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水月昭道著『高学歴ワーキングプア』全文公開/第2章「なぜか帳尻が合った学生数」

光文社新書編集部の三宅です。『「高学歴ワーキングプア」からの脱出』刊行を5月20日に控え、2007年刊行の『高学歴ワーキングプア』の全文を順次、公開していきます。本日は第2章「なぜか帳尻が合った学生数」です。

目次、はじめに、第1章はこちらをご覧ください。

重点化を取り上げた記事

博士号取得者の無職問題が、世間の注目を集め始めたのはいつ頃からだろうか。この問題に直接関係する大学院重点化についての記事を調べると、昭和六〇(一九八五)年四月の京大女性博士浪人問題(第1章)に始まり、昭和六二(一九八七)年一一月一八日付読売新聞(朝刊)には「大学院に重点を移す東大。まず閉鎖性の壁を破り、血の通った改革に」と題する解説が書かれている。重点化に関連する記事としては、先のものと共に最も古いものの一つだ。

そこには、新制大学発足時からおまけ的な扱いをされ、なおざりにされ続ける日本の大学院をめぐる問題を背景に、大学院改革を進めようとする東大理学部を中心とした動きが取り上げられていた。改革には、院生の流動化や大学にある閉鎖性などを打破することが大事だろうという論調の記事であった。東大理学部のこの試みは、結果的にはこのとき失敗している。

平成三(一九九一)年になると、朝日新聞(六月八日付朝刊)において、理工系の博士課程が定員割れしている実態が記事にされている。この年の、東大法学部では、すでに大学院重点化が行われており、理学部と工学部は翌年の重点化をもくろんでいた。重点化歓迎の伏線となるような情報の提示だ。同じ年の一二月二五日には、東大が大学院重点化へ大きく舵を切ったことが取り上げられた。

翌平成四(一九九二)年三月一五日には、読売新聞(東京版朝刊)でも、「大学は変わるか」という見出しで、やはり重点化が取り上げられている。ここでは、「予算増を引き出す知恵だろう」と揶揄する意見も紹介された上で、「これをはね返す教育・研究成果を出すことが大事だ」と結ばれていた。

「手狭な研究室、乏しい研究費、閉鎖的な人事など、日本の大学院は米、英、仏などと比べ小規模で、貧弱だと言われる。若者を引きつける魅力に欠け、海外の大学や企業へ移籍する研究者も少なくない」(読売新聞社説、平成四〈一九九二〉年三月二九日)

右に示されるようなきびしい現状を改善するべく、重点化に大いなる期待を抱く記事が書かれたのは、いよいよ大学院重点化時代の本格的幕開けを翌日に控えてのことだった。前年の東大法学部に続き、理学部・工学部も重点化に向かうこととなったのだ。

大学院重点化がスタートするまでの論調は、取り上げた記事にみられるようにおおむね改革への期待が込められたもので占められている。スタート後には、一旦次のような問題が取り上げられることもあったが、その後は順調に重点化が達成されていくことなる。

問題というのは、平成四年七月九日の朝日新聞の解説で、重点化政策の反面、現実には博士課程の定員が埋まっていない状況が取り上げられた(東大理学部・工学部が対象)ことだ。修士までの人気の高さに比べ、博士に進む学生の少なさが問題視されている。背景にある企業側の博士敬遠という問題も指摘された。つまり、重点化達成に対する懸念が示されたのである。

だが、こうした心配が杞憂にすぎなかったことは、現在の「高学歴ワーキングプア」問題が示している。勧誘などを含め、学生を釣り上げるためのさまざまな策が講じられたことも推測に難くない。その後、このことはしばらく静観されていたが、平成九(一九九七)年を境に、増加し続ける大学院生に関する記事がチラホラと現れてくる。

「ポスドク問題」という見出しの増加

「増加する大学院生」というタイトルで、この一〇年間に院生数が倍増しているという記事が朝日新聞に載ったのは、平成九年二月二一日のことだった。ここでは、就職問題のことについては、まだ、そう深く取り上げられてはいない。だが、平成一三(二〇〇一)年になると、無職博士の問題を取り上げる記事が増え始めた。

先に紹介した「アエラ」の「さまようポスドク一万人」といったものに始まり、翌平成一四(二〇〇二)年五月一六日には、読売新聞(大阪版朝刊)で、夜間警備やウエイトレスのアルバイトをしている博士課程の院生が、将来も就職が見込めないことに対し大きな不安を抱いている様子が取り上げられた。

この記事は、ゆとり教育批判を積極的に行ってきた西村和雄教授による「大学院は勉強しなくても入れるところになった」などといった発言を引用し、大学院重点化によって、院生数が急激に増やされたことを批判する論調に傾いた内容となっていた。

同年、一一月五日の朝日新聞夕刊にも同様の論調の記事が掲載されている。ここ一〇年で二二万人に倍増された院生が、今就職難に苦しんでいるという内容のものだ。文中では、大学院サイドでも、このことが問題視され始めていることを取り上げ、従来の研究者養成といったスタイルにとどまらない、就職につながるような教育を行っていこうとする動きが模索され始めたことを紹介している。

平成一六(二〇〇四)年になると、もっとあからさまな内容の記事を目にするようになる。

「学生を記者として雇ってくれないか」。読売新聞の論説は、こんなリードで始まった。知人である大学教員の弟子が、近く博士号を取るが仕事がない。ついては記者になれないか、ということらしい。博士号取得後の研究者が、仕事を見つけられず〝ポスドク問題〟として社会の注目を集めていることを取り上げた記事だ。

国の大学院重点化政策による院生急増に対する、出口整備の不備を批判的に捉えたものだ。政策的に増員された院生の出口として、「マスコミでも博士を活用して」という政府の態度を、「本業は無理なので別の行き先をでは本末転倒だろう」と批判した。

その四カ月後。政府の総合科学技術会議が、産業界や報道機関に対して〝余剰〟博士を雇用してくれるよう呼びかけていく方針が打ち出されたことが紹介される。もちろん、雇用を極力抑えようとする産業界の反発などを考えると、前途多難だろうという批判的見解が紙面では示されている。

そして、平成一七(二〇〇五)年。定職に就けていない博士が一万二五〇〇人に達したことが報道された(読売新聞五月二日付東京版夕刊)。ポスドク問題が世間で注目を集めるようになってから、初めて実施された調査(文科省による)によって判明したのだった。その八%は四〇歳以上だという。

同年一一月二二日、朝日新聞(夕刊)では、文科省が人材育成プログラムを大学院の教育現場に導入することが紹介される。「増えた博士卒に対し、限られた研究ポスト」という構図により生じている、無職博士問題をどうにかしたいということのようだ。企業への就職も期待できない現状があり、大学院生のうちにもっとツブシのきく能力を身につけさせ、研究職以外の職を見つけることができるようにしようということらしい。

国が急にこの問題に力を入れ始めた背景には、「将来に展望を描けない〝博士〟へ、若者たちが愛想を尽かし始めた」という動きも関係しているようだ。博士課程の定員割れが、一部の大学で見られ始めたのだ。

そして翌平成一八(二〇〇六)年の八月三一日。ついに、「国立大学の博士課程定員が五一年ぶりに減少する」とのニュースが流れる(朝日新聞朝刊)。博士生産が峠を越えた瞬間である。

同年一一月五日の読売新聞(東京版朝刊)では、旧七帝大と東工大の工学部によって、就職支援のためのSNS運営サービスが始まることが紹介されている。

実効力を伴わなかった「ポスドク一万人支援」

急増する無職博士問題に関する世間の動向を見てきたが、ここまでひどくなる前に何らかの手は打たれなかったのかという疑問を持つ人も多いだろう。

実は、文科省による「ポスドク一万人計画」というものも実施されてはいる。平成八(一九九六)年度から平成一二(二〇〇〇)年度の五年間の計画として策定されたもので、ほうっておけば無職になってしまう多くの大学院博士課程修了者(博士号を有する)を、ポストドクトラルフェロー(略称ポスドク。博士研究員)という職種を数多く作り出すことによって救済を試みたものであった。その給与は、おおむね四〇〇万から五〇〇万円。各種保険付き。ほかに年間一〇〇万円程度の研究費がつく。任期は平均三年。スネかじりの生活から脱却し、自立できる十分な待遇といえよう。

無職地獄の中でもがき苦しむ博士たちにとって、これは文字通り一本の蜘蛛の糸となるはずであった。実際、この制度によって命をつなげた者も少なくない。だが、次の二つの点でこの制度も不完全なものとなっていった。

一つには、ポストの絶対数がまったく足りなかったことだ。ポスドク一万人というが、このなかには日本学術振興会による特別研究員制度と、外国人特別研究員制度なるものも含まれている。前者は、現役の大学院博士課程生向けのものだ。通常修士二年生の時に、応募書類を提出し、審査に合格すれば、博士課程一年生から三年生までの間、毎年三四〇万円程度の年俸を手にすることができる。いわゆる、DC1とかDC2と呼ばれるものがこれにあたる。しかしこれは、あくまでも現役の院生が対象であるため、現役でない博士卒の者には関係ない。また後者は、留学生向けの制度であるため、当然のことながら日本人には関係ない。

この二つをあわせた数が約五〇〇〇人分となっており、支援数一万の内、実質半分がこれに食われている。

毎年、過去最高を更新している博士卒の傾向をみれば、平成一九(二〇〇七)年度には一万六〇〇〇人を突破することは間違いない。このことからすると、支援の数字はいかにも少ない。

二点目は、せっかくの支援ではあるが、非常に短い任期が定められており、一時的な救済策にしかなっていないという制度的弱点があるのだ。

ポスドクの任期は非常に短い。その多くは二、三年だ。最長で五年というものもあるが、これはまれだ。通常は、一年契約を基本とし、更新を妨げない(希望すればかならず更新できる)という形で、二年目あるいは三年目までしか更新することができない。これは、ポストに流動性を持たせるという意図が根底にあるのだが、要はあぶれまくっている博士卒の間で、ぐるぐるとポストを〝受け渡していくように〟ということなのだろう。

契約期間が終わった後の保障はまったくないので、その後無職となる博士も多い。まれに、ポスドクからポスドクへと移り歩くという奇策を使う人もいないわけではないが、これとて、いつまでもできるというわけではない。ポスドクには、一般に年齢制限もあるからだ。

その上限は三五歳。文科省が、三五歳までは流動性を持たせた雇用が望ましいという見解を示したからだ。なので、どこの大学や研究機関でも、ポスドクの採用条件のなかには、おおむね三五歳以下が望ましいとある。要するに、どんなに上手に渡り歩いても、三五歳になればポスドクへの登用の道はほぼ閉ざされてしまうのだ。すると、どうなるか。めでたく、〝三五歳からのフリーター〟と相成る。

それも、「自分で選んだ道なんでしょ」といわれれば、そうかもしれない。

だが、修了者の二人に一人が、最初から仕事がないという状況(失業率五〇%)は、個人の意欲や努力だけではどうしようもないのではないか。これは、もはや個人に帰結させるべき問題ではなく、構造的な問題としてみなされるほうが正しいだろう。試みに、日本の失業率が五〇%となった状態を想像してほしい。ちなみに、平成一八(二〇〇六)年度の完全失業率は四・一%である(「総務省統計局労働力調査」)。

学力低下という非難

大学院生の大量生産により、結果的にあまたの高学歴無業者が生み出されていることを多くの紙面が取り扱ったが、実は、このことと関連してもう一つ見逃せない〝批判〟が見られたので取り上げておく。それは、〝学力低下〟についてだ。

平成一三(二〇〇一)年三月二八日付朝日新聞(京都版朝刊)に、「大学院生、深刻な学力低下 経済系五校で京大教授ら調査」という見出しが出た。大学院重点化に伴い、「低学力の学生も大学院に入学させた影響だ」という批判だ。この発言は、先にも〝ゆとり教育批判〟で名前の出た西村和雄教授によるものだ。

この意見は、〝もっとも〟のように聞こえるが、実はおかしなところがある。根拠となっているデータの取り扱いがよくわからないということもあるが、それよりも、もっと根本的なところで疑問を生じさせる発言なのである。なぜなら、〝重点化〟に飛びついたのは、一体「どこの誰なのか」を考えてみればすぐわかる。

院生の大量生産は、文科省の政策だけによって達成されたというわけでないことは、ここまで見てきた通りだ。予算二五%増に目がくらみ、自ら積極的に重点化に取り組んだのは誰だったのか。なぜ、先頭をきって重点化をすすめてきた側にいるものが、こうした発言を行うのか。その真意はどこにあるのか。

発言は、大学院重点化がスタートしてからちょうど一〇年目にあたる年になされたものだ。奇しくも時期を同じくして、重点化批判が高まっていくのもこの頃からだ。まるで、その口火を切ったかのような発言だった。

すでに、院生増によって、各大学院では教員の負担が高まっていたことに加え、人数が増えたことによる実験室空間や研究室空間の不足などという問題も生じていた。おまけに、昨今の余剰博士問題である。そろそろ幕引きを考えねばならない頃だったようにも見えないこともない。

「質を確保すべきだ」

その口実として、これほど大義を与えるものはないだろう。言い替えるとこうなる。

「そろそろ若者を切り捨てようか」

九〇年代の半ばから、この国では公然と若者を犠牲にすることで、それまでの社会システムを維持し続けようとすることが臆面もなく行われてきた(城繁幸『若者はなぜ3年で辞めるのか?』光文社新書)。城氏は、これを「既得権を持つ老人たちによる体制維持のための陰謀だ」とズバリ指摘する。

大学市場においても、平成四(一九九二)年をピークに、急激に一八歳人口が減っている。本来であれば、入学検定料の減少などによって、どこの大学も少なからず打撃を受けていたはずだ。

だが現実には、若年労働市場がかつてないほど縮小したことをいいことに、就職難であぶれた若者たちをすくい取るようにして大学院生へと仕立て上げ、その果てにかなりの収益を上げている大学も少なくないはずだ。質の確保を求める発言は、「ここらでもういいだろう」「もう十分いい思いをさせてもらった」。そう聞こえなくもないのである。

最悪の就職事情のなかで、どこにも行く当てのない若者たちが、一縷の望みを託し大学院にやってきた、あるいは引っ張り込まれた。そういう若者に対して、「馬鹿が来たから質が落ちた」とでも言いたげな発言を浴びせることは、そのリスクの高さからすれば通常ありえない。引っ張り込んだ引け目はないのだろうか。

やはり、ここは、院生増産フィーバーに対する〝火消し〟の意味合いだと考えるのが自然のように思える。

見事に帳尻が合った学生数

そろそろ、大学院重点化とは一体なんだったのかをまとめたい。

重点化の最初期に再注目すると、文部省(現・文部科学省)の政策とこれに呼応した東大法学部とによって、幕が切って落とされたことが思い出される。

さらに、ここでもう少しだけ前に戻る。すると、東大理学部の存在が思い出される。重点化政策が出される前に、独自に理学総合大学院構想を打ち立てていたが文部省の許可が下りなかったため失敗した、あの理学部だ。実はこの時期、法学部はこうした大学院改革にはあまり興味を持っていなかったという。だが、平成三(一九九一)年になると突如として重点化への口火を切るに至ったのだ(この時文部省の許可はアッサリ下りた)。「手品のようなやり方」「東大と文部省の悪知恵」などと、他大学からは白い目を向けられたという(読売新聞平成四〈一九九二〉年三月一五日付東京版朝刊)。

いずれにせよ、理学部が先陣を切ることに失敗し、法学部がそれにとってかわったという点は注目に値する。天下の東大法学部だからこその逆転劇に思えるからだ。各界に多くの人材を輩出する法学部。多くの関係者が文部省にもいることは、これまた当然だ。両者が協力体制をとりやすい構造にあることは想像に難くない。「うまいことを考えてくれた」と当時の理学部長は洩らしている(同前)。

文部省は予算請求枠が増え、大学も予算増となり、両者万歳である。しかも、時は平成三年。翌年には一八歳人口のピークを迎え、急激な人口減がその後に続こうとするなかでのことだった。

平成四(一九九二)年には二〇五万人だった一八歳人口も、平成一六(二〇〇四)年には一四一万人へと激減している。その差は六四万人。競争率は下がり、浪人も減ることで、必然的に進学率は上がっていく。平成一六年度の大学、短大、専門学校への進学率は、七四・五%。つまり、一〇〇人いれば七五人までがどこかの大学や短大、あるいは専門学校へと進学しているということになる。ちなみに、大学と短大だけをあわせた進学率は、四九・九%。この二つを合わせた数値のピークは平成五(一九九三)年の八〇万人。そして、平成一六年には、七一万人と減少している。

人口全体の急激な減少にくらべると、進学率がアップした分まだ穏やかな下降率と言える。減少分の内訳は、短大が大学に編入されたことと、短大そのものが消滅していったことによる。だから、四年制大学入学者数は、逆にアップしている。平成四年に五四万人だった大学入学者数は、六万人アップの六〇万人をここ数年維持している。

だが、この数値はほぼ限界に近いのではないか。格差社会の到来もささやかれるなかで、今後はこれ以上に進学率がアップしていくことはほとんど考えられないからだ。とすれば、これから、(大学入学者数の)本格的な減少に転ずることになる。

平成二六(二〇一四)年の一八歳人口の予測は、一一八万人。平成一六年から二三万人の減少だ。大学・短大の進学率が現状だとしても、その数五九万人。一二万人の減少である。これは、昭和五〇(一九七五)年のレヴェルだ。その後しばらくは、そのラインで上下すると予測されている。

こんな状況で、大学院生だけが増え続けている今の状態は異常だ。本来なら、大学・短大入学者数の減少にあわせて、こちらも少なくなるか、せいぜい現状維持といったところが関の山だ。だが、実際には、平成三年には約一〇万人だった院生が、平成一六年には二四万人余りにまで増えている。その数一四万人。

「ちょっと待った」と言いたくなるのは私だけではないだろう。先ほどの一二万人減にまるであわせるように一四万人増とは、これは一体どういうことか。

短大・大学に大学院まであわせると、一八歳人口の減少が一旦落ち着くと見られる平成二六年以降までの進学者数は、大学院重点化が始まった平成三年レヴェルに近い水準で維持されるということになるのである。なんというマジック!

若者に食わせてもらおう

もうお解りだろう。大学院重点化というのは、文科省と東大法学部が知恵を出し合って練りに練った、成長後退期においてなおパイを失うまいと執念を燃やす〝既得権維持〟のための秘策だったのである。

折しも、九〇年代半ばからの若年労働市場の縮小と重なるという運もあった。就職難で行き場を失った若者を、大学院に釣り上げることなどたやすいことであった。若者への逆風も、ここでは追い風として吹くこととなった。

成長後退期に入った社会が、我が身を守るために切り捨てた若者たちを、これ幸いとすくい上げ、今度はその背中に「よっこらしょ」とおぶさったのが、大学市場を支配する者たちだった。

増えた定員の多くは、国立が占めている。当分安泰だ。その国立は、独立行政法人になり法人組織に外部からの理事を迎えることとなった。もちろん、その道の〝専門家〟がそこに納まることとなる。大学の予算の使い道も、かつての制約が随分と緩くなり、自由裁量による分配が広く可能となった。これは、大学の独自色がより一層出しやすくなる環境が構築されたということだ。国立は、その基礎体力の強さに加え、さらに、自由という名の羽根まで手に入れ、今、飛び立とうとしているのである。

では、私立はどうなるか。淘汰にまかされるだけである。早く言えば、国も財政難だし、そろそろ「もう面倒はみきれませんよ」というところだろう。そうして、財政基盤の弱いところから順次潰れていくこととなる。

そこに設置してあった大学院も、当然、消える。だが、それは、単に元に戻ったというだけのことなのだ。狂乱の祭りのなかで、ただのノリで設置された大学院は、祭りが終わればゴミとなるしかないだろう。そして、その横には、若者の屍が累々と積み上げられていく。

(第3章に続きます)

5月20日発売の新刊、予約中です。




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