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自閉症児はキレイな顔をしている 「発達障害児を育てるということ」第1回

昨今の出版業界はちょっとした「発達障害バブル」。ASD(自閉スペクトラム症)やAD/HDについての発達心理学者や医師による新書や専門書、そして当事者によるコミックエッセイの類が、書店に山と積まれています。11月15日発売の光文社新書『発達障害児を育てるということ』がそれらの「発達障害本」と決定的に異なるのは、著者がその”どっちも”であることです。本書は発達心理学を専門とする大学教授(父)と、臨床心理士&公認心理師(母)の夫婦が、軽度自閉症の息子との日々について、専門家視点と保護者視点を行き来しながら書いた「学術的子育てエッセイ」なのです。

発達障害児の保護者のみなさま、また、”うちの子、発達グレーかも?”と悩まれている方々、さらにそうしたお子さんに関わる方々に広く読んでいただきたく、本書の一部を公開するnote連載、第1回は「自閉症児はキレイな顔をしている」です。

本原稿は柴田哲・柴田コウ著『発達障害児を育てるということ』の一部を再構成したものです。

育てやすい赤ちゃん


 ヨウは三兄弟の末っ子である。生まれたときには兄弟の中で一番体重が重かった。ただ、生まれたときの身長も一番高かったので、太っている感じはしなかった。ヨウには7歳上のセイ(長男)と1歳上のオト(次男)の兄弟がいる。ヨウが生まれた頃の次男オトは1歳過ぎだったが、大柄で、特に横幅が大きかった。そのため、ヨウは相対的に小さく見えた。
 
 父に赤ちゃんの頃のヨウの記憶があまりないのは、派手なエピソードや際だった特徴がなかったこともある。兄たちもそうだったが、我が家の三兄弟は、基本的に「育てやすい赤ちゃん」だった。

 育てやすい赤ちゃんの特徴として、規則正しいことがあげられる。寝てから3時間くらいで目が覚める。おむつを替えてもらってミルクをもらって、しばらく相手をしてもらうと眠りはじめ、また3時間くらいたつと目が覚めて泣き始める。我が家の三兄弟は、どの子もおむつが汚れたりお腹がすいたりすると泣き、おむつを交換されて、ミルクをもらうとご機嫌になるという、わかりやすい反応をする赤ちゃんだった。

 赤ちゃんには規則正しいパターンで寝起きするか、それともあまり規則正しくないか、また、反応がわかりやすいか、わかりにくいか、といった違い(個性)がある。生まれてすぐの新生児でも、こうした違い(個人差)は存在する。この違いは生まれつきのもので、遺伝的に決まっていると言われている。

 育てやすい赤ちゃんだと、初めての出産で経験の少ない親でも、そんなに苦労せずに育てられる。また、難しい赤ちゃんでも、何度かの育児経験があったり、生活に余裕があり、親が性格的にのんびりしていたりすれば、問題は起こらないかもしれない(もちろん協力者の有無や時間的・金銭的・体力的余裕等が大きく影響するので、一概には言えないが)。

 しかし、自閉症をはじめ、発達障害のある子どもたちには、難しいタイプに当てはまる子が多い。もちろん、発達障害がなくても、不規則で対応が難しい子はたくさんいる。そうした子たちの多くは、成長するにつれて育てにくさは減っていく。一方、発達障害のある子どもたちは、わかりにくさや育てにくさが長く続くことも多い。

 生まれてしばらくの三男ヨウは、長男セイや次男オトとそれほど変わらなかった。細かいところまで思い出すと、上の二人に比べて、やりにくさはあったかもしれない。しかし、3人目の子どもであったこと、また、当時は、オトもまだ1歳過ぎで手がかかったために、小さな違いを見落としてしまっていたのかもしれない。

 上の二人と少し違う感じが出てきたのは、ヨウが1歳を過ぎたあたりだろうか。夕方や夜遅くなってくると激しく泣き、なかなか寝付かないことが増えてきた。兄たちはそれほど激しく泣いたり、長くぐずったりすることはあまりなかった。父はちょっとイライラして、この時点で兄たちとの違いを感じ始めたが、「障害」とは思わなかった。

 一方、母は〝黄昏泣き〟かなと思って、あまり気にしていなかった。黄昏泣きとは「コリック」や「夕暮れ泣き」ともいわれ、夕方頃に赤ちゃんが泣いてぐずる現象をいう。1回泣き始めると2~3時間以上ぐずる赤ちゃんもおり、これが週に3~4日くらい起こることもあり、親を悩ませる。こうしたことは多くの赤ちゃんに見られることであり、母もヨウが1歳を過ぎても「障害」と感じることはなかった。

かわいすぎる赤ちゃん


 
 ところで、ヨウは生まれてから数ヶ月の間、でべそだった。赤ちゃんの頃の裸ん坊の写真を撮っておけば、「赤ちゃんのころは、でべそだった」といじれたのに残念なことをした。「いじれたのに」というのは、大きくなってからのヨウは、身長は低いものの、整った容姿をしているからである。

 自閉症の子は、キレイで整った顔立ちの子が多いと言われる。ヨウもキレイな整った顔立ちをしている。赤ちゃんの頃からそうだった。中学生になった今も、周りの人から「かわいらしい」とか「ハンサムだね」と言われる。ヨウは小学校高学年あたりから、「かわいい」と言われるとムッとしたり、抵抗したりするようになった。本人は「かっこいい」と言われたいらしい。しかし、同級生に比べると背も小さく、いろいろな面で幼く見えるので、「かわいい」としか言いようがない。

 ヨウはすごくかわいい赤ちゃんだったので、スーパーマーケットなどで声をかけられることも多かった。母が野菜売り場でベビーカーを押していると、上品な年配女性に「まあ、瞳の大きな赤ちゃんねえ」と声をかけられる。ヨウを抱いてベンチに座っていると、小学校低学年ぐらいの女の子がやってきて、「赤ちゃん見てもいいですか?」と言われる。ちなみに、次男オトのときも声をかけられたが、そのときは「あら、大きいのねえ。何ヶ月?」とか「何キロ?」とかだった。

 もちろん、人の顔はそれぞれ違っている。しかし、一般的に小さい頃ほど個人差は小さく、成長とともに違いが出てくる。赤ちゃんは赤ちゃんっぽい顔立ちをしている。目、鼻、口といった顔のパーツが顔の下側に寄っているとか、目が顔の中で相対的に大きいとか。こうした特徴が、赤ちゃんを見た人にかわいいという感情を呼び起こす。

 成長する中で、遺伝的な個人差が顔立ちに、よりはっきりと出てくる。また、毎日の生活の違いが影響してくる。食生活や健康状態によって、太ったり痩せたりするし、日焼けしたりもする。食べるものや虫歯なんかによって、あごの形が変わったりする。いろいろな表情をすることで、顔の筋肉の付き方やシワなんかも変わってくる。そうしたことが積み重なって、ひとりひとり全然違う顔になっていく。なので、赤ちゃんのときの写真と大きくなってからの写真を見比べると、「面影はあるが、違ってもいる」というのが普通だ。

 他方で、自閉症の子の顔立ちは、一言でいうと、赤ちゃんのときのキレイな顔立ちのままで、変化が少ない。長男セイとヨウはすごく似た顔立ちで、赤ちゃんのときの写真だと見分けるのが難しいくらいである。でも、小学校以降のセイとヨウの写真は、似てはいるものの、見間違えることはない。セイは小学生男子のアホっぽい感じがにじみ出ていたりだとか、思春期に入った生意気な感じが漂っていたりとかで、もともとの素体の良さが崩れてきている。それに比べて、ヨウはずーっとキレイなままである。

 年齢順にヨウの写真を並べると、赤ちゃんから幼児になり、小学生にと、大きくなっていく。アニメの初回に1分間くらいでまとめられている、主人公のこれまでの成長過程みたいな感じである。もちろん変化はしている。でも、自閉症ではない長男セイや次男オトの変化、というか「何でそうなった⁉」というような崩れ具合に比べると、変化は少ない。変化自体も、ある種の人工的な感じすらする変化なのである。

平均顔と美男・美女


 複数の人の顔写真を合成していくと、合成した枚数が増えるほど、中性的でキレイな顔立ちになる。こうした合成写真を平均顔と呼ぶ。平均顔は左右対称で、つるんとした顔立ちをしている。平均顔には、鼻がすごく大きいとか、あごがしゃくれているとか、目が離れているといった特徴がない。そもそも目立つ特徴(歪み)が少ないことが、キレイな顔立ち、つまり美男・美女の特徴とも言える。なので、「〇〇〇48」といったアイドルの顔の多くは、かわいらしいが覚えにくい。もちろん、芸能界で目を引くレベルの美男・美女になると、平均的な顔立ちに加えて、その人独自の特徴を持つことが必要になってくる。そうでないと、10人並みのハンサムや美人に過ぎない。

 私たちが美人(美男・美女)と感じるためには、まず、歪みやバランスの悪さがないことが必要であるらしい。複数の人の顔を合成した平均顔は、個人の歪みやアンバランスが打ち消し合っているので、中性的でキレイな顔立ちに見える。しかし、そこには個性はない。いろいろな個人の特徴が削り取られた末の、人間という種族のサンプルみたいなものである。店頭のショーケースの食品サンプルと一緒で、キレイだけれど、本物ではない。

 平均顔からの逸脱(の大きさ)は、病気などの健康上の問題を示す可能性がある。そのため、平均顔に近いほど、美男・美女と認識される。とは言え、ひとりひとりの顔は違っている。言い換えると、平均顔からの逸脱が、ひとりひとりの(顔の)違いをもたらしている。この顔の違いは、成長とともに大きくなっていく。成長と共に、顔のような外面だけでなく、さまざまな知識、能力、さらには自我といったものも、ひとりひとり異なっていく。内面の違い(個人差)は、顔のような外面の違いにも影響していく。これは別に精神論的な意味ではなく、外で体を動かすのが好きな人は、そうでない人に比べて日焼けするといった違いが積み重なった結果として、である。

 自閉症の子のキレイな顔立ちは、こうした発達に伴う内面の違い、もしくは、その子独自の自我(個性)の表れにくさを示しているとも言える。自閉症の子の場合、自閉症の症状から表れる特徴的な行動はある。それは自閉症という障害をもつグループが多かれ少なかれもっている特徴であって、その子独自の特徴ではない。自閉症の特徴が強烈なために、その子独自の個性が表れにくいとも言える。その結果として、もともとの顔立ちに、その子独自の個性が表れたり、影響したりせずに、キレイな顔立ちのまま成長するのかもしれない。

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著者紹介

柴田 哲(ヨウの父)
一九七〇年、兵庫県生まれ。関西の国立大学教育学部教育心理学科、大学院教育学研究科博士課程を修了。博士(教育学)。東海地方の国立大学教育学部准教授を経て、現在、関西の私立大学文学部教授。専門は発達心理学。
 
柴田コウ(ヨウの母)
一九七三年、大阪府生まれ。関西の国立大学教育学部教育心理学科、大学院文学研究科博士課程を単位取得退学。臨床心理士・公認心理師。乳幼児健診の発達相談員等を経て、現在、児童相談所の児童心理司。

※本書は子どものプライバシー保護の目的で詳細な所属先を伏せ、ペンネームで執筆しています。

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