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チベット高原に花咲く糞文化|馬場紀衣の読書の森 vol.60

森林限界よりも標高の高い場所。冷たく、乾燥したチベット高原に暮らす人々にとってヤクの糞(牛糞)はもっとも重要な生態資源だ。ヒトと動物の暮らしの関係を考えるとき、動物の毛皮や乳や肉が取りあげられることはあっても糞に注目することはそう多くないのではないだろうか。さらにいえば、牛糞の有用性についてこれほど詳しく書いた本というのも珍しいように思う。

この資源の乏しい高冷地において、牛糞の果たす役割は想像以上だ。牛糞なくして人は生き抜けない、と言ってもいい。それほどまでに牛糞は人々の生活のなかで重要な役割を果たしてきた。この土地では、冬のあいだ凍った牛糞を建材に利用する。牧畜民の子どもたちは牛糞でそりを作って遊ぶ。牛糞には植物の繊維がたくさん含まれているので、乾燥すると固くなる。雨や日光に強く、なにより燃料としてかなり優秀で「薪のように炎を出して激しく燃えたり、急に火が弱くなったりすることがない」うえに「石炭のように高温になりすぎることもなく、安定した温度を得ることができる」。そして牛糞燃料からは大量の灰が生じる。この灰が生活のさまざまな場面で役立つという。

畑にまけば殺虫効果が期待できるし、凍結した路面にまいて滑るのを防ぐこともある。工業的な生理用品が手に入らない時代、女性たちは牛糞の灰を入れた袋を装着して経血を灰に吸わせた。灰の吸水性を活かして赤ちゃんの尿を吸わせることもある。今は廃れた習慣のようだが、新鮮な牛糞で茶碗を拭くこともあったという。「牛糞には適度な水分と粘りがあり、食器を拭くと実際にきれいになるのだが、それよりも大事な牛糞を使って食器を拭くことで、客を大切に思っていることを表現したり、親近感を表現したりする意味」があるらしい。水資源の乏しい地域だから使い終わった食器を簡単には洗えなかった、という事情もありそうだ。

牛糞は薬にもなる。目に炎症が起きれば牛糞の灰を目に塗り、消化不良を感じた際には灰をお湯に混ぜて飲む。もちろんこれには理由があって、本書によれば、牛糞の灰が脂分を吸収し、胃もたれを防ぐのだという。

そもそも牛糞は彼らにとって汚いものではない。色や形もさまざまで、季節、食べている牧草、年齢、性別、体調で変化する。その有用性から神聖視され、神様への捧げものとして扱われてきた牛糞は結婚、引っ越し、出産、進学祝い、葬儀など彼らの人生の節目にはかならず登場する。この地で生活する人々にとって牛糞は生態資源であると同時に文化資源でもあるのだ。もはや人びとの暮らしは、ゆりかごから墓場まで牛糞と共にあるといっていい。

チョウ・ピンピン『チベット高原に花咲く糞文化』春風社、2023年。



紀衣いおり(文筆家・ライター)

東京生まれ。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。オタゴ大学を経て筑波大学へ。専門は哲学と宗教学。帰国後、雑誌などに寄稿を始める。エッセイ、書評、歴史、アートなどに関する記事を執筆。身体表現を伴うすべてを愛するライターでもある。

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