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嫉妬論|馬場紀衣の読書の森 vol.43

『嫉妬論』。なんて読みたくない本だろう、と思う。読んでしまえば気づいてしまう、と思い、気づいてしまうと苦しいし、苦しいからこそ手放したいのにそれができないから、やっぱり辛いのだ、と思う。

映画や小説に探さなくたって、私たちの周りは嫉妬の物語であふれている。それどころか嫉妬がどんなふうに自分の心を鷲掴みにするか、どんな気持ちを連れて来るかまで知っている。でも、その構造や性質についてはあまり話されてこなかったように思う。嫉妬感情に関していえば、これはもう冷静な他人に説いてもらうしかない。だって嫉妬に狂っている人は、誰でもすでに嫉妬に喰われてしまっているのだから、到底「まとも」な状態とはいえない。

嫉妬感情の最大の特徴は、はっきりしている。つまり、嫉妬は比較可能な者同士のあいだに生じる、ということ。人は自分に近しい者に嫉妬するのだ。時、場所、世の評判。名誉を競い合っている相手、自分に属すべきものを持っている人。誰に対してもむやみに嫉妬を感じるわけではないし、自分と関係のない無縁の誰かは嫉妬の対象にはならない。そういう意味では、SNSは嫉妬感情に拍車をかける完璧な装置といえる。従来であれば知らずに済んだ他人の生活をのぞき見ることができるようになったことで「いまや私たちの視野に入る範囲は、事実上、無制限」になり「会ったこともない、そしておそらく今後も会うことのない他人との絶え間ない比較」を連日連夜、休むことなく繰りひろげているのだから。

ただ、欲望の構造はもっと複雑だ。フランスの哲学者ルネ・ジラールは、人の欲望には他者の存在が不可欠であると説いている。ジラールによれば、人の欲望は自発的なものではなく、その対象を欲する、あるいは所有している第三者の存在にもとづくらしい。私たちは「隣人がそれを欲するから」それが欲しくなるのだ。そしてこれが人間の複雑さでもあるのだけれど、本書によれば、欲望が満たされるためには、対象だけではなく、それをほぞをかんで見つめる第三者が必要なのだという。

嫉妬感情の邪悪さを充分に語ったところで、それでもひとつだけ嫉妬の良いところを挙げるとするなら、「私は何者であるか」を教えてくれることかもしれない。私の嫉妬は私だけのもので、こういう強い感情は私を打ちのめしもするけれど、この苦しみは私固有の痛みであって、他の誰とも共有できないものだ。

私は誰の何に嫉妬しているのか、なぜ彼や彼女に嫉妬してしまうのか。これは翻って、私がどういう人間であるか、私は誰と自分を比べているのか、私はどんな準拠集団のなかに自分を見出しているかを教えてくれるだろう。確かにそれは客観的な自己像とは言えないかもしれないが、ときに自分でも気づかないもう一人の自分を開示してくれることがあるのだ

それにしても、この本を書きあげるのはさぞかし苦痛な作業だったろうな、と余計なことまで考えてしまう。読んでいてまったく、安心させてくれない本である。


山本圭『嫉妬論 民主社会に渦巻く情念を解剖する』光文社新書、2024年。


ルネ・ジラール『欲望の現象学〈新装版〉』吉田幸男=訳、法政大学出版局、2010年。



紀衣いおり(文筆家・ライター)

東京生まれ。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。オタゴ大学を経て筑波大学へ。専門は哲学と宗教学。帰国後、雑誌などに寄稿を始める。エッセイ、書評、歴史、アートなどに関する記事を執筆。身体表現を伴うすべてを愛するライターでもある。

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