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心配事を「力」に変えるーー禅の教えに学ぶ、不安に左右されない生き方とは?

生きていくうえで泡のようにわき上がる心配事。コロナ禍では仕事や日常生活、人間関係の変革が求められ、新たな心配事に悩まされた人も多いのではないでしょうか。一度、不安や心配事を考え始めると、それはみるみる膨らんでいき、身動きがとれなくなってしまいます。
では、心配事があふれる世の中で、心穏やかに暮らすことはできるのでしょうか。その答えの一つは「禅の考え方」にあると、枡野俊明先生は話します。そして、このたび新刊『心がスッと軽くなる 禅の暮らし方』で、そんな禅を取り入れた不安に左右されない暮らし方について、まとめてくださいました。本記事ではそのエッセンスが詰まった「はじめに」を再編集して公開いたします。

コロナ禍でふりまかれた「心配事」

コロナ禍一色だった年が明け、二〇二一年の春からはワクチンの接種も始まりました。終息に向けて舵が切られた印象があるとはいえ、まだまだ、それもようやく端緒についたばかりというのが実情です。

この間、わたしにはコロナ禍を切実に噛みしめなければならない「できごと」がありました。三人の知人が新型コロナウイルスの感染で亡くなったのです。いずれも高齢の方ですが、そのうちの一人は外出も控え、日常の暮らしのなかでも、十分な注意をしていた方でした。

その方は、自粛生活の唯一といってもいい楽しみとして、定期的に古くからの友人と一時間程度お茶を飲み、おしゃべりをする時間をもっていました。そこで感染したのです。亡くなったのは感染がわかってわずか一週間後のことでした。

家族はもちろん、友人や知人など親しい人に感染者がいないと、コロナ禍がどこか遠い世界のこと、他人事であるかのような感覚があるかもしれません。しかし、それは間違いです。誰もがいつ、どこで、それも突然に、感染するかもしれない。それが、ウイルスというものの得体の知れなさなのです。

手洗いやうがい、マスクの着用など、すでに暮らしに取り入れている感染しないための対策、また、万一感染者になってしまった場合に、人に感染させないための対策を怠らないでください。

それと同時に情報の扱い方にも注意する必要があると思います。世の中が不安な状況にあるときは、さまざまな情報が錯綜します。いまはSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が広く普及していることもあって、誰でも容易に情報を発信することができます。

情報が玉石混淆なのは常ですが、とりわけ、いまは〝石(デマ、フェイクの類い)〟が乱れ飛んでいる気がするのです。

メディアではしばしば「自粛警察」という言葉が使われましたが、コロナ禍にからんで、根拠もなしに人を攻撃したり、中傷したりする情報も、少なくはありません。それらに振りまわされると、心が余裕をなくし、窮屈になります。その結果、不安が募り、心配事が増えるのは必定でしょう。

ここしばらくは情報の的確な取捨選択が不可欠な、日常的な課題になるでしょう。本書でもその方法について項目を設けています。

「即今、当処、自己」の教えで不安を乗り越える

現在、時代は、世の中は、これまで経験しなかったほどの転換期にあります。誰もが仕事も、プライベートも、あるいは人間関係も、大きく、劇的に変化したことを実感しているはずです。

そのなかで感じる不安や迷い、抱える悩みや心配事は、これまでとは様相も中身も違うものと映っているのではないでしょうか。その〝未知感〟、わからなさが、不安や心配事を増幅しています。

そのような状況だからこそ、わたしにはこれまで以上に強く思うことがあります。禅の必要性がそれです。禅のものの見方、考え方、処し方、ふるまい方が、いまほど求められているときはない。わたしはそう確信しているのです。

こんな禅語があります。

「即今、当処、自己」

いま、このとき、自分がいるその場所で、やるべきことを精いっぱいやっていく。そのことがいちばん大切である、という意味です。これが禅の原点であり、鉄則でもあるといっていいと思います。

たとえば、心配事があるとき、みなさんはどうするでしょうか。その心配事が払拭できるように、それが解決に向かうように、いろいろなことを考えるのではないか、と思うのです。

しかし、考えれば考えるほど、心配事はふくらんでいき、心が閉塞状態になって、身動きができなくなるのではありませんか。心配事を思いのなかに閉じ込めてしまうと、そこから前に踏み出せなくなるのです。

禅の手法は違います。「禅即行動」という言葉があるように、とにかく動くこと、行動することが、(心配事がある)その状況から抜け出す最良の方法、もっといえば唯一の方法だと考えるのです。

動くということは、まさしく、いま、その場所(状況)で、やるべきことを精いっぱいやっていくということです。

そのために必要なのは、状況を正しく把握することでしょう。自分の足元をしっかり見据えるといってもいいかもしれません。そうすることで、やるべきことが見えてくるのです。

あとはそのやるべきことを、ひたすら、精いっぱいやっていくだけです。その先にいるのは、心配事から抜け出した自分、心配事を乗り越えた自分です。わたしは心配事は人生の課題であると考えています。

課題をクリアした自分が一皮むけた自分、成長した自分であることは、いうまでもないでしょう。いかがですか。そうした一連の流れのなかでは、心配事(課題)が、自分を成長させる「力」になっていると思いませんか。

「いま」「ここで」「精いっぱい(やる)」という禅の鉄則、流儀を、ぜひ、暮らし方の基本にしてください。本書にはそうするうえでのヒントを過不足なく盛り込んだつもりです。

さあ、心配事が力になる暮らし方を一つひとつ実践して、厳しい時代を乗り切って参りましょう。

『心がスッと軽くなる 禅の暮らし方』目次

はじめに
第1章 ── 不安を除き、煩悩を断ち切る。
第2章 ── 悲観せず、抗わず、削ぎ落とす。
第3章 ── 暮らし方を整えて、軽々と過ごす。
第4章 ── 図太さと鈍感力だけあればいい。
第5章 ── 力を抜いて、無心に暮らす。

著者プロフィール

枡野俊明(ますのしゅんみょう)
1953年生まれ。曹洞宗徳雄山建功寺住職、庭園デザイナー、多摩美術大学環境デザイン学科教授。大学卒業後、大本山總持寺で修行。禅の思想と日本文化に根ざした「禅の庭」を創作する庭園デザイナーとして国内外で活躍。主な作品に、カナダ大使館、セルリアンタワー東急ホテルラウンジ・日本庭園、ベルリン日本庭園など。2006年「ニューズウィーク」日本版にて、「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれる。『心配事の9割は起こらない』(三笠書房)、『傷つきやすい人のための 図太くなれる禅思考』(文響社)、『禅、シンプル生活のすすめ』(知的生きかた文庫)などベストセラー多数。

他にも光文社新書では枡野先生の人生論を綴った『人生は凸凹だからおもしろい』もありますので、ご興味のある方はぜひ!


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