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「戦争の終わらせ方」には2つの道がある|『戦争はいかに終結したか』中公新書

ウクライナにパレスチナ。日々のトップニュースを各地の武力・軍事衝突が占めるようになってから、決して短くない月日が流れました。お互いの「譲れなさ」から衝突に至ってしまう戦争に、果たして「落とし所」はあるのでしょうか。千々和泰明さんの『戦争はいかに終結したか』(中公新書)には、それを考えるためのヒントが詰まっています。「新しい戦前」とも称される今、歴史から学べることはきっとあるはずです。

チキンゲームと戦争終結論

暴走族の度胸試しに「チキンゲーム」がある。まず、中央に白線の引かれた真っ直ぐな道路を選ぶ。200メートルほど離れて、二台の車が向かい合わせに停まっている。中央にいる審判役が旗を振るのを合図に、二台の車はアクセルを全開にして、猛スピードで互いに接近する。どちらの車も、必ず白線をまたいでいなければならないルールである。しかし、数秒で正面衝突の危険が迫ってくるから、どちらかが白線から外れて相手を避けなければならない。そして、先に白線を外れた車の方が「チキン(弱虫)」と呼ばれるわけである。

チキンゲームに勝つためにはどうすればよいのだろうか?

もちろん、最初からこのようなゲームに参加しなければよいだろう。しかし、実は、チキンゲームは、人間社会では非常に広い範囲で見られる利害関係に関するモデルであり、誰もが嫌でも参加せざるをえない場合がある。たとえば、核兵器を所有する二つの国家が「瀬戸際政策」を取るケースである。「キューバ危機」のように、アメリカとソ連が国家間の緊張を高めて、相手国に譲歩させようとした戦術だが、もし相手国が譲歩せずに、さらに緊張をエスカレートさせたら、どうなっていたか?

天才数学者フォン・ノイマンの創始した「ゲーム理論」は、基本的に理性的なプレーヤーが「理性的な解」を求める仕組みになっている。ところが、非常に奇妙なことに、チキンゲームでは「理性的でない解」の方が優位に立つと考えられる。つまり、チキンゲームには、ゲーム理論が通用しないのである!

今からチキンゲームが始まるとしよう。車に乗ってアクセルを踏み込もうとした瞬間、正面の相手がハンドルを引き抜いて窓から投げ捨てるのが見えたとする。つまり、相手は「捨て身」の戦術で、直線を走るしかない方法を選んだのである。相手が絶対に避けない以上、こちらが避けなければ両者とも死んでしまう。つまり、チキンゲームに勝つのは「最高にイカれて狂ったヤツ」だということになってしまうのである!

千々和泰明『戦争はいかに終結したか』中公新書、2021年。


さて、本書の著者・千々和泰明氏は、20世紀の戦争終結を「紛争原因の根本的解決」(第一次世界大戦・第二次世界大戦・アフガニスタン戦争・イラク戦争)と「妥協的平和」(朝鮮戦争・ベトナム戦争・湾岸戦争)とのジレンマから詳細にわたって分析している。その際、千々和氏が分析の基盤とする概念が「現在の犠牲」「将来の危機」である。

第二次世界大戦では、連合国側は「現在の犠牲」よりもドイツのナチズムや日本の軍国主義に対する「将来の危機」を優先し、あくまで「無条件降伏」を勝ち取るまで戦い続けた。

一方、朝鮮戦争やベトナム戦争におけるアメリカは、事態が当時のソ連や中国との戦争にエスカレートする「現在の犠牲」の拡大を恐れて妥協し、「将来の危機」を軽視せざるをえなかったという。

本書で最も驚かされたのは、二〇世紀の戦争指導者が「現在の犠牲」と「将来の危機」の間で揺れ動く異様な姿である。そこに「理性的な解」は存在するのだろうか?

一九五〇年に朝鮮戦争が始まった当時、ノイマンは「将来の危機」を最大限に見積もって、「ソ連を先制核攻撃すべきだ」と、トルーマン大統領に進言した。彼の計算は何を意味するのだろうか?


本書のハイライト

実は平和の回復にとって単なる戦争終結それ自体は重要ではない。戦争終結は早期になされればいいというわけでもない。平和の回復にとって重要なのは、それがどのような条件によってもたらされた戦争終結であり、それによって交戦勢力同士がお互いに何が得られ、何が失われるのかということで
ある。ここに戦争終結のジレンマを問う意味がある。

p. 275



以上の記事は、高橋昌一郎『新書100冊』(光文社新書)に掲載された文章を一部抜粋・再構成したものです。

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