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岩田健太郎『「感染症パニック」を防げ!』の「はじめに」を全文公開

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こんにちは、岩田健太郎です。

このごろは、会う人、会う人に「コロナウイルス怖いですねー、パニックになってますよ」と言われます。感染症は原因が目視できないため、危機の全貌が見えにくい。よって、他のリスクに比べても特にパニックを起こしやすいようです。感染者への偏見や差別が生じやすいのも昔からで、典型例はハンセン病やエイズですね。

本書『「感染症パニック」を防げ!――リスクコミュニケーション入門』は、ずいぶん前(2014年夏~秋)に書いたものですが、現在のコロナウイルス問題の「パニック」とまっとうに対峙するには十分な内容だと僭越ながら思っています。感染症リスクには「怖さ」はありますが、「パニック」を起こす根拠はどこにもありません。それをご理解いただけることと思います。

一般の方が読んでくださっても十分理解できるよう難しい表現は特に使っていませんし、公衆衛生や医療のプロが読んでも得るものは少なくないとも思います。ぜひ一度御覧ください。

2020年2月 岩田健太郎

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はじめに


なぜ今、感染症か。なぜ今、リスク・コミュニケーションなのか

岩田健太郎といいます。感染症などを担当している医者で、リスク・コミュニケーションの研究もしています。

ではなぜ今、感染症なのか。そしてリスク・コミュニケーションなのか。

本書を執筆し始めた2014年8月、私はあちこちの医療者、医療機関から、エボラ出血熱に関する問い合わせを受けていました。

同年3月以降、西アフリカ各地でエボラ出血熱の流行が続いていたのです。ギニア、リベリア、シエラレオネなどで多数の患者が見つかりました。

エボラ出血熱は死亡率が高く、半数以上の患者は死亡すると言われてきました。現地で感染、発症したアメリカ人も母国に搬送され、エモリー大学病院で治療を受けました。スペイン人の神父はアフリカでエボラ出血熱に罹患、帰国してマドリードで治療を受けていましたが、死亡しました。日本でもにわかに注目が集まっています。

エボラ出血熱は、エボラ・ウイルスと呼ばれるウイルス感染症です。1976年に初めて見つかったこの病気は、流行したザイールの河川の名前をとって「エボラ」と名付けられました。

その後、ノンフィクションの『ホット・ゾーン』(リチャード・プレストン著、高見浩訳、飛鳥新社)や映画の『アウトブレイク』(ウォルフガング・ペーターゼン監督、ダスティン・ホフマン主演、1995年)などにより、一般の人たちにも有名になりました。もっとも、映画の方はエボラを参考にした架空のウイルスですけど。私も学生時代に、ペーパーバック版の『ホット・ゾーン』を読んで、この感染症を知りました。

さて、私は2001年のアメリカで、9・11の飛行機テロの後に起きた「炭疽菌によるバイオテロ」対策に関与しました。2003年には北京で「SARS」対策にも従事しました。2009年には神戸市で見つかった「新型インフルエンザ」症例の対策にも関わりました。──こうやって考えてみると、岩田は行く先々で感染症の流行に見舞われていますね。呪われているというべきか、感染症の神様にもてあそばれているというか。

炭疽、SARS、インフルエンザ、とそれぞれ感染症の種類は異なりますが、共通していたのが「パニック」です。ニューヨークでは、炭疽菌感染と関連が疑われた「白い粉」にアメリカ人たちがパニクりまくり、ドーナツの粉にまで怯える始末でした。SARS流行時の北京の繁華街「王府井(ワンフーチン)」はゴーストタウンのようになり、それはインフルエンザ流行時の三宮(神戸)も同様でした。

パニックは、クールで理性的な対応を難しくし、人々はよけいな苦労に苦しんだのです。その苦労は、感染症の実被害以上の苦しみを人々に与えました。

2001年の「バイオテロ」の被害者は22名、死亡者はそのうち5名でした。あれだけ全米、いや、世界中が恐怖した問題の被害としては、極めて少ない被害者数と言えないでしょうか。

こうした体験から私は学習しました。感染症のリスクを扱うときは、単に患者を診断し、病原体を見つけ、その病原体を殺して治療する以上の何かが必要であると。感染症の実被害以上に問題となる「パニック」と対峙することが大事であると。

それはすなわち、「コミュニケーション」を扱うことと同義であります。

もちろん、パニックが起きさえしなければよい、というものではありません。逆に感染症のリスクに不感症になって、リスク回避行動を全くとらないのも困ります。

パニックや不感症との対峙──リスクをどう捉え、伝えるか

日本では、先進国ではまれな麻疹や風疹、水痘(水ぼうそう)などが、現在もときどき流行しています。2008年に私が神戸大学に赴任したときも、学内で麻疹が流行しました。学内の対策会議で「また麻疹が流行っています」という緊張感を欠くコメントを耳にした私は、麻疹のリスクに日本人がとても不感症になっていることに気がつきました。

諸外国では、麻疹は「起きてはいけない病気」であり、例えばアメリカでは、麻疹抗体検査かワクチン接種の証明書を提出しないと、大学には入学できません。ところが神戸大学では、2007年に麻疹の流行が起こり、さらに翌年の2008年にも流行が起きていたのです。「またか」という感じで。本来なら、2007年の流行の時点で抜本的な対策をとり、「二度と流行が起きない」状態にするべきであったのに、です。

そこで私は発言しました。先進国で麻疹が流行するのは非常識であると。国際都市神戸の、海外からの留学生も多い神戸大学で、その流行を看過するのも非常識であると。したがって、麻疹対策は「二度と麻疹が流行しない」ことを目標にしなければならない、その目標から逆算して、方策を決定すべきである──こう私は意見したのです。

結局、他の先生方の支援も受けて、神戸大学では徹底的な感染症対策がなされるようになりました。現在、神戸大学では、学生の入学時、職員の入職時には、麻疹などの感染症の血液中の抗体か予防接種証明を、(原則として)必要とするようになりました。制度設計には手間もお金もかかりましたが、立てられた目標から逆算すると、それは必要なコストであると了解されたのです。その後、学内では麻疹の流行は起きていません。

このように、リスクに対してはパニックになってもよくありませんし、不感症になってもいけません。恐れ過ぎても、楽観的過ぎてもよくありません。

では「どのくらい恐れる」のが適切な恐れ方なのか。

「恐れ」は主観です。主観に「正しい主観」とか「間違った主観」とかは存在するのでしょうか。いったい専門家は、一般の方にどういうメッセージを伝え、「どのくらい恐れろ」と言うべきなのでしょうか。

この難問に答えようとしたのが、本書『「感染症パニック」を防げ! リスク・コミュニケーション入門』です。

感染症にまつわるリスクを検討し、「どのくらい恐れろ」と言うべきか。どのようなコミュニケーションをとるべきか。感染症という専門領域と、リスク・コミュニケーションという専門領域の、両方から考えてみました。

感染症の専門家が読むと、とても参考になると思います。感染症のプロでなくても、「その他のリスク」を扱う方にとって本書は、リスク・コミュニケーションそのものの要諦は同じなので、一般化、応用できる事項は多いと思います。

さらに、リスクやコミュニケーション一般に興味がある、一般の方々が読んでも、本書は、読みやすくて分かりやすい内容になっていると思います。なにしろ、コミュニケーションは伝わってなんぼですから、「伝え方」については本書でもとても気を遣っています。

感染症の専門家は、感染症や原因微生物、その診断や治療、予防については、高い専門知識や技術を持っています。しかし、感染症においては、感染症「だけ」見ていてはいけません。単に感染症を診断したり治療するだけでは不十分なのです。その周囲にあるコミュニケーションに配慮し、いかに効果的にそれを行なうかもとても大切になるのです。

なぜ医療現場のリスコミはうまくいかないのか

リスク・コミュニケーション(=リスコミ)という用語は、医療者の間ではとても有名です。だれもがコミュニケーションの重要性を口にします。

しかし、そのわりに「効果的な」コミュニケーションはとられていません。リスク・コミュニケーション関連の文献やプレゼンテーションを見ていても、どうも「ポイント」を外しているような気がしてなりません。

リスクを扱ううえで、コミュニケーションは「効果的」でなければなりません。ただ、「コミュニケーションをとりました」ではダメなのです。

では、どうして医療現場のリスク・コミュニケーションはうまくいっていないのでしょう。リスコミに関するレクチャーや資料もなぜ、なんとなく「ピントを外している」のでしょうか。

それは、海外のリスク・コミュニケーションの資料や文献を、「そのまんま」直輸入しようとしているからだと思います。

こうした海外の教科書の引用や、専門家の「分析」、用語の「分類」を並べた文献を読み、プレゼンテーションを聞けば、リスク・コミュニケーションという学問領域には明るくなり、お勉強はできます。

しかし、お勉強をすることと実際にやること、実際にやることと実際に「できること」にはギャップがあります。お勉強をして専門用語に詳しくなったんだけど、結局「結果が出ていない」ということはよくあることです。

それは「人の心に届く」メッセージか

例えば、あるリスク・コミュニケーション関係のスライドには、次のようなことが書いてありました。

リスク・コミュニケーションとは、個人、集団、機関の間における情報や意見のやり取りの相互作用の過程である(略)。ポイントは「相互作用的過程」。単にリスクやそれに関係する意見交換や情報交換にとどまらず、利害関係者(stakeholders)がお互いに働きかけあい、影響を及ぼし合いながら、建設的に継続されるやり取り

私はこれを読んで「全然いけてないなあ」「言葉が上滑りしているなあ」と嘆息しました。

とにかく、日本語の遣い方が絶望的によくありません。おそらくどこか英文の教科書からとってきて直訳したんでしょう。

「相互作用の過程」は、さしずめ「interactive process」か何かでしょうか。第一、「process」を「過程」と訳すのがよくない。このときは「相互作用」と訳すだけでいいんです。「それに関係する」もよくない言葉ですね。「その」と言いさえすればいいんです。

こういう細かい配慮がないところが「いけてないなあ」と感じさせてしまう。コミュニケーションを語っているのに、コミュニケーションが稚拙であるという逆説です。

日本のリスク・コミュニケーションの教材の多くは、このような「上滑りした」コンテンツです。情報を呑み込んで、そのまま吐き出しているだけなんです。咀嚼(そしゃく)して、消化して、自分のものにして、自分の言葉に換えたメッセージになっていないんです。

「自分の言葉」になっていない言葉を遣ったメッセージが、人の心に届くわけがありません。人の心に届かないメッセージが、人を動かすはずはありません。人を動かさないメッセージが、「効果的な」リスク・コミュニケーションを生むはずがないんです。

一般的なコミュニケーションでも、「人の心に届く」ことが重要です。リスク・コミュニケーションはあくまでも、コミュニケーションの一亜型に過ぎません。普通のコミュニケーションがちゃんとできていないのに、リスコミだけできる、という法はありません。

言葉遣いの細やかさや音の響きに配慮せずに、リスコミやコミュニケーション一般を語るのは、いわば「論語読みの論語知らず」ではないでしょうか。「効果的なレクチャーについて」というつまらない講義を聞くような思いがします。

「一所懸命やりました」のその先へ──技術、準備、訓練、応用、精神、真心……

どちらかというと、日本ではあるカテゴリーについて、「やりました」で満足してしまう傾向があります。

日本の多くの医療機関では、「感染対策」というと、感染対策チームを作ることや感染対策のための会議をすることだと勘違いしています。チームを作ったり会議を開くのは、感染対策の手段に過ぎません。その結果、感染症や薬剤耐性菌が減るという「結果(アウトカム)」を得ることが目的なのです。

その結果を得ないまま、ひどいときには結果を吟味すらせずに、「一所懸命、感染対策やってます」と言って満足してしまうんです。手段と目的の顛倒ですね。

日本の医療者はどこかアマチュアなところがあって、「一所懸命やっているからいいんだ」と考えてしまいがちです。しかし、一所懸命やるのは前提であり、これも目的ではありません。目的は「一所懸命やった」その先にあります。

高校野球はアマチュアスポーツなので、炎天下で一所懸命やっていること「そのもの」が感動の対象になります。まずいエラーをやっても、試合に負けても、「一所懸命やった」ことで許される。

しかし、プロ野球の世界では、「一所懸命やりました」だけではファンは許してくれないはずです。私が日本の医療者にどこかアマチュアリズムを感じてしまうのは、そのためです。

リスク・コミュニケーションにおいても同様なものを感じます。「リスコミについての講義を聞きました」とか「専門用語を覚えました」だけで満足してしまう。その先にある結果が出ていない。結果を求めてすら、いない。

まだまだ、日本では効果的な(すなわち役に立って結果が出る)リスク・コミュニケーションは普及、定着していないのです。それは、感染症領域についても同様です。

感染症の周囲にあるパニックや不感症をどれだけ減らすことができたのか。感染対策にどのくらい寄与したのか。そういう結果が十分に求められておらず、吟味も十分でなく、プロフェッショナルな内省が足りません。

リスク・コミュニケーションにおいては、単に「お勉強」するだけでは不十分です。コミュニケーションには技術が必要です。準備や訓練も必要です。刻々と変化する状況に対する機微や応用も必要です(教科書のまんまやっていてはいけません)。背後にある精神や真心も必要です(精神や真心を欠いたコミュニケーションに、よいコミュニケーションがありえないことから、それは当然です)。もちろん、感染症におけるリスク・コミュニケーションにおいてもそれは同様です。

本書は、このような「リアルで」「効果的な」感染症のリスク・コミュニケーションを論じています。感染症の恐怖におののく一般の方にも、感染症のリスクを伝える立場の専門家の方にも、等しくお役に立てれば幸甚です。

第1章(1)リスク・コミュニケーションとは何か? につづく…

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「感染症パニック」を防げ!――リスクコミュニケーション入門


目  次

はじめに

なぜ今、感染症か。なぜ今、リスク・コミュニケーションなのか 
パニックや不感症との対峙──リスクをどう捉え、伝えるか 
なぜ医療現場のリスコミはうまくいかないのか 
それは「人の心に届く」メッセージか 
「一所懸命やりました」のその先へ──技術、準備、訓練、応用、精神、真心…… 

第1章 リスク・コミュニケーション入門
   
(1)リスク・コミュニケーションとは何か? 

なぜ、効果的なリスコミが大切なのか 
なぜ、感染症か 
リスク・コミュニケーションとは? 
無関係な人の参画で生じるさらなるリスク 
「説得」「納得」「合意」──相手あってのさまざまな形 
リスク・コミュニケーションのバリエーション 
とはいえ、分類は程度の問題です 
医療におけるリスク・コミュニケーション 

(2)リスクを見積もる、リスクに対応する 

リスク・コミュニケーション、リスク・マネージメント、リスク・アセスメント 
リスクの見積もり方──リスク・アセスメント 
「起こりやすさ」と「起きると大変」をごっちゃにしない 
検討すべきさまざまな要素 
アセスメントは幅を持たせ、マネージメントは複数の選択肢を用意する 
臨床医学と「可能性の重み」 
出来の悪い研修医のアセスメント 
理想はフットワークの軽いボクサー
 
(3)効果的なリスク・コミュニケーションのために 

信頼されていることが大事 
過去の失敗から学習する 
リスク・コミュニケーションを効果的に行なう3つのポイント 
だれが聞き手なのか 
状況はどうなっているのか 
些末な情報にとらわれない 
正確な状況把握もやはり大事
主観を主観としていっしょに伝える 
数の扱いについて──慣れるまでややこしい 
検査の数字も理解が必要 
感染症の状況把握──基本は、人、場所、時間 
だれに起きたのか 
定義に振り回されない、しかし言葉のニュアンスには注意 
どこで起きたのか 
いつ起きたのか 
状況把握は難しい──間違いを認めないことがダメージを増やす 
リスクとダイナミクス 
状況把握だけではダメ──「なんのために」を常に問い返す 
アウトカム設定のない日本の感染対策 
プロフェッショナルなリスク・コミュニケーションを日本にも
 
(4)聞き手を動かすコミュニケーション 

メンタル・モデル・アプローチ 
相手のメンタル・モデルを聞き出す 
一方的な情報はコミュニケーションとは呼ばない 
クライシス・コミュニケーションのあり方と聞き手 
くり返しと微調整 
3つのチャレンジ・アプローチ 
伝える技術 
効果的なプレゼンテーション 
上手に質問できない日本人、医師、官僚 
「井の中の蛙」は質問ができない 
リスク・マネージメントとは「自分の知らない領域の自覚」 
答えが出ない問題と取っ組み合う力 
時間効率を考える
 
(5)価値観・感情とリスク・コミュニケーション 

社会構成主義的アプローチ 
文脈・文化によるリスクの扱い方の違い 
相手の言い分を聞いて初めて成立するコミュニケーション 
価値観と権利を大事にする 
危険と怒り 
リスク下では人は上手に情報をキャッチできない 
沈黙してはいけない 
社会信頼アプローチ──感情・情緒がものを決める 
理詰めの背景にある感情・信念──アメリカ 
関係性と、重要性
 
(6)リスクを伝えるリスク
 

リスク・コミュニケーションを阻む障壁 
所属団体の方を向いてしまうリスク 
上司のサポートは不可欠 
組織内でのコヒーレンス(一貫性) 
外部に対するコヒーレンス 
情報提供は効果的に──ひと工夫して誤解を避ける 
記者会見のあり方──友好的に、しかし毅然と 
会見では現状分析、目標を伝える 
怖いところ、怖くないところを伝える 
病院内でのリスク・コミュニケーション 
病院全体でリスク・マネージメントを行なう形に 
「公衆には伝わらない」というあきらめは、適切か? 
パニックになった人々を相手にするには 
アパシーを克服する 
リスク・アセスメントに対する不信感 
受け入れられるリスクの違い 
科学そのものへの不信──科学者以外を巻き込んで啓発する 
言葉の難しさ──意味の違い、解釈の違い 
スティグマ、偏見によるリスクを減らす
 
(7)優れたリスク・コミュニケーターであるために
 
リスク・コミュニケーションと倫理 
言い方の問題──イメージの変化を活用する 
リスク・コミュニケーターと見た目、態度 
記者会見はタフな営為 
プレゼンターの選択──よけいな露出は避ける 
プレゼンテーションの準備──スライドよりトーク 
誠実に見えるプレゼン、効果的なスライド 
質疑応答を大切にする 
曖昧さと誠実に向き合う 
ビデオ・プレゼンテーション──どこでも何度でも再生できる 
メディアとのつき合い方──影響力を上手く活用する 
メディア関係者との距離感 
情報発信のさまざまな手段──新しいメディアの可能性 
医学知識・情報を必ず最新のものにしておく 
英語力は絶対に必要──勉強するしかない 
デマを発信する人は英語力が弱い 
アナロジーの罠──通じない人には全く通じない 
トンデモと対峙する 
ワークショップ──あくまでも手段として 
専門家会議──会議のための会議にしない 
インターネット時代の情報提供 


第2章 感染症におけるリスク・コミュニケーション《実践編》

【エボラ出血熱】 
【1999年の西ナイル熱】 
【2001年のバイオテロ(炭疽菌)】 
【2003年のSARS】 

【2009年の新型インフルエンザ】 
【2014年のデング熱】  


参考文献 
あとがき
 


↓ Kindle版もあります

【あわせてお読みください】
つづき① 岩田健太郎『「感染症パニック」を防げ!』の第1章(1)を全文公開
つづき② 岩田健太郎『「感染症パニック」を防げ!』の第1章(2)を全文公開
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