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土と内臓|馬場紀衣の読書の森 vol.62

肉眼では見ることができないというのは、だからといって存在しないわけではなく、見えないというだけで確かにそこにはあるのだ。それはなんてドラマチックで胸の躍ることだろう。海の底、宇宙。行ってみたいけれど行きたくない(なぜなら帰って来ることができないかもしれないので)と思わせる世界の果てがいくつかあって、この度、ここに、土の中が新しく加わったことを報告します。植物について書かれた本を読むたびに、植物の世界は人類が登場するはるか昔から自給していたのだ、という当たり前の事実を、私は新鮮な驚きをもって受け入れる。

地球上でもっとも数がおおく、もっとも広く分布し、もっとも繁栄している生物は、微生物だ。時の試練に勝てずに地球を去ることになった生物は星の数ほどもいるけれど、微生物に関して言えば、生命が誕生したときから36億年以上も生き残っている。人の寿命でしか生命の長さを計ることのできない私からすれば、途方もない時間の長さに思える。一個一個の微生物はあまりに小さくて見えないので、普段は気にも留めないが、全部をあわせると地球上には10の30乗個の微生物がいるらしい。これほどの数になってくると、数字はもはやあまり意味をなさないと思う。

それよりも注目すべきは微生物がほとんどどこにでもいるということで、さらに重要なのは、その理由だ。この本によれば、微生物というのは他の生物が生きていかれない場所でも「信じられないほど多種多様なものを餌として」生きることができるのだという。微生物は、干上がったチリのアタカマ砂漠にも、南極の氷の下800メートルの閉ざされた湖にも、牛の胃の中にもいる。

微生物や医学の研究者は、人間と人体の内外に棲む微生物とのあいだに存在する複雑な共生関係を明らかにしつつある。細菌の細胞は、私たちの腸の内側を覆う細胞に沿って棲んでいる。そしてそこ、腸の奥深くで、免疫細胞が敵と味方を見分けられるように訓練しているのだ。

人と微生物は切っても切れない関係にある。人間の母親は出産が近づくと特殊な膣粘液の生産量を増やして子どものために特有の微生物を育てるという。その微生物が、赤ん坊が子宮を通り抜けるときにとりつくのだ。生命があるところにはかならず微生物がいて、そういう意味では、人も動物も微生物に生かされているといっていい。「人間が微生物のまったくいない無菌の身体を持ったことはない。もしそんな状態が実現したとすれば、不健康この上ないことになるだろう」著者はさらにこう続ける。「微生物は、私たちの血液中にある代謝産物の、三分の一までもを作りだしているのだ」

ところで、私はドラマチックなうえにロマンチックな話が好きなので「微生物は火星で発生し、その後隕石に乗って地球にやってきたのかもしれない」と唱える説を、こっそり(けれど大真面目に)信じているのだけど、本当のところはどうなのだろう。

デイビッド・モントゴメリー+アン・ビクレー『土と内臓 微生物がつくる世界』片岡夏実 訳、築地書館、2016年。


紀衣いおり(文筆家・ライター)

東京生まれ。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。オタゴ大学を経て筑波大学へ。専門は哲学と宗教学。帰国後、雑誌などに寄稿を始める。エッセイ、書評、歴史、アートなどに関する記事を執筆。身体表現を伴うすべてを愛するライターでもある。

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