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ヌードの東アジア|馬場紀衣の読書の森 vol.59

ストッキングを嫌う女性が増えているらしいけれど、この窮屈で脆い履物が私は好きである。窮屈なのは補正のためだし、脆いのは繊細ということだから。そして繊細なものは得てして美しい。デンセン(編んだ糸が切れて線上にほころびること)はまあ、薄さとやわらかさの代償と思えば許せる。とはいえ「何を美しいとし、何を美しくないとするか。それは、人間の生来の感性ではなく、後天的な学習の産物であるところが大きい」という著者の意見にも頷ける。

日本人のストッキングへの意識は、第二次世界大戦後のごく短いあいだに大きく変化した。絹はナイロンにとって代わられ、かつては高価で憧れの対象だったナイロンは使い捨てになり、破れた靴下すら貴重だった焼け跡の生活からたったの10年でストッキングは女性たちに行き渡り、その後20年間で過剰供給による企業破綻に向かうことになる。この薄くて脆いストッキングがたどってきた歴史のうねりは、じつドラマチックだ。

ストッキングがまだ魅力的だった時代、ナイロンのくつ下には輸入するほどの価値があった。値段も高く、女性たちは修理しながら繰り返しはいていた。それもそのはず、スーツ一着分の仕立て代金に相当したのである。長さは膝上までが基本で、ガードルできちんと吊りあげて、バックにはかならず縫い目線がついていた。なにより重要なのがこの線で、すこしでも曲がっていると、どんなに素敵な洋服を着ていても洋装としては失格だった。ストッキングには自己満足だけでなく他者を惹きつける価値もあったから、女性たちはこぞってこれを手に入れようとしていた。ストッキングがなければ「時代に取残されるという感じ」がしたし、良質なストッキングをはいている者から「恋の勝利者」になっていったからだ。

ストッキングを美しくはくとは、うしろの縫い目が地面に対し垂直であることだった。この縫い目(シーム)は、もともとデザインであったわけではなかったが、ストッキングになくてはならない記号となっていった。さらに、シーム自体に美しさを見出す感性を生みだしていく

製法上の理由からついたにすぎないこの線は、やがて身だしなみや礼儀作法としての意味をもちはじめ、ついには男性の視線を集める魅力になっていく。面白いのはその後だ。あんなにもてはやされていた「線」が時代遅れになり、「はいていないようにみえて、実ははいている、というゼイタクさ」へと美の基準は変化していく。宝物扱いの高級品から日用品へ、そして消耗品へと変化していくスピード感もさることながら、それをめぐる女性の心理もめまぐるしい。美の基準なんてものはほんとうにいつの時代も信用ならない。

井上章一、斎藤光編『ヌードの東アジア 風俗の近代史』淡交社、2023年。



紀衣いおり(文筆家・ライター)

東京生まれ。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。オタゴ大学を経て筑波大学へ。専門は哲学と宗教学。帰国後、雑誌などに寄稿を始める。エッセイ、書評、歴史、アートなどに関する記事を執筆。身体表現を伴うすべてを愛するライターでもある。

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