に「はじめに」を抜粋してご紹介いたします。

アート思考とは

「アート思考」という言葉をよく耳にするようになりました。これをテーマにした本や記事もいろいろなところで見かけます。

しかし、アートの世界に長い間(たぶん生まれたときから)身を置いてきた私には「アート思考」という言葉がしっくりきません。なぜなら、私はアートに特定の思考があると思ったことがないからです。むしろ、アートは常に新しい思考を生み出し続けるものだと思います。仮にある一つの思考があったとしても、必ずそれを打ち破ろうとする動きが出てきて、別の思考に取って代わられるのです。そうやって一時代を築いた思考があっても、やがてその思考も次の新しい思考にバトンを渡していきます。それがアートの本質的な営みだと思っています。

だから、「アート思考」を私なりに解釈すると次のようになります。

・アート思考=問う力

現代の社会に対して「問い」を投げかけること。それが「アート思考」であると。

「この既成の考え方は本当に正しいのか」
「今の時代ではこのような表現もあり得るのではないか」
「どうして私たちはこんな不自由を強いられるのか」

などという問いを、ときにはユーモラスに、ときには洗練された手法で、ときには突拍子もないやり方で、つまり今までにない方法を用いて表現する。それがアートであり、その「問う力」が画期的であればあるほどにアートの価値が高まると私は思っています。

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バンクシーの「社会的な問い」

例を挙げましょう。バンクシーはその顕著な例の一人です。

この英国に拠点を置く謎のアーティストが作品を作ると、世界中のメディアが報道して大きな話題を呼びます。例えば、彼の名を一躍有名にした出来事の一つに「シュレッダー事件」があります。

2018年10月5日、著名なオークションハウス「サザビーズ」で競売にかけられた作品『ガール・ウィズ・バルーン』(風船と少女)が104万2000ポンド(約1億5500万円)で落札されると、その直後、額縁の中に組み込まれていた機械が作動。作品が額縁の下にずり落ちていき、内蔵されていたシュレッダーが作品を断裁し始めたのです(図)。

バンクシー「風船と少女」

「シュレッダー事件」の様子。2018年10月5日、『ガール・ウィズ・バルーン』(風船と少女)が落札されると、額縁の中に組み込まれていた機械が作動。作品が額縁の下にずり落ちていき、内蔵されていたシュレッダーが作品を断裁し始めた(バンクシーの公式インスタグラムより)。

その後、作者のバンクシーが自ら機械を仕掛けていたことを表明。新たな作品名として『愛はごみ箱の中に』と命名されました。大きなニュースになったので、ご存じの方も多いと思います。

どうしてバンクシーはこのようなことをしたのか。

これも社会に対する「問い」の投げかけです。「アートとは何か」というテーマをバンクシーは社会に示したのです。どんなに素晴らしいファインアートの作品でも、オークションに一度かけられれば、価格が決められて売買されます。いったいアート作品を買う人はアート作品に何を求めているのでしょうか。価格が付く物質的なものを求めているのか、それとも価格が付けられない内在的なものを求めているのか。アート作品であればこの二つの面を必ず備えていますが、美術作品が競りというシステムの中で高額になればなるほど、その二つの面の境目が分からなくなっていきます。

もし、目の前に「これは1億5500万円の本物の絵です」と言われて置かれたら、どう思うでしょうか。作品を鑑賞する前に、どうしても「これは1億5500万円の絵だ」と思ってしまうのではないでしょうか。つまり、作品を作品のまま見ることができなくなり、作品という物質から生まれる経済的価値を強く意識している状態となるのです。これがもし100億円の絵だったら、もはや冷静な気持ちで作品に内在されているものを見ることが不可能になってきます。だとすると、いったいアート作品とは何なのでしょうか。

おそらくバンクシーはオークション会場で自ら作品を切り裂くことで、「アート作品に高い価格を付け、売り買いすることで、人間は何を手に入れることができるのか」という問いを社会に投げかけたのでしょう。もちろん、これは私の解釈ですが、それほど的外れなものではないと思います。その証左として、この作品の落札者は、落札後に作品が切り裂かれたのにもかかわらず、落札価格のままで買い取りました。ここにアートの新しい価値があると理解したからでしょう。

この原稿を書いた後、『愛はごみ箱の中に』はさらに、2021年10月14日のサザビーズのオークションに再度出品され、前回の落札価格をはるかに上回る約29億円で落札されました。バンクシー作品として史上最高の落札額だそうです。サザビーズによれば、入札には9名が参加し、10分間にわたり入札が続いたそうです。どこかバブルの気配を感じますが、バンクシーの「問い」に大きな価値が認められたということでしょう。

バンクシー自身も、この事件を通してその名が広く知れ渡るようにもなりました。つまり、この事件を通して投げかけた「問い」の画期性が作品の価値とアーティストの名を高めたのです。バンクシーは、作品のうまさよりも、この仕組みのようなものを作り出すのがうまいアーティストです。そのやり方はとても洗練されていて見事ですが、私にはやり過ぎに感じるときもあります。

いずれにせよ、「問い」を発しないアーティストはいません。アーティストが作品を制作したりパフォーマンスをしたりするとき、何らかのアイデアが必要です。そのアイデアのスタートは、おそらく「問い」の発見にあることが多いと私は思っています。それが社会に問うべき内容であれば、アーティストはそれが一番伝わる形を考えて、作品を制作したりパフォーマンスをしたりします。

ただ、その「問い」には答えがありません。鑑賞者に今まで感じたことがないものを感じさせ、深く考えさせるための「問い」なのです。いかに「究極の問い」を作り出すか。そこにこそアートの営みの本質があると、私は思っています。

ですから、鑑賞者がアート作品に向き合うとき、「これはどんな問いを投げかけているのか」という視点を持つと、その作品をよく理解できるようになります。「アート思考」と呼ばれるものは、アーティストが持つ「問う力」だと前述しましたが、鑑賞者もそれを意識することで「アート思考」というものが身に付けられると思います。

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アートに触れる意味

イノベーションの例として引き合いに出される米国アップル社のiPhoneにも、私は画期的な「問い」があったと思っています。この製品が登場する前から、スマートフォンと呼ばれる機器はありました。しかし、iPhoneが登場すると、それまでの携帯電話市場のシェア分布が大きく変わり、発売以降、アップル社が今も多くのシェアを占めています。

あの小さな機器に多くの人たちの心を揺さぶる何かがあったのでしょう。それはいったい何なのか。便利さや機能性だけではない何かがあったのです。私に言わせれば、それは「問い」のようなものだと思います。問題解決から始まる何かではなく、今の社会や私たちに対する「問い」から生まれた何かがそこにはあった。それは例えば「人が情報をパーソナルに身にまとって発信するようになったら世界はどのようになるのか」という問いだったのかもしれません。そんな問いがiPhoneにあったように私は感じます。

今、情報がビジネスや金融と高度に結び付くことで、さまざまな業務や事業が合理化され最適化されています。今の社会は「結果」や「効率」だけを単純に追い求め、「解決」ばかりを提供しようとしていないでしょうか。テレビを見ていても、「問い」を投げかけて深く考えさせる番組はほとんどなく、いたるところで「解」を短時間で見せているだけに思えます。アートのように深く感じさせて考えさせるものが世の中で少なくなっているような気がするのですが、イノベーションを生み出すのは「問題解決」からではなく、「問い」なのではないかと思うのです。

物事を合理的に考えていけば人間の仕事をすべてAIに置き換えられるかもしれませんが、それでも人は最後まで人間にしかできないことを求めるでしょうし、最後に残る仕事が何かと言えば、それは答えのない「問い」を見つけて、今までになかった表現方法でそれを提示し、人々をうならせるような、言い換えればアートのような仕事だと思います。それが人間らしさなのかもしれないですし、少なくともコンピューターは答えのないものが苦手です。

私は、一般の方が現代においてアートに触れる意味は、そこにあると思っています。アートに触れて「問い」を感じる。その感性はやがて社会の事象や出来事から「問い」を感じ取り、そこから生活や仕事につながるアイデアの創出力を育むようになる。2020年にパンデミックを起こした新型コロナウイルスの感染拡大やAI技術の進展からも、私たちは「問い」を感じ取って、今までにない何かを作り出すことができるはずです。

病気とは何か。都市とは何か。働くとは何か。生きるとは何か。お金とは何か。家族とは何か。友人とは何か。学校とは何か。コミュニティーとは何か。人間とは何か……。アーティストが投げかける問いのようなものを私たちが持てるようになれば、これまでの生活スタイルや仕事のやり方が変わっていくはずです。それを「アート思考」と呼ぶのであれば、ぜひ多くの方にアートを通してアート思考を身に付けてほしいと願います。

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私の父親は東京の銀座で「吉井画廊」というギャラリーを営んでいました。自宅にはいつも美術作品がいたるところにあり、私は父が招いた芸術家や作家の方たちによく遊んでいただきました。

岡本太郎さんもその一人でした。岡本さんは、なんとも言葉では表しにくいのですが、どこか「覚悟」のようなものを、まるで自分を追い込むように持っているといつも感じていました。今思えば、その覚悟は当時の画壇や社会に対する「問い」だったのではないかと思います。その「問い」が、岡本さんの作品や活動、生き方に現れ、今も多くの方に共感され続けていると、私にはそう見えます。

「問い」は、「答え」よりも時を超えて大きな力を持ち得ます。その「問い」が社会的かつ本質的なものであればあるほど、人々を驚かせたり、今まで感じたことのない感情を与えたり、今まで思考したことのないものを考えさせたり、感動させたり、新しい世界を見させたりできます。

このアートが持つ力について、本書でこれから語ることが、読者の方にとって「アート思考」を身に付けるきっかけになればと思っています。

〈問い〉から始めるアート思考◇目次

【第一章】  アートは未来を提示する
【第二章】「現代アート」の終焉
【第三章】「アート思考」とは意識の壁を壊すこと
【第四章】  都市は本当に必要か?
【第五章】  芸術祭とは何か
【第六章】〈観る〉から始める
【終    章】  アート思考とは「問い」である

著者プロフィール

吉井仁実(よしいひろみ)
1967年東京都生まれ。アートディレクター。清春芸術村理事長。
HOKUTO ART PROGRAM 総合ディレクター。
現代アートギャラリーhiromiyoshiiを運営。
印象派、近代美術を扱う銀座の吉井画廊勤務を経て、
1999年、HIROMI YOSHII EDITIONを設立。
2010年、六本木にhiromiyoshii roppongiを開廊。
2016年、アート&サイエンスギャラリー〈AXIOM〉を設立。

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