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なぜ知識人が「エセ治療」に騙されるのか?|高橋昌一郎【第29回】

■膨大な情報に流されて自己を見失っていませんか?
■デマやフェイクニュースに騙されていませんか?
■自分の頭で論理的・科学的に考えていますか?
★現代の日本社会では、あらゆる分野の専門家がコンパクトに仕上げた「新書」こそが、最も厳選されたコンテンツといえます。
★「新書」の最大の魅力は、読者の視野を多種多彩な世界に広げることにあります。
★本連載では、哲学者・高橋昌一郎が、「知的刺激」に満ちた必読の新刊「新書」を選び抜いて紹介します。

「がん免疫細胞療法」は効かない!

川島なお美氏は、テレビドラマ『失楽園』で主演し、妖艶な演技が評判になった女優である。私はテレビを見ないので彼女の演技も見たことはないのだが、ワインが大好きな私は、彼女が「私の体はワインでできている」と発言するほどの愛好家であることを知って、勝手に親近感を抱いていた。彼女は、日本ソムリエ協会のワインエキスパート資格を取得、シャンパーニュ・ボルドー・ブルゴーニュの騎士号まで叙任されているから、私よりも遥かにワイン通である。

2013年8月、川島氏の健康診断で腫瘍が見つかり、精密検査の結果「肝内胆管がん」であることがわかった。即座に手術すれば完治の可能性が高かったにもかかわらず、川島氏は身体に傷痕が残る外科手術を拒否し、抗がん剤治療も拒否した。その後、数ミリの小さな傷跡が数カ所しか残らない腹腔鏡手術を引き受ける医者が現れ、2014年1月、12時間に及ぶ手術で腫瘍を切除した。それでも転移の可能性は高く、術後5年生存率は40〜50%という診断だった。医師は術後に補助化学療法を勧めたが、川島氏はこれも拒否して、心霊療法に頼った。

川島氏が通った「貴峰道」のサイトは、「万病一邪。邪気を祓えば病が治る」と謳い、純金製の棒で患部をこすれば「邪気(病を引き起こす気)」を取り除き、「難病」に効果がある宣伝している。ちょうど2014年当時、「反オカルト論」というコラムを『週刊新潮』(新潮社)に連載していた私は、「棒で患部をこするだけでがんが消えていたら、今頃はファンも大喜びだろうが、結果的に病は治らなかった」「何より許せないのは、溺れかけている人に幻想の『藁』を掴ませて儲ける『霊感商法』。もっと厳しく取り締まれないのか」と、心霊療法を強く批判した(この連載は拙著『反オカルト論』(光文社新書)に纏めてある)。

川島氏は2015年9月、54歳の若さで逝去した。それから約9年、今も存在するのかと思って「貴峰道」のサイトを検索すると、なんと以前よりも遥かにページ数が増えて大掛かりになっている。驚いたことに、棒で患部をこする「ごしんじょう療法」だけで「乳がんステージ4」や「ステルス性胃がん」に「奏功」があり「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」まで「治った」と宣伝している。

2014年、標準医療関係者から「天下の悪法」と呼ばれる「再生医療等の安全性の確保等に関する法律」が施行された。当時の安倍政権は、再生医療を成長戦略に掲げて、有効性の確立されていない「免疫細胞療法」を自由診療として公認してしまった。この法律が認める医師の自由裁量権は世界標準の「科学的根拠に基づく医療(EBM: Evidence-Based Medicine)」から大きく逸脱している。

ヒトの体内にある免疫細胞は、がん細胞をはじめとする病原体を発見すると即座に攻撃し殺傷することが科学的に立証されている。そこで、ヒトの免疫細胞を取り出して培養増殖させて体内に戻せば、がんを死滅させることができるはずだという「免疫細胞療法」が考案された。ところが、実は培養して体内に戻した免疫細胞の体内寿命は2~3日と短く、肺と肝臓に集積して消滅してしまうため、がん細胞には届かない。さらに、がん細胞には免疫反応を中断させる「免疫チェックポイント」が存在するため、「免疫細胞療法」は有効ではない。

本書で最も驚かされたのは、「がんには効かない」と判明している「免疫細胞療法」を届け出ている医療機関が、日本全国に380施設もあることだ。その大多数は小規模なクリニックで「高濃度ビタミンC点滴療法」や「水素吸入療法」などの「エセ治療」を併用する。クリニックは、患者から採血して細胞培養を外注し、それを患者に点滴するだけで1クール200万円~400万円の治療費を儲けているという。「がん」と診断されても「エセ治療」に騙されないでほしい!

本書のハイライト

日本の医療は、世界に誇れる国民皆保険制度を確立した「社会保障」として機能してきたが、再生医療等安全法によって、がん自由診療を公認するなど、「医療ビジネス」が侵食しつつある。日本の医療が、このまま「医療ビジネス」に支配されるようになったら、患者と医師の信頼関係は完全に崩壊して社会は荒廃するだろう。その前兆が、ここで記した「エセ治療」なのだ。本書がこの大きな流れを食い止めるための楔となることを願う。

(pp. 274-275)

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著者プロフィール

高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)
國學院大學教授。情報文化研究所所長・Japan Skeptics副会長。専門は論理学・科学哲学。幅広い学問分野を知的探求!
著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』(以上、講談社現代新書)、『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『新書100冊』(以上、光文社新書)、『愛の論理学』(角川新書)、『東大生の論理』(ちくま新書)、『小林秀雄の哲学』(朝日新書)、『実践・哲学ディベート』(NHK出版新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)、『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)、『科学哲学のすすめ』(丸善)など多数。

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