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光文社新書な日々、はじまります!|新入社員は新書の新人 #1

こんにちは、江口です。

最近は自家製梅酒を仕込むなどしています。飲み頃は半年先とのことですが、とても待ちきれません。瓶をただよう梅を眺めていると、市販の梅酒がすすみます。漬けるまでもなく、こっちを飲めばいいのかも。そう思わないこともないのですが……。

という具合にはじめてみたところで、「……いや、誰?」となるのも無理からぬ話。この光文社新書noteを隅から隅までお読みくださっている方でも、わたしの名前には覚えがないはずです。

それもそのはず。というのも、わたしが新書編集部に配属されたのはこの6月1日。しかも、入社自体も今年の4月なんです。いわゆる「新卒」というやつですね。「毎度お馴染みの……」という体で書き出しましたが、これが記念すべき初投稿になります。(何を考えているんだ……。)

謎のはじめ方をしてしまったので、あらためてご挨拶を。

はじめまして、光文社新書の江口と申します。「入社員」から「書の人」になったばかりです。「『』のつく肩書ともさよならだな」と思っていたのですが、むしろひとつ増えてしまいました……。かといって、フレッシュさが倍増するわけではないのが辛いところ。右も左も分からないなりに、せめて前後不覚には陥らないよう、なんとか日々を積み重ねています(梅を漬けてる場合じゃないんです、本当に)。

編集部ってどんなところ?」「編集者って何してるの?」「1冊の本ができるまでには、どんな工程が必要なの?」などなど。入社前から抱えてきた素朴すぎる疑問を、ひとつずつ解消させている毎日です。およそ「編集者」と称するのも憚られる状態なのですが、偉大な先輩方もこの道を通ったはず、と自分に言い聞かせています。……通ってますよね?

▲柿内芳文さんですら、新人時代は「仕事のふり」をしていたとのこと。柿内さんがやっていたメルマガの返信でこそないですが、このnote執筆も逃避行の一種かもしれません……。

頭に大量の「?」を抱えた今のわたしには、編集部で目にするすべてが新鮮です。しかし、その「」は「」に変わり、いずれは当たり前のものとして消えていくことでしょう。当然ながら、仕事にも慣れていくはずです。もちろん、そうでないと困るわけですが。

というわけで、半人前ですらない「新書の新人」が、なんとか一人前の「新書編集部員」になるまでの日々を、連載として書き残しておきたいと思います。そしてせっかくなら、その生活をnote読者のみなさまにも楽しんでいただきたい……。そんな思いとともにはじまる企画です。新たな気づき、新鮮な発見を記録しながら、いつか「新」のとれるその日まで。今のわたしだからこそ書けるものを綴っていきます。

初回となる今回は、配属が決まるまでの2か月について書いてみたいと思います。この期間にも、新書とのかかわりは結構ありました。「覚えることしかない」という状態だった直近1か月のことは、また追い追い書いていきます。

出版社に入ったら、まず何をするか?

と、あらためて問うまでもなく、研修です。まあ、当然といいますか……。そこは出版社とて例外ではありません。(昔は春休みに研修を済ませて、4月1日には配属されていたらしいのですが、ふつうに恐ろしいですね。)

4月1日の午前に入社式を終えると、午後からはさっそく研修がはじまります。研修ではさまざまなことをするわけですが、とにかく「書く」機会が多いです。

各部署で活躍する方々の講義で、感想を書く。
各部署にお邪魔すると、そこで企画書を書く。
各部署の研修が終われば、その報告書を書く。

研修期間中は、毎日ひたすら何かを書いていた気がします。それでも一昔前に比べると、格段に量が減ったというのだから驚きです。しかも昔は手書きだったわけですから……。間違いなく腱鞘炎コースです。それをくぐり抜けていると思うと、飄々としているベテラン社員のみなさんが、なんだかスゴイ人たちに思えてきます。(いや、実際にそうなのですが。)

作文は偉い方々のあいだで回覧されるらしく、あまり似たような構成を使っていると「またそのパターンね」と言われてしまいます。というか、実際に言われました。毎日毎日、知恵を絞りながら、なんとか読んでもらえるものを、と呻吟していた覚えがあります。

「書く」研修が1週間もつづくと、こんどは「読む」ほうに飢えてきます。そんなタイミングで迎えたのが、出版局の部署研修。新書編集部と古典新訳文庫編集部に、合わせて1週間ほどお邪魔しました。このふたつを志望して入社した身には、まさにオアシス。どちらの部署でも、まだ本になる前の原稿を読ませていただきました。絞りに絞って枯渇寸前だった脳に、ひたすら文字を吸収する時間がありがたかったです。

そのときに読んだのが、アルバート・ブーラの『Moonshot』。原稿を読みながら、気になったところを適宜指摘していきます。

ファイザーのCEOが明かすワクチン開発の舞台裏は劇的で、「おいおい、大丈夫なのか?」と思うこともしばしば。あれだけのスピードで量産に移れたことが、いかに奇跡的なことだったか。決断に次ぐ決断が活写されます。慣れない仕事に手間取りながらも、その内容に夢中になって読み進めたのを覚えています。(わたしが接種したワクチンが、3回ともモデルナだったのはここだけの話。)

新書編集部での研修は、4月の中旬。「すぐには無理でも、いずれはここで……!」と、名残惜しく編集部を去りました。まさか、それから1か月ちょっとで、再びお邪魔することになるとは。新人として編集部に舞い戻ったとき、すぐに目に入ったのが例の『Moonshot』。無事に本の形になって、見本としてフロアの一角に山積みされていました。「あの紙の束が、こんな立派な本に……」。出版社に入ったことを実感した瞬間です。

▲アルバート・ブーラ『Moonshot』。6月に出たばかりです。ちらりと見える『データ管理は私たちを幸福にするか?』も、研修期間中に原稿を読ませていただきました。こちらも、まさに今読まれるべき本になっています。

研修中、新書とのつながりは、また意外なところにもありました。

それは、営業系の「マーケティング局」にお邪魔したときのこと。ここでの研修内容は、書店さまへの営業を体験するべく、受注FAXとPOPを作製するというもの。そしてそのときの対象書目が、稲田豊史さんの『映画を早送りで観る人たち』でした。

既に売れている本でしたが、さらに売り上げを伸ばしたい。というわけで、新入社員は銘々にPOPを自作することに。もちろん、その後は書店様にお邪魔しまして、設置をお願いして回るところまでがセットです。

どうやったら、すこしでも店頭で目立つのか。どうやったら、すこしでも関心をもってもらえるのか。さんざん頭を悩ませた末、きらきら反射するDVDを使うことに。そしてこのDVDを欠けさせることで、「早送り」で抜け落ちてしまうものを表現しようという魂胆でした。

しかしこの作業が、想像以上に大変でして。カッターの刃で何度なぞっても、なかなか綺麗に切れてくれません。かといって無理やり割ろうとすると、接着されているDVDの層が剥離してしまいます。(DVDが2層構造だって、ご存じでしたか? これも新たな気づき(?)です。)

仕方がないので、結構な力を加えつつカッターを握り、延々と切れ込みを入れていきます。そのせいもあって、翌日には腱鞘炎のような状態に。研修作文が腱鞘炎から解放されたというのに、まさかここにきて……。(興味のある方は、DVDを切ってみるというのも、なかなか珍しい経験になるかもしれません。決しておすすめはしませんが。)

▲研修で作製した、『映画を早送りで観る人たち』のPOP。鋭利な切り口にやすりをかけたり、テキストの縁を角丸にしたり。研修中だから許された贅沢で、さすがに時間をかけすぎたと反省しています。

とはいえ完成したPOPは、おかげさまで書店に並べていただくことが叶いました。長年、ひとりの客として通ってきた店頭に、自作のPOPが並んでいる。さすがに感動的な光景でした。本はつくって終わりではなく、しっかりと書店様に、そして何より読者のみなさまに届けるところまでがセットなのだよな、と、あらためて実感しました。

▲紀伊國屋書店新宿本店さまの特設コーナー。感無量です。同じく新宿のブックファーストさま、池袋の旭屋書店さま、三省堂書店さま、ジュンク堂書店さまも、こころよくPOPを受け取ってくださりました。ありがとうございます!

と、駆け足ではありますが、わたしが研修期間に何をやっていたのか、本当にざっと振り返ってみました。今回は、新書とのかかわりで、という縛りで思い返しましたが、もちろんほかにもさまざまなことを体験しています。ファッション誌はもちろん、実は光文社の主力となっているK-POP事業関連の研修まで。「出版社」が手掛けていることの幅の広さに、驚きっぱなしの2か月間でした。

そしてそんな研修期間を経て、新入社員はそれぞれの部署に配属されます。とはいえそれは、ようやく立ったスタートラインです。おおまかな仕事内容は分かっていても、実際に仕事をするとなれば話は別。というか、理解している仕事内容も、本当に「おおまか」ですから。世の新入社員もそれを教える先輩社員も、なんて偉大なんだ、と身に染みて感じます。

この連載の企画書には、以下のようなことを書きました。

はじめて自転車に乗る子どものように、前に進むことすら覚束ない新書の新人。補助輪もとい補助人の先輩方に助けられながら、ようやく漕ぎはじめたばかり。免許証が発行されるわけではない「編集者」という仕事で、なんとか自走できるまでの日々を綴っていきます。

一輪車のような曲芸も、四輪駆動のような安定も遥か彼方。それでもひとまずは「補助輪をはずすまで」、不格好な自転車乗りにお付き合いいただけますと幸いです。

とまりません。

と、ここまでが本編になります。とはいえ、せっかく連載するのであれば、何かコーナーのようなものがあってもよいのではないか? というわけで、毎回1冊、わたしの人生に深くかかわってきた本をご紹介していきます。

はじめは光文社新書に限って紹介するつもりだったのですが、「せっかくならやりたいように」という編集長の理解もありまして、本当に忖度なしでの選書になります。その寛大さに感謝です。(それに弊社の新書に関しては、「コトバのチカラ」という網羅的な企画がありますからね。)

「この本がなければ、出版社を志望しなかったかもしれない」。そんな、心からおすすめできる本ばかりを集めるつもりです。もしも惹かれるものがあれば、是非、読んでみてください。後悔はさせません。

さて、記念すべき1冊目はこちら。

管啓次郎本は読めないものだから心配するな』、左右社、2011年。

まず、タイトルが反則ですよね。好んで本を読む人にならば、一度は首をもたげたことがあるだろう「わたしは本を読めているのか?」「果たしてどれくらいの本を読めるのか?」という、焦燥にも似た疑念。著者の穏やかな語り口は、それにそっと寄り添うようです。

「いま、ここ」に欠落を覚えるかぎり、われわれは本を買い、ふと我にかえって青ざめ、しょいこんでしまった未踏の未来に愕然とする。それでも本を買うことは、たとえばタンポポの綿毛を吹いて風に飛ばすことにも似ている。この行為には陽光があり、遠い青空や地平線がある。心を外に連れ出してくれる動きがある。それはこの場所この現在を、別の可能性へと強引にむすびつけてくれる。

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エッセイとも、批評とも、そして詩集ともとれる1冊。「本を読む」ことの楽しみを存分に味わうことのできる、おすすめの1冊です

そしてこの本には、内容以外にも思い入れがあります。ある日のこと。書店でこの本を見つけたわたしは、迷うことなく手に取り、ざっと目を通しました。そして「これは買わねば」と決心するまでは一瞬。迷うことなくレジへ。……となるはずが、当時のわたしは万年金欠の大学生。すでに前の書店で本を買ったがために、持ち合わせがまるで足りませんでした。

仕方がないので、翌週になって同書店を再訪しました。しかし、肝心の本が見当たりません。「なるほど、そりゃあ売れるよな」と、この本の魅力を再確認したのも束の間。調べてみると、版元のHPでは「品切」表示。たまたま残っていた1冊を、みすみす買い逃してしまったようです。

とはいえ、さすがに諦めきれません。ご迷惑と承知のうえで、版元の左右社さまに、増刷を検討してほしい旨のメールを差し上げました。すると翌日には返信がありまして、在庫品をお譲りくださるとのこと。担当者さまの丁寧きわまる対応とともに、とても思い出深い1冊になっています。

そんな『本は読めないものだから心配するな』ですが、昨年には版元を替え、ちくま文庫にて復刊されています。(毎度のことですが、筑摩書房さまに五体投地。)手に入れやすくなったこの機会に、お手にとってみてはいかがでしょうか。

初回ということで張り切ったのでしょうか、いささか長くなってしまいました。次からは、もうすこしコンパクトに収まるはずです。ここまでお読みくださったみなさま、ありがとうございました。

それでは、またお目にかかれるのを、楽しみにしています!

(新書の新人 江口)

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