あの頃、父と食べた「銀将」のラーメン|パリッコの「つつまし酒」#100
「はあ、今週も疲れたなあ…」。そんなとき、ちょっとだけ気分が上がる美味しいお酒とつまみについてのnote、読んでみませんか。
混迷極まる令和の飲酒シーンに、颯爽と登場した酒場ライター・パリッコが、「お酒にまつわる、自分だけの、つつましくも幸せな時間」について丹念に紡いだエッセイ、それが「つつまし酒」。
今回は100回記念!
そろそろ飲みたくなる、毎週金曜日だいたい17時ごろ、更新です。
父のこと
これまでに僕が世に発表した文章で、父について語ったことは一度もなかったと記憶しています。
父は僕が27歳の時、発病率が約10万人にひとりとも言われる難病「ALS」で亡くなってしまいました。病気が発覚してからの生活はもちろんすごく大変だったのですが(僕よりもだんぜん母が)、父は人工呼吸器による延命治療を希望しなかったので、今ふり返ってみるとあっという間にこの世を去ってしまったような印象があります。
一人っ子である僕は、思春期ごろから成人するまで、両親とは必要最低限の会話しかしないという典型的なタイプ。しかも高校生にもなれば夜遊びばかりが楽しく、よって、酒飲みならば一度はやってみたい「父親との男同士のサシ飲み」をしたことがないんですよね。今思えばチャンスはいくらでもあったのに、人生の心残りのひとつです。
唯一酔っぱらった父を見る機会といえば、毎年親戚が持ち回りでそれぞれの家に集まって行われる新年会くらい。子供時代から見ていた酒の場での父の印象は、ネガティブな酔いかたをすることが一切なく、常に会話の中心にいて、誰かが荒れそうになれば「まぁまぁ、いいじゃない楽しくやれば」と、あっけらかんとその場の空気を変えてしまうようなタイプで、僕は父のそんな人柄にかなり影響を受け、今でもお手本にしたいと思いながら生きているような節があります。
銀将に行こう!
父は休みごとにマメに家族旅行などに連れていってくれ、そういう思い出は多いのですが、ふたりきりで外食をした記憶というとほとんどありません。唯一あるのが、子供の頃に家からすぐの場所にあった、若い夫婦がふたりで営む「銀将」という小さな中華屋さん。
我が家はみんなその店が大好きで、月に1、2度くらい、母から「今日は銀将にする?」なんて提案があると、とても嬉しかった。実家は、これまた今はなき「砂場」というそば屋の隣にあったので、母が「砂場の隣の小林です」と電話をかけ、出前の注文をする。すると、昔ながらのおかもちで、ぴっちりとラップをかけられたラーメンが届く。食卓へ運び、ラップをはがした瞬間にふわりと漂う食欲をそそる香り。あれは今思えば、僕が外食に感じた喜びの原点だったのかもしれません。
日曜の昼下がりなどは出前ではなく、父とふたりで銀将に出かけていくことも多かった。その間、母は家でたまった家事などをしていたのかな。
「銀将行くか」「うん!」とぶらぶら歩いていって、店内のテーブル席に着く。頼んでもらうのは決まって「チャーシューワンタン麺」。今となっては食べ切れる自信のないガッツリ系メニューですが、育ち盛りだったんですね。
あまりはっきりとは覚えてないけれど、父はまず、必死でラーメンをすすっている僕の横で餃子と瓶ビールかなんかをちびちびやって、最後にラーメンを食べて帰るのが定番だったような気がします。僕が先に食べ終わり、早く遊びたくてうずうずし、先に家に帰ってるなんてこともよくあったな。そのあとのほんの少しのひとり飲みの時間が、ちょっと楽しかったりしたのかもしれない。
あの頃の父はどんなことを考えていたんだろう。たまの休みに面倒だと思いつつ僕を連れ出してくれていたのか、それとも息子とふたりでのんびり食事するのを割と嬉しく思っていたのか。まぁ、直接聞くことはできないのですが。
銀将は、僕が中学に上がる前くらいには店をたたんでしまいました。ただ、その後も移転して営業を続けているとは母から聞いていて、ずっと「いつか行ってみよう」と思ってたんですよね。
ところでこの連載「つつまし酒」もついに100回目。節目だなぁ、なんて考えていたら突然思い立ちました。「あ、銀将に行こう!」って。
単純にすごくいい店
調べてみると銀将は、僕の住む石神井公園駅から西武池袋線でたった3駅下った東久留米駅が最寄りらしい。駅からは20分ほど歩く場所にあるようなんですが、ぜんぜんいつでも行ける距離じゃん! と、こんなにも間が空いてしまったことを反省しました。
緊急事態宣言下の今、営業しているかどうかの不安もあるけれど、なんとなく、事前に「今日やってますか?」と電話をかけるのも野暮な気がして、えっちらおっちら歩いて向かってみます。すると、確かに情報どおりの場所にあって、しかも営業中!
店名より「めん・ごはん」の文字が大きいのがなんだかいい
時刻はお昼時をちょっと過ぎたあたり。ほんのりと緊張しつつ店内へ入ると、元気のいい女将さんが「いらっしゃい! どこでも好きなところに座って」と迎えてくれました。
以前の倍くらいに広くなったように感じる店内は、ものすごく清潔でピカピカ。この時点で、初見で入ったとしても「確実にいい店だ!」と大喜びしてしまうような空気が流れています。
そして自分でも驚いたのが、女将さんと、奥の厨房で腕をふるうご主人について。最後に銀将に行ったのはもう30年以上も前のことで、記憶もすっかりおぼろげだったんですが、ぱっと目にした瞬間、そして声を聞いた瞬間、間違いなく確信したんですよね。「わ、あのふたりだ!」って。
とはいえ向こうはさすがに変わり果てた僕のことをわかるはずもありません。ひとまず落ち着こうと、餃子とビールを注文。すぐにビールが、「ちょっとこれ食べててね」と、サービスの煮物と一緒に到着。その一皿の嬉しいことといったら!
サービスにしては盛りが良すぎ!
一般的にこういうときって、ちょっとしたお新香かザーサイ、もしくは柿の種の小袋が出てくるくらいですよ。ところが、こっくりと煮込まれた大根、厚揚げ、さつまあげ、それからホタテが3つ! これがものすご〜く安心感のある美味しさで、もしここが銀将でなかったとしても感激で泣き出してしまうレベル。記憶にはないけど、父もこういうものを出してもらったりしてたんだろうか。
さらに餃子が到着
煮物をつまみにありがたく飲んでいると、餃子も到着。ひとつひとつが大ぶりでものすごくボリューミーですね。
まずはそのままかぶりついてみる。もちもちっとした厚めの皮の食感と香ばしさが良く、なかには優しい味わいながらも肉と野菜の旨味にあふれたジューシーな餡がたっぷり! 次に醤油、ラー油、酢をつけて。おいおいお父さん、こんなにも酒がすすむ餃子でビールを飲んでいたのかよ!
続いて、「レモン」や「グレープフルーツ」の他に「はちまきぶどう」「木いちご」「やまもも」など見慣れない名前が並ぶ「各種木の実サワー」のなかから、おすすめしてもらった「よつずみサワー」を注文。
「よつずみサワー」
よつずみとは「ガマズミ」とも呼ばれ、赤い南天のような実のなる植物で、わざわざ那須から取り寄せるそれを自家製の果実酒にして炭酸で割ったのがこのサワーだそう。甘く、かりんやあんずのような香りがし、スパイスや漢方っぽいニュアンスもある、体に良さそうな味わい。しかもなんとこれ、貴重なことに7年もののお酒なんだそう。それが一杯500円って、どこまでも良心的なお店ですね。
ラーメン人生、再開
記憶よりはほんのりとお化粧が派手になった気がする女将さん。料理が届いて「美味しそう〜!」と言う若者に対して、「美味しそうじゃなくて美味しいんだよ!」なんて笑っているのが聞こえます。確かに愛想はよかったけれど、昔はもう少し接客も控えめだった気もして、僕が勝手に時間をふっ飛ばしているからこそ実感できる30年ぶんの貫禄に嬉しくなったり。
やがて他のお客さんがいなくなると、「お兄さん、近くなの?」なんて話しかけにきてくれました。そこで思い切って伝えます。
「ここって昔、大泉学園にあったお店ですよね?」
「そうそう。よく知ってるね!」
「僕、実家が近くて、子供の頃によく食べさせてもらってたんです」
「そうなの? どのあたり?」
「『砂場』っていうそば屋がありましたよね。その隣の……」
「あら、小林さん!?」
鳥肌が立ちました。まさか覚えてくれているとは思っていなかったので。ただ一方の女将さんは、さも当たり前のことのように「あら〜、立派になって〜!」なんて言っています。そうだよな。こちらにとっては30年ぶりの思い出の店。だけど長く飲食店をやっていれば、そんな出会い、別れ、再会なんて日常茶飯事でしょう。そして、かつて通ったお客さんのことをしっかりと記憶している。まさにプロ。
女将さんが「小林さんとこの息子さんが来てくれたよ!」と伝えると、ご主人が顔を崩して「あんなに小さかったのに〜」と言ってくれたのも嬉しかったな。
その後、積もる話もたくさんさせてもらい、なんだか人生の宿題をひとつこなしたような気持ちになりましたとさ。
さて、最後にラーメンを食べて帰りましょう。「チャーシューワンタン麺」はさすがに食べきれそうもないので(そもそもメニューにないので特注だったのかも)、「チャーシュー麺」をお願いします。
「チャーシュー麺」はお手頃な750円
届いた瞬間、またまた鳥肌が立ちました。これは……間違いなく銀将のラーメンだ! あのワクワクしながらラップをはがしてかいだ幸せの香りが、どんぶりからぶわあっと立ちのぼってくる! 薄ぼんやりとしていた記憶がどんどん鮮明になっていく!
そうだ、これこそが僕にとってのラーメンだ
スープをすすった瞬間にまた驚きました。シンプルながらも深みのある醤油味。そこに感じる甘さも塩加減もすべてが記憶どおりだし、何よりネギ! ていねいに刻まれたネギがシャリシャリっと口のなかに入ってくる感覚が、強烈に懐かしいんです。
大ぶりな4枚のチャーシューはしっとりとして旨味が濃く、いろいろな店の味を知って大人になり、あらためて味わってみると、ものすごくクオリティーが高い。ぷりぷりとしてのどごしの良い麺も、まさに記憶のままの味。
僕、これまでにエッセイなどでよく「ラーメンにあまり興味がない」と書いてきました。その理由が今、わかった気がします。僕にとってのラーメンって、つまりは銀将のラーメンだったんですね。30年ぶりに食べたその味が、これ以上なく自分にしっくりくる。それが生活から突然消えて以来、自分の心身を形成するパーツから「ラーメン」そのものが抜け落ちていたんじゃないか? そんな気がするんですよね。銀将のラーメンを久々に食べた今、自分のラーメン人生が再び始まった! とすら感じています。
今回あらためて、両親が銀将を大好きだった理由を実感できたし、父はこんなにいいセットで昼飲みを楽しんでいたんだな、と、なんとなく時空を超えてサシ飲みができたような気にもなれました。
老舗の酒場には、3代続けて通う常連も珍しくない。そして、今まで想像もしていなかったけど、自分にも3代続けて通うような店ができてしまうのかもしれない。
いずれ家族で銀将におじゃまし、娘に「チャーシューワンタン麺」を食べさせてやる日が来るのが、今から楽しみでなりません。
パリッコ(ぱりっこ)
1978年、東京生まれ。酒場ライター、DJ/トラックメイカー、漫画家/イラストレーター。2000年代後半より、お酒、飲酒、酒場関係の執筆活動をスタートし、雑誌、ウェブなどさまざまな媒体で活躍している。フリーライターのスズキナオとともに飲酒ユニット「酒の穴」を結成し、「チェアリング」という概念を提唱。
2020年9月には『晩酌わくわく! アイデアレシピ』 (ele-king books)、『天国酒場』(柏書房)という2冊の新刊が発売。『つつまし酒 懐と心にやさしい46の飲み方』(光文社新書)、『酒場っ子』(スタンド・ブックス)、『晩酌百景 11人の個性派たちが語った酒とつまみと人生』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、漫画『ほろ酔い! 物産館ツアーズ』(少年画報社)、など多数の著書がある。Twitter @paricco