【#15】ぼくは、あのとき人生の匂いを嗅いだのだろうか
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【#15】ぼくは、あのとき人生の匂いを嗅いだのだろうか

嬉野珈琲店へようこそ。
マスターは大の珈琲好きである「水曜どうでしょう」カメラ担当ディレクターの嬉野雅道さん。店ではこだわりの珈琲を淹れながら、マスターが人生のあれこれについてじっくりと語ります。マスター独特の視点から語られる、胸に詰まった息がすっと抜けるお話――。今回は一心不乱に川を泳ぎ上る鮭がお話の鍵を握ります。

知床半島のウトロからとりとめのない話は始まる

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先日、仕事で知床半島のウトロというところへ行ってきました。ウトロは、温泉街もあり知床八景の観光の拠点で、今から30年ほど昔になりますが、女房と新婚旅行で一緒に来たことのある町です。あのときは運転する女房のバイクの荷台に乗り、二人乗りで日本をぐるりと一周する旅の途中で立ち寄ったのでした。

東京を出発したぼくらは、雨の川越街道を走り、福島会津若松、秋田象潟きさかた角館かくのだてと東北を北上し青森から青函フェリーで函館に上陸したのです。それは、ぼくの生まれて初めての北海道体験の始まりでもありました。ぼくはもうそのとき30歳でしたが、自分が北海道に上陸したんだという事実に妙に高揚していたことを覚えています。

翌日、洞爺湖とうやこを見て、中山峠を越え、夕暮れの小樽を経由し、陽が落ちる頃に札幌に入り、夜はススキノで寿司をたべました。一夜明けて翌朝に札幌時計台を見て、大通公園で焼いたトウキビを食べ、そのまま旭川、名寄なよろと内陸を北上し、手塩から日本海に出てサロベツを目指し海沿いの道を北上しました。夕陽が傾いてゆく日本海に利尻富士が見えました。道路沿いの砂地に赤いハマナスの花が咲いていました。ぼくらはサロベツ原野にテントを張ってキャンプをしました。日本海に夕陽が沈み、そのあとに夜の空と月がのこりました。

翌日は、稚内を越えて、日本最北端の地、宗谷岬を回り、枝幸えさしの町で、お風呂屋さんが経営していたライダーハウスに泊まりました。当時、旅の間だけ夫婦でつけていた旅日記を見返すと、ぼくら夫婦は翌日、枝幸町から紋別、サロマ湖、網走と、オホーツク海沿いに200キロほど南下して走り、斜里の町を抜けてウトロへやって来たようです。

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盛夏のころでしたから知床半島の日は長く、ぼくら夫婦は午後3時にウトロに着いて、そこから知床八景のひとつ、カムイワッカの湯の滝の一番上の湯壷を目指して沢登りをしたようです。

「バイクを降りて夫婦で水着になり滝壺まで30分ほど沢を登る。森の中の道を登って行く観光客を横目に、暖かい沢水の流れの中に足を入れて海パン一丁のサンダル履きでスタスタと沢を登って行く気分は爽快だった」

そんなふうに、ぼくは旅日記に書いています。今はもう諸々の事情で立ち入り禁止になってしまった一番上の湯壷へも30年前はまだ自由に行けたのです。しかし、たどり着いても、そこは、いわゆる「野趣溢れる秘湯」というやつで、そばには脱衣所なんかありませんでしたから、湯壷を目指して汗だくで歩いてきた人たちも、集まった他の大勢の観光客たちの前で裸になろうという強者はおらず、大きな湯壷の中で、ニコニコ気持ちよく立ち泳ぎしていたぼくら水着夫婦を、うらやましそうに眺めていたことを今もハッキリ覚えています。湯壺の中は天然の湯加減とは思えないほど実に良い湯加減だったのです。

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「湯上がり気分で沢を下りてゆく帰り道。ふと振り返ると青空の途中から勢い良く流れ落ちてくるカムイワッカの湯の流れがゴツゴツとした岩肌を滑り、沢を下るぼくの足下を流れ過ぎて落ちてゆく。見下ろせば、ずいぶん先を軽快に下りてゆく奥さんの足下をも過ぎて、いずれは遥か下方に広がるオホーツク海へと流れ落ちてゆくのであろう。悠々とした自然の中、心高ぶり、身体ほぐれる」

ぼくら夫婦はそのあと陽のあるうちにウトロを後にして、バイクで峠を越え知床半島を横断して反対側の羅臼の町でキャンプをし、夜はトド肉と鹿肉を食べたようです。

過去と現在の十字路、思い出の知床半島に今年も鮭が帰ってくる

今回、30年ぶりに訪れたウトロで、新婚旅行のときには立ち寄らなかった知床五湖を歩きました。細い散策道の両脇には、ぼくの背丈を越えて見上げるほど背の高い千島笹がびっしり生い茂っていて、やがてトド松などが繁る森の道へ続き、二湖にこへ出るまでは道からの眺望は開けません。でも、ぼくにはそれが不思議と心地よかった。そんなに鬱蒼とした森でもなかったのです。

森の中には大きな岩があちこちから顔を出し、その苔むす大岩を抱えるように根づいてしまった木々が幾つも散見され森の中に独特の景観を作っていました。なんでも、土壌は細菌も多いので種子にとってはリスクの高い場所でもあるそうで、実際に発芽に失敗する種子たちも多く、むしろ土壌より苔むした岩に着生した種子が発芽に成功することが多く、その結果として大岩に抱きつくように根づく木が幾つもできたのだそうです。でも、そもそも森の中に、そんなにもゴロっとした大岩が目立つのは、数万年前の噴火で硫黄山の山頂が爆発し、そのときに大量の岩が転がり落ち、その落ちてきた岩の上に知床五湖の森ができているからとのことでした。

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二湖へ出ると一気に眺望が開けて、湖の奥に雄大にそびえる知床連山が見えます。知床連山には硫黄山、羅臼岳と火山がつらなり、カムイワッカの湯の滝もウトロの温泉街も、地下で沸き立つこのマグマの恩恵を被って人を悦ばせているのです。雨水は伏流水となり湖を水で満たし、知床の森を育て、森の養分は知床の斜面を伝って雨とともにオホーツク海へ流れ落ち近海の魚影を濃くするのです。

知床の川で生まれた鮭たちは故郷の川を下り海に出ると、遥々はるばる北洋に旅立ってそこで数年を遊び、再び生まれ故郷の川に何千という数で帰って来るのです。もちろん鮭たちは産卵に帰って来るのですが、結果として彼らは知床の外の世界にあったエネルギーをその身に取り込み蓄えて故郷へと戻り、故郷の鳥や熊や人間たちの命を明日へと繋いで知床の生命を富ませ続けて来たはずなのです。

そんな鮭たちのことを考えると、ぼくは、いつも妙に胸がいっぱいになるのです。

鮭よ、鮭よ、なぜ故郷に帰る

鮭の遡上は9月頃から始まるのだそうです。宿泊していたホテルのすぐ前にも川がありました。橋の上から何げなく覗いたら、たしかにそこにも鮭たちがいたのです。ぼくは、あんなに近くから遡上する鮭を目にするのが初めてだったので、それだけで感動してしまって、なんだか、ずっと憧れていた有名人を初めて目の前にするみたいな興奮を覚えました。

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ちょうど5匹ほどの鮭が、身を寄せ合うように流れの中にとどまっていて、そのまま、なかなか先へ行こうとはしない様子でした。でも、流れに逆らって川を上っていく彼らは、とどまって見えても実際は流れに拮抗する力で前に向かって泳ぎ続けているのです。

見れば、彼らのすぐ前途に50センチほどの落差が待ち受けていました。彼らはあの落差を身をよじって泳ぎ昇るか、またはジャンプして越えてゆかねばならないのです。もちろんここへくるまでにも、彼らはいくつもの小さな滝を越えてきたのです。いえ、たとえ目の前に待つ50センチの落差をこのあと無事に越えても、そのすぐ先では、もっと水流の早い落差が待ち受けているのです。進んでも進んでも彼らには困難が待ち受けているのです。でも、彼らは先のことにはいっさい思いを巡らさないのか、今だけに集中しているように見えるのです。

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なかなか先へ進まず、鮭たちが流れの中にいつまでもとどまっているのだって、目の前に出現した小さな滝を越えようと覚悟を決めている時間にも見えましたし、疲れた身体が少しでも回復するようエネルギーを出し惜しみながら時を待っているようにも見えました。もちろんのこと知識のない私にはハッキリしたことは分かりません。でも、川のひと所にとどまっているだけでも彼らの姿とその表情からは、なぜか生きようとするものの真剣さが伝わってくるようで、見ていると不意に何かがこの胸に迫るのです。辺りには、ここまでで力尽きた鮭の死骸がいくつも仰向けに浮いていて、すでに死屍累々です。

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再び問う。鮭よ、鮭よ、なぜ帰る

鮭は外洋で数年を過ごしているので、北の海原を泳ぎきってやっとの思いで故郷の知床の川へと帰ってきても、すっかり海水に馴染んでしまった身体のままでは故郷の川へ入ることはできず、彼らは1ヶ月近く河口にとどまり、そこで淡水に馴染む身体になるのを待つのだそうです。

鮭たちは河口でも長いあいだ待機していたのです。事を起こす前に長い時間を費やして待機する彼らに、ぼくがなぜこんなにも心を打たれるのかは自分でも分かりません。でも、彼らは目の前に待ち受ける課題を乗り越えようとする「集中しなければならない今を生きている」のですよね。この先でいったい何が始まるのか知らないけれど、ひとつひとつ目の前の事をクリアしようと、今という目の前の時間の中で集中するのですよね。そして自分で答えを出し、やがて動く。だから自分で疲れていると思えばエネルギーの消費を抑えるし、少しでも身体を休めて時を待ち続けなければと思えば待機もするのですよね。

ぼくは、鮭ほど大変な人生を生きて行く自信はないけれど、でも、進んで行く鮭たちが辿る道には、きっと人生を生きる手掛かりがありそうに思えて、ぼくはどうしても鮭のことを考えてしまうのです。

でも、いったい、そんなにも帰る価値があると思えるものって、なんなのでしょうね。

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ぼくが女房と2人で北海道をバイクで旅したのは今からもう30年も昔のことです。でも、あの旅の印象は未だに消えることなくぼくの胸に残っています。そして同時に今もあの頃のぼくらが、あの頃のままの姿で北海道を旅しているようにも思えるのです。そのイメージはあのバイク旅から帰ったすぐ後からありました。あの旅に出たぼくらは40日足らずで旅を終え東京に戻ったけど、もう一組のぼくらは、あの後もあのまま旅を続け、年も取らず、今も北海道のどこか広々とした草原の道を大きな荷物を積んで、旅に夢中になり、あれからもう30年もの時が過ぎたことにも気づかずに風を切って2人で走っているように思えるのです。コンビニを見つけて休憩し、トイレを借り、冷え切った身体を温泉の湯で温め、キャンプ場を探し、テントの中でカンテラをつけて明日はどこまで行こうかと計画しているのです。そしていつか、ずいぶん旅慣れたふうになったあの2人がぼくの前を走り過ぎて行き、ぼくはこの目で、走って行く2人の姿を黙って見送るのかもしれないなと、未だに思っているのです。

思えばあの30年前のバイク旅の中で、ぼくは何か、忘れられない人生の匂いを嗅いだのかもしれません。それも北海道を走りながら。そのときの人生の匂いが忘れられず、その匂いがぼくに、この世に、帰る場所があると思わせてくれるのかもしれません。
(次回は10月21日更新です)

嬉野雅道(うれしの まさみち)
1959年生まれ。佐賀県出身。「水曜どうでしょう」(北海道テレビ)のカメラ担当ディレクター。愛称は「うれしー」。ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、文化庁芸術祭賞優秀賞など多くの賞を受賞したドラマ「ミエルヒ」では企画を担当し、福屋渉氏とともにプロデューサーも務めた。「愛と平和と商売繁盛」「負けない」がモットー。どうでしょう藩士と奥様に人気。著書は『ひらあやまり』『ぬかよろこび』(ともにKADOKAWA)など多数。

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