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視覚化する味覚|馬場紀衣の読書の森 vol.45

現代の色彩豊かな視覚環境の中で、色を意識して見たり考えたりすることはあまりないかもしれない。例えば、トマトは赤く、バナナは黄色いものが「正しい」色とされ、それが自然な色だと疑わない。だが実は、私たちが「当たり前」だと思う食べ物の色は、自然と人工の間で作りだされてきたものでもあるのだ

スーパーマーケットで野菜を選ぶとき、私たちは外見で(というのは傷の有無や虫食いなどを気にしながら)新鮮さや美味しさを見分けているから、バナナが黄色であることやトマトが赤い色をしていることをいちいち疑ったりしない。だから、かつては赤茶色のバナナや紫色のトマトが販売されており、それが「当たり前」の色だった、と読んだときには驚いた。私はそんな色の野菜を見たことがないし、棚に並んでいるのを見た日には、なんだか子どもが色塗りをまちがえてしまったみたいだな、と思うだろう。

本書によれば、私たちが「自然な(あるべき)」と認識している色のおおくは、経済・政治・社会の複雑な絡み合いの中で歴史的に構築されたものだという。だからこの本の副題は『食を彩る資本主義』。第二次世界大戦後、食品加工業の急速な発展によって食卓には新しい食品が並ぶようになった。お馴染みのケーキミックスやカラフルなゼラチンデザート、一つの箱の中にメインとディッシュとデザートを詰めこんだもの。こうした「おいしそう」な加工食品は豊かな社会の象徴で、斬新で、なにより便利だった。しかし便利の代償はあまりに大きすぎたといえる。着色料、香料、合成添加物と化学物質をつめこんだ食品添加物のせいで健康被害が拡大したのだ。

食品規制に関してのせめぎ合いの中でもっとも議論を巻き起こしたのが「赤色二号」と呼ばれる安価で褪色しにくい着色料だった。アメリカでは清涼飲料水やアイスクリーム、ケーキ、スナック菓子、ハム、ソーセージ、調味料など、とにかくどこにでも使用されていた。それまでは安全と考えられていたのに、発癌性があると判明したことで赤色二号の安全性をめぐる議論がはじまる。議論は以来20年近くつづき、連邦政府がようやく使用禁止を発表したのは1976年のことだった。こうなると、べつの赤色着色料が必要になる。代替品を探す企業がある一方、赤色の商品が消費者に不安を与えるとの考えから赤い商品の生産を中止する企業も現れた。ちなみにこの頃、チョコレート菓子のM&M’sからは赤色が消えている。

「食品着色料は、食品の色を簡単かつ安価に操作できるもの」として色の商品化を促進させたが、これは同時に「食品の大量生産が進む中で色の画一化をより一層促すものともなった」と、著者は説明する。赤いケチャップや緑色のグリーンピースの缶詰など、私たちがそうあるべきと信じている色を「大量かつ安価に再現する手段」が手に入ったことで、消費者の「味覚と結びつけられた視覚(色)」は次第に標準化されていったのである。

私たちの暮らしは色で溢れていて、彩りのなかで暮らしているというのに、色の歴史的側面はほとんど見えない。食べものの色にまで人の作為があったなんて、少し騙されたような気持ちになった。

久野愛『視覚化する味覚 食を彩る資本主義』岩波新書、2021年。


紀衣いおり(文筆家・ライター)

東京生まれ。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。オタゴ大学を経て筑波大学へ。専門は哲学と宗教学。帰国後、雑誌などに寄稿を始める。エッセイ、書評、歴史、アートなどに関する記事を執筆。身体表現を伴うすべてを愛するライターでもある。

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