ツイッターには政治的偏りをもたらす効果がある―『正義を振りかざす「極端な人」の正体』本文公開
光文社三宅です。9月17日に山口真一先生の新刊『正義を振りかざす「極端な人」の正体』(光文社新書)が刊行されました。コロナ禍で顕著となった「SNSでの誹謗中傷」「不謹慎狩り」「自粛警察」といった主にネット上での負の現象を分析し、その解決策を提示した内容です。本記事では、本書第1章を何回かに分けて公開中で、今回はその3回目です。
※前回までの記事はこちらで読めます。
SNSは世論を反映しない
近年、ネットの意見というものが随分と社会の意見として取り上げられるようになってきた。SNSを見ている私たち自身はもちろん、テレビなどのマスメディアでも、「ネットではこのように言われています」と取り上げられるのは日常茶飯事だ。
しかし、このようなメカニズムを考えると、ネット上の意見を「世論」として取り上げることの危険性が見えてくる。
もちろん、ネット言論のすべてを否定するわけではない。私はむしろ人々が自由に意見を発信できる空間の存在は素晴らしいと思っているし、企業も消費者の生の声を聞く・利用することで、様々なマーケティング活動が可能になった。ネットで発信される人々の率直な意見やクチコミには、高い経済効果があることも分かっている。
以前、私がグーグルと共に約3万件のアンケート調査データを使って実証研究したところによると、クチコミにはなんと年間約1兆円以上の消費押し上げ効果があることが分かったのだ。
これは、1兆円の消費に関わっているということではなく、1兆円純粋に消費を押し上げているということである。例えば、今日の昼食はA店の1000円ランチにしようと思っていた人が、クチコミを見てB店の1000円ランチに変えた場合、消費額に変わりはない。これは、A店とB店で「顧客を奪い合う」タイプのクチコミ効果だといえる。
一方で、そもそも外食しようと思っていなかった人がクチコミを見ることでランチに出かけ、1500円のランチを食べた場合、あるいは、1000円ランチにしようと思っていた人が、クチコミを見て1500円のランチに変えたという場合、前者では1500円、後者では500円、市場全体の消費額そのものを押し上げるクチコミ効果があったといえる。このような、マーケットそのものを拡大する効果が、クチコミには1兆円以上もあったというわけだ。
しかし、このように高い経済効果を持ち、世論とまで言われるネット上の言論であるが、そこには偏った意見があることを忘れてはいけない。ネット上で見える意見分布は社会の意見分布と比べてかなり極端で歪んでおり、かつ、その歪み方はトピックによって異なる。そして、仮にネット上で極端な意見同士がぶつかりあっていても、それが社会の縮図であるとは限らないのである。
クチコミでも極端な意見が多い
実は、先ほど高い経済効果があると述べたクチコミにも、同様の偏りが存在する。私が以前アプリのクチコミ(レビュー)と、人々のネット通販におけるクチコミ投稿行動を分析したところによると、以下のことが分かった。
・クチコミは2、3、4点を付ける人が少なく、5点と1点が多い谷型の意見分布となっている。
・批判的な感情を抱いた人の方がクチコミを書く。
例えば、20~60歳の男女約2万人を対象としたアンケート調査分析では、多くの製品・サービスのクチコミにおいて、批判的な感情を抱いた人の方がクチコミを書いていた。映画「美女と野獣」を例に挙げると、社会全体の評価と比べて、クチコミを書いている人の評価は0.47点も低かった。5点満点であることを考えるとこれは相当に大きい。評価が3点の映画と2.53点の映画では、見る人に与える印象が大きく異なるだろう。
実は、このような現象は、ネットが普及する前から社会心理学やマーケティングの分野では指摘されていた。1983年に当時ルイジアナ州立大学教授だったマーシャ・リチンズの研究によると、より大きな不満を持っている消費者ほど周囲にその不満を漏らし、報復的な行動を行うということが分かっている。
つまり、昔であればそれはリアルで一部の友人に対して伝えるクチコミに過ぎなかった。しかし今はそれが、不特定多数の人に伝えることが出来るネットのクチコミとなる。しかも、リアルで友人の好きなものを批判するのは不快感を示されるだろうが、ネットではそのクチコミを聞いて嫌がって遮る人はおらず、長文で、言いたいだけ言えるのである。
ネットにおける偏りは、ある意味昔からあった偏りを顕在化したものともいえるだろう。そしてこの「批判的な感情を抱いた方がネット上で発言する」という特性は、ネットに誹謗中傷があふれるさらなる要因にもなっている。
ネットは「極端な人」を生み出す装置?
さて、「極端な人」がネットに多い理由に戻ろう。
私は2番目に、ネット自身が「極端な人」を生み出すということを指摘した。先ほどはネットでは「極端な人」が元気になり、多くの発信をすることを説明したが、今度はネット自身が「極端な人」を生み出すという、ある種逆因果の話である。
その理由は、ネットには無数の情報、人、コミュニティがあり、誰もが皆、常にいろいろなものを取捨選択しているということにある。
あなたは、何かについてネットで調べたい時、どうするだろうか。おそらく多くの場合、グーグルなどの検索エンジンか、ツイッターなどのSNSで検索をするのではないだろうか。この時あなたは、情報を取捨選択し、自分の見たい情報に効率よく辿り着いているといえる。
また、ネット上でどのようなコミュニティに属しているだろうか。どのようなフォロワーと交流しているだろうか。まさか、ネットにいる人全員と繋がることは出来ないだろう。そのため、所属するコミュニティやコミュニケーション相手も、やはり絞り込んで取捨選択しているのである。
このことについて、ハーバード大学ロースクールのキャス・サンスティーン氏を始め、多くの専門家が、「サイバーカスケード」や「エコーチェンバー」という言葉を用いて警告している。
サイバーカスケードとは、同じ思考や主義を持つ者同士を繋げやすいというインターネットの特徴から、極端な意見になりやすくなるというものである。また、エコーチェンバーとは、閉じたコミュニティの中で同意見ばかり飛び交う環境に身を置くと、意見が過激化・固定化されることを指す。
ネットにある多くのサービスや機能は、我々が無数にある情報や人を効率よく選択することを助けてくれる。しかし想像してみて欲しい。そのようにあらゆるものをフィルタリングできる状態に置いて、あなたはわざわざ「自分の見たくない情報」や「自分の嫌いな人」にアクセスしようとするだろうか。おそらく、よほど奇特な人でない限り、そのようなことを積極的にしようとは思わないだろう。
その結果、人々は自分と同じような意見を持つ人ばかりと交流したり、情報にアクセスしたりするようになる。あるトピックについて反対の意見を持っている人は、反対の意見を持っている人同士で交流したり、反対の意見が書かれたブログを読んだりするわけである。
そして、そのように同じ意見の人ばかりで話していると、集団極性化が起こるといわれている。集団極性化とは、ネット普及前から心理学の分野で立証されている現象であり、集団で討議した結果、討議前の各個人の意見よりも、より先鋭化した決定がなされることを指す。例えば、左翼の人々が討議した場合はより一層左翼的に、右翼の人々が討議した場合はより一層右翼的になる現象である。
「自分の好きな情報だけに接する」はそこかしこで起きている
この現象は、おそらくあなたが思っている以上に世界中で起こっている。例えば、現在フェイスブックのデータサイエンティストチームにいるラダ・アダミック氏らが、2004年の米国大統領選挙の間の投稿を収集し分析した結果、リベラルなブログと保守的なブログには溝があり、特に保守的なブログは互いに繋がりが強く、投稿が頻繁に行われていることが分かっている。
また、南カリフォルニア大学ポスドクのアレッサンドロ・ベッシ氏らがフェイスブックとユーチューブのコンテンツデータを分析した研究では、科学的コンテンツを好む人は科学的コンテンツばかりを、陰謀論的コンテンツを好む人は陰謀論的コンテンツばかりを閲覧し、二極化したコミュニティが出現していてこの2つのコミュニティが全く交わっていないことが示された。
このようなコミュニティの分断化はいたるところで見られている。最近だと、ブラジルのヴィソーザ連邦大学准教授のシルビオ・C・フェレイラ氏らの研究では、ブラジルの前大統領弾劾について、ツイッター上では賛成派と反対派が完全に各々のコミュニティを構築しており、反対意見の人同士でのやり取りはほとんど存在しなかったことが明らかになっている。
そして、ライヤーソン大学准教授のアナトリー・グルズド氏らが、カナダ連邦選挙について、1492人のツイッターユーザが投稿した5918件のツイートのデータを用いて分析したところ、ツイッターには政治的偏りをもたらす効果があることも明らかになった。研究では、ネットには多様な意見があり、それらの意見の交わりによるより広い議論や学習に繋がる効果も一部見られたものの、その力よりもエコーチェンバーにより二極化されたコミュニティで意見が強まっていく効果の方がはるかに大きかったらしい。
また、米国のピュー・リサーチ・センターの長期間調査によると、1994年に比べ、20年後の2014年には、リベラル対保守の政治傾向が両陣営とも強まっており、政治的分断が広がっているようである。また、同じように米国で「自分の子供が反対党派の子供と結婚することに対してどう思うか」を調査したところ、いやだと答えた人は1960年代にはわずか5%であった。しかし、これが2010年には約40%に達していたのである。
このような研究結果を挙げ始めたら枚挙に暇(いとま)がない状態であり、あらゆる科学的な研究が、ネットでは同じ意見の人同士が集まり、その中で交流することで意見が極端化していく現象を証明している。
ネットの技術が極性化を加速させる
このようなフィルタリング――選択的接触――は、我々の手によるものだけではない。なんと、ネットサービスで使われている技術そのものが、我々に選択的接触を勧めてくるのである。
あなたは、グーグルでの検索結果が一人一人異なることをご存じだろうか。あるいは、フェイスブックで流れてくるニュースや広告が、あなたならではのものとなっており、たとえフォローしている人が同じだったとしても、他人とまるで異なっていることをご存じだろうか。
このような現象は、多くのウェブサービスで見られる。サービス側はあなたの交流データやウェブサイト閲覧履歴データを収集しており、そのビッグデータを使って「あなたの見たい情報」が優先的にあなたの目に留まるように配信している。そのため、今あなたが見ているウェブの世界というのは、あなたに最適化されるようにサービス事業者がカスタマイズして表示している世界なのだ。
例えば、あなたがノートパソコンを欲しいと思ってノートパソコンを検索したら、フェイスブック上の広告がノートパソコン一色になったということはないだろうか。あるいは、アマゾンで電化製品を買ったら、似たような電化製品が何度もメールでお勧めされるようになったかもしれない。これらは、あなたのウェブ上のデータを分析して、サービス事業者があなたの欲しいものを配信しているのである。
このような商品のレコメンドや広告は可愛いものだが、政治的な話題についても、入力した政治信条や、その人のこれまで閲覧したニュースなど、様々なデータを分析し、アルゴリズムによって自動でその人に合ったニュースコンテンツなどを配信している。
このように、アルゴリズムによって見たい情報ばかりにアクセスするようになることを、フィルターバブルという。
こう書くと、ツイッターやフェイスブックなどのサービス事業者だけに問題がありそうだ。しかし、彼らがこのような戦略をとるのは、あくまでユーザである我々自身の反応が圧倒的に良くなるためである。事業者は、あくまでビジネス戦略として、より多くの人が関心を持つコンテンツ・広告を配信したいだけだ。
結局人間は、自分の見たいものを見ている方が楽しいのである。ネットのフィルタリングはそれを可能にしたというわけだ。
話題になった「ネットは社会を分断しない」
一方、このようなネットが人々を極端化するという言説に、反対の立場をとっている研究もあるので紹介したい。慶應義塾大学教授の田中辰雄氏らは、『ネットは社会を分断しない』というセンセーショナルなタイトルの本で、何と10万人を対象とした大規模なデータ分析を行っている。
研究で明らかになったのは、主に次の2点である。
・そもそもネットを多く使っているはずの若い人より、中高年以上の方が政治的に極端である。
・SNSの利用は極端化を進めるばかりか、むしろ若い人を穏健化する効果があった。
これはこれまでの研究成果とは異なる結果であるが、既にその理由も検証されている。それは、ツイッターユーザは、自分と異なる考え方を持っている政治家やオピニオンリーダーを、なんと32~47%もフォローしているというのだ。つまり、エコーチェンバーは起こっていないというわけである。
こういうと「どうせ批判するためにフォローしてる」と思うかもしれないが、たとえそうだとしても、そもそも現実社会であっても32~47%もの自分と反対の意見を持つ人と交流する例は稀だろう。とすればやはりこれは驚くべき数字である。この研究には反論も出ているものの、5万人規模の追跡調査をしているような研究は他に類を見ず、この結果はかなり興味深い。
ただし、ネットニュースは人を極端化しているという結果も同時に出ていた。そのため、SNSの利用で極端化はしていないかもしれないが、ネットニュースを長く見ていると極端化しやすいといえる。これは、ネットには極端なニュースから穏健で論理的なニュースまで幅広く存在しており、選択的接触の中で自分の見たいニュースばかりにアクセスするためと考えられる。
SNSでは自分と反対意見の人をフォローしていることで、ある種「別の視点」に触れる機会があるとしても、ネットニュースではそういうことも起きないというわけだ。
(続く)