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アルゲリッチ:世界最高のピアニスト「Best of Best」名盤5選

批評家の本間ひろむさんが書かれた『アルゲリッチとポリーニ』(光文社新書)に、「アルゲリッチとポリーニの『名盤20+20』」と題された名盤紹介のコーナーがあります。ここでは、レコード時代から名盤と謳われているものが20タイトルずつ(アルゲリッチ20、ポリーニ20)選ばれ、解説が加えられています。今回、本間さんはnote用に各20タイトルの中からさらに厳選し、「Best of Best」として5タイトルずつ(アルゲリッチ5、ポリーニ5)選んでくださいました。(解説部分はすべて『アルゲリッチとポリーニ』から抜粋)ピアノ・スターの「名盤中の名盤」を文章と画像でお楽しみください。こちらはアルゲリッチ編。ポリーニ編はこちら


デビュー・リサイタル

本文でも触れたが、ショパン・コンクールで優勝する5年も前に名門ドイツ・グラモフォンに録音されたデビュー・アルバム。
収録曲は、ショパン《スケルツォ第3番》、ブラームス《2つのラプソディ》、プロコフィエフ《トッカータ》、ラヴェル《水の戯れ》、ショパン《舟歌》、リスト《ハンガリー狂詩曲第6番》である。
「全部を通して3回弾きます。あとはそちらで選んでください!」とアルゲリッチは言った。合間にコーヒーをがぶがぶ飲み、煙草をパカパカ吸いながら。
このレコードを聴いてホロヴィッツが手紙を書いて寄越したことは本文でも書いた。聴講生たちが部屋でかけていた《水の戯れ》を、通りかかったミケランジェリが「僕のレコードかい?」と訊いたのもこのレコードである。
若さゆえの荒削りな音を必死で整えようとする制作者側(ドイツ・グラモフォン)。その手をくぐり抜けほとばしる、生命感に溢れた音。そうかと思えば、このピアノを弾いているのはどこの巨匠だ、と思えるくらいの太々しさ、そして老獪なフレージング。〝天才〟が端々から発露している名盤。


ショパン《ピアノ協奏曲第1番》《第2番》

野心あふれる指揮者シャルル・デュトワがアルゲリッチに「あれを弾け、これを弾け」とワイワイ言うたびにアルゲリッチは「いやよ」と言い続けた。結果、アルゲリッチがコンチェルトで共演・録音した数はクラウディオ・アバドの方が多い。
こんなふうに、私生活では夫婦だったのに音楽家としては良きパートナーになりきれなかった2人だが、1998年にモントリオールで録音されたこのアルバムだけは別のようだ。しかも、この時はもう夫婦ではないから興味深い。
自分の人生から大切なものが失われていくことを経験したアルゲリッチは、もう突っかかることをやめた。もちろん彼女の得意とする2曲のピアノ・コンチェルトである。匂い立つようなロマン派の香り、次の瞬間どんな光を放つか分からないアルゲリッチの輝かしい音。若き日にアバドと録音した《ピアノ協奏曲第1番》の瑞々しい感じもいいが、本作は円熟味が加わって実に聴きどころが多い。疾走する青春の譜《第2番》もスリリングで素晴らしい。


チャイコフスキー《ピアノ協奏曲第1番》、ラフマニノフ《ピアノ協奏曲第3番》

若き日のアルゲリッチなら、とにかくライヴ録音がいい。ソロかコンチェルトのアルゲリッチは、親の仇と戦っているようなピアノを弾く。私はこんなところでピアノなんか弾きたくないの、と叫んでいるように弾く。
ラフマニノフのコンチェルトはラジオ放送用に録音された音源で、お聴きのとおりミスタッチはそのままだし、トーンのバランスも悪い。だが、この録音のアルゲリッチは何かに取り憑かれたように時折ボッと炎が立ち上るような瞬間があり、オーケストラを引っ張り回し、死ぬほど美しい弱音を弾いたかと思うと急に全速力で走り始める。まるで、この曲を得意としたホロヴィッツの生霊から逃げ出すように。
一方のチャイコフスキーは得意曲だけあって、落ち着いた中にもエネルギッシュな演奏を展開している。この録音のほかにもアバド&ベルリン・フィル盤やデュトワ&ロイヤル・フィル盤があってそれぞれにエキサイティングで豪華な録音。この曲に関してはどの録音も外れはない。


コンセルトヘボウ・ライヴ1978&1979

アルゲリッチはその時々で様々な表情を見せる。彼女の心の裡(例えばエモーション、パッション、インテリジェンス……)がそのままピアノに表れるのだ。
舞台へ続く階段をスタスタと下りてきた彼女は、ピアノの前に座るなりいきなりバッハを弾き出したという(ロイヤル・コンセルトヘボウの楽屋口は舞台後方の階段の上にある)。
そして、アムステルダムでのアルゲリッチは、何か大きなものとひとりで戦っているようだった。何と戦っている?!
本文にも書いたが、バッハの《パルティータ第2番》は神の存在を信じない人のバッハ。ショパンの《スケルツォ第3番》は誰にも弾けない激しいショパン。ショパン・コンクールでも、デビュー・アルバムでも弾いた曲だ。溢れ出す感情のマグマ。うん、戦っている。プロコフィエフの《戦争ソナタ》は底意地悪く、慈悲深い。
「コンチェルト」を集めた『コンセルトヘボウ・ライヴ』もあって、こちらはモーツァルト《ピアノ協奏曲第25番》とベートーヴェン《ピアノ協奏曲第1番》が収録されている。モーツァルトはシモン・ゴールドベルク&オランダ室内管、ベートーヴェンはハインツ・ワルベルク&ロイヤル・コンセルトヘボウ管との共演。


プロコフィエフ《ピアノ協奏曲第3番》、ラヴェル《ピアノ協奏曲》

「シューマンは腹心の友。プロコフィエフとラヴェルは家族の一部」とアルゲリッチは言う。
彼女はピアノを弾いているうちにその作曲家の息遣い、心の動きを捉え、共鳴してしまう。心の深い部分で。そうしたピアニストのバイブレーションをいかに理解できるかが、指揮者の力量なのだ。 その点、クラウディオ・アバドとアルゲリッチの相性は抜群だ。アルゲリッチはアバドとは戦わない。素直に音楽と向き合っている。
プロコフィエフの《ピアノ・コンチェルト》は、スペクタクルかつ繊細。そして流麗。ベルリン・フィルも巧みだ。
ラヴェルの《ピアノ・コンチェルト》は一転して鮮やかでカラフルな世界。アルゼンチン人の女性ピアニスト、イタリア人指揮者、ドイツのオーケストラの組み合わせでこんなにもちゃんとフランスの音が出るのか。そうそう、アルゲリッチはデュトワ(フランス語圏で生まれたスイス人)とモントリオール交響楽団(こちらもフランス語圏)とのラヴェルもあるが、そちらと聴き比べてみるのも面白い。オケの力量⁉ 指揮者のスキル⁉ がよく分かる。
ともかく、本作はきらめきと閃きに溢れた名盤。

アルゲリッチ

マルタ・アルゲリッチ 1941年6月5日、アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ。5歳でヴィンチェンツォ・スカラムッツァの下でレッスンを始める。1957年、ブゾーニ国際ピアノ・コンクールとジュネーヴ国際音楽コンクールで優勝。1965年のショパン国際ピアノ・コンクールでは情熱的な演奏スタイルでセンセーションを巻き起こして優勝。以降、じゃじゃ馬のようなという慣用句が定着するくらいバリバリ弾き倒し、女性ピアニストのイメージを一新した。私生活でも2回結婚し、それぞれ父親の違う3人の娘をもうけるなど話題を呼ぶ。近年は「別府アルゲリッチ音楽祭」などで仲間たちとの室内楽を中心に音楽活動を展開している。ポリーニとともに世界最高のピアニストと呼ばれている。
イラスト:いとうまりこ


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