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なぜ「オリンピック」が腐敗してしまうのか?|高橋昌一郎【第30回】

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オリンピックの魅力と腐敗

普段はテレビを見ない私も、オリンピックが始まるとテレビの前から離れられなくなる。1964年の東京オリンピックを見た評論家の小林秀雄は、「こんなに熱心にテレビを見たことは初めてである。オリンピックに特に関心があったわけではなかったのでこれは自分にも意外な事であった。オリンピックと聞いて嫌な顔をしていろいろ悪口を言っていた人も案外テレビの前を離れられないのかも知れない」と語っているが、まさにその通りである。なぜそうなるのか?

小林は『私の人生観』で次のように述べている。「カメラを意識して愛嬌笑いをしている女流選手の顔が、砲丸を肩に乗せて構えると、突如として聖者のような顔に変わります。どの選手の顔も行動を起すや、一種異様な美しい表情を現す。……選手は、自分の砲丸と戦う、自分の肉体と戦う、自分の邪念と戦う、そして遂に征服する、自己を」。つまり私たちは、恐ろしいほどの修練に耐え抜いて「自己」を克服した「聖者」たちの世界に惹きつけられているのである。

オリンピックの各種競技には厳格なルールが定められ、各国から選び抜かれた一流選手だけが参加し、勝敗を競うことができる。1894年に「国際オリンピック委員会(IOC: International Olympic Committee)」を創設した「近代オリンピックの父」ピエール・クーベルタンは、オリンピックについて、「勝つことではなく、参加することに意義がある。人生において重要なのは、成功することではなく、努力することである。重要なのは、勝ったか否かではなく、よく戦ったか否かである」という趣旨の言葉を残しているが、これが真髄であろう。

古代オリンピックは、ギリシャの全能神ゼウスに捧げられ、「オリンピア大祭」と呼ばれた。紀元前776年の第1回大会から393年の第293回まで、なんと約1200年間も途切れることなく開催されている。大会は4年おきにペロポネソス半島北西部の聖地オリンピアで開催され、5日間にわたって徒競走・円盤投げ・幅跳び・槍投げ・レスリング・ボクシング・競馬・マラソンなどの競技が行われた。競技場は4万人を収容できたというから、現在の競技場に引けを取らない。最終日には表彰式が行われ、勝者には「オリーブの冠」が授与された。

紀元前146年、ローマ帝国がマケドニアとギリシャの都市国家群を全面的に征服し属州としたが、「オリンピア大祭」は支援して継続させた。しかし、やがて優勝した選手には出身の都市国家から莫大な金銭が支払われるようになり、その報奨金を目当てに不正を行い、審判を買収する選手も現れるようになった。

本書で最も驚かされたのは、古代オリンピックが消滅した直接的な原因は、392年にローマ帝国がキリスト教を国教と定めてゼウス神の異教祭祀を禁止した事実にあったとはいえ、その段階ですでに「腐敗」が進んでいたという著者・村上直久氏の指摘である。本書は、近代の冷戦下におけるボイコットやテロやナショナリズムとオリンピックの関係を多角的に分析し、課題解決の方法を探る。

2021年に開催された東京オリンピックは「金まみれ・利権まみれ・ウソまみれ」だったことが数々の贈収賄事件の有罪判決によって明らかにされつつある。その招致活動の先頭に立ってきたのが、安倍晋三元首相である。そもそも開催都市が主導するオリンピックに首相が前面に出てくること自体が異様だった。2016年のリオデジャネイロ・オリンピックの閉会式で、ゲーム・キャラクターの「マリオ」に扮した安倍氏の「浮かれた軽薄な姿」に「腐敗」のコマーシャリズムが表れていた気がする。

2024年7月24日から始まるパリ・オリンピックは、各国選手団ボートがセーヌ川をアスリート・パレードし、観客は無料で川沿いの開会式を観ることができるという。「聖者」たちによる純粋なオリンピックを楽しみたいものである!

本書のハイライト

オリンピックは様々な問題をはらみながらも、巨大化の一途をたどり、「観衆スポーツ」の底知れない魔力もあり、それと絡み合って人々を惹きつけてやまない。そして国際情勢の動きに影響を受けるだけでなく、国際政治の一つの有力な「アクター」「プレーヤー」となった側面もある。本書は、国際情勢に翻弄されるとともに、国際情勢を動かす一因ともなるオリンピック運動を様々な切り口から大まかな通史として提示することを目指したものだ。

(p. 12)

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著者プロフィール

高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)
國學院大學教授。情報文化研究所所長・Japan Skeptics副会長。専門は論理学・科学哲学。幅広い学問分野を知的探求!
著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』(以上、講談社現代新書)、『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『新書100冊』(以上、光文社新書)、『愛の論理学』(角川新書)、『東大生の論理』(ちくま新書)、『小林秀雄の哲学』(朝日新書)、『実践・哲学ディベート』(NHK出版新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)、『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)、『科学哲学のすすめ』(丸善)など多数。

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