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鎌倉が世界遺産に選ばれないのはその歴史に理由がある|高橋慎一朗『幻想の都 鎌倉』より

光文社新書

編集部の田頭です。『鎌倉幕府と室町幕府』(3月刊)に引き続き、2022年の鎌倉本第2弾『幻想の都 鎌倉』をお届けします。
今回の内容は、光文社新書らしくちょっとひねって「都市としての鎌倉」の歴史、しかも縄文時代から現代までを一望する通史となっています。執筆をお願いしたのは、高校生の時から鎌倉の文化と歴史に親しんできたという東京大学史料編纂所の高橋慎一朗先生。高橋先生がご専門とする日本中世史や都市史の知見がいかんなく発揮されている一冊です。
なぜ源頼朝は鎌倉を都に定めたのか? そもそもなぜ日本人はこんなに鎌倉が好きなのか? そしてなぜ世界遺産に選ばれなかったのか? 鎌倉にまつわる魅力あふれる歴史に触れながら、「古都鎌倉」の成立過程とその実像を明らかにします。発売を機に、以下「はじめに」を公開します。ぜひお楽しみいただければ幸いです。

はじめに

 鎌倉は、不思議な「古都」である。現在の鎌倉は、東京から電車で一時間ほどで到着することができ、人口十七万人の小都市でありながら、年間二千万人もの観光客が訪れる、首都圏有数の観光地となっている。駅前の小町通りは、食べ歩きをする人々や、みやげものを買う人々で賑わっているが、果たしてそこに「古都」らしい光景が見られるかというと、どうもそのような感じでもない。

 和食・和菓子・民芸品・人力車などなど、「日本の伝統文化」風の商売が満ち溢れてはいるが、それは日本各地の観光地で見られる一般的な「和テイスト」に過ぎず、鎌倉独自の歴史が反映されたものはほとんどない。ましてや、江戸時代以来の町並みが残されているわけでもない。実は、現在の小町通りの商店街が形を見せるのは、近代の昭和になってからなのである。

 町なかのあちこちで見かけられるおしゃれな洋館やレトロな商店は、鎌倉散歩の魅力の一つではあるが、これまた明治以降のもの、多くは昭和になってからの建物である。つまり、現在の鎌倉が、江戸時代以前の鎌倉の姿をどれほど伝えているのかは、はなはだ心もとないのである。

鎌倉文学館[著者撮影] 

 日ごろ、なにげなく目にする「古都」ということばは、単に「昔からある古い都市」ぐらいの意味で使われる場合もあるが、「都(みやこ)」を厳密に首都もしくは政権の本拠地という意味でとらえると、日本で古都と呼べる都市は限られてくる。

 たとえば、飛鳥・奈良(平城京)・京都(平安京)・鎌倉・江戸などが、それにあたる。こうした都市が政権の本拠地であったからこそ、日本の歴史の時代区分には、これらの都市名をつけた「飛鳥時代」「奈良時代」「平安時代」「鎌倉時代」「江戸時代」などの名称が使われているのである。その意味で鎌倉は、紛れもなく日本の古都だと言えるのだが……。

小町通り[著者撮影]

 そもそも、「都市」とは何であろうか。今まで、どれほど多くの研究者(私も含めて)が、この問いに答えようとしてきたことだろうか。しかし、一つの答えにたどりつくにはいたっておらず、さまざまな定義のしかたが提唱されているのが現状だろう。都市が、多くの人が住んでいる集落であることは確かである。その上で、政治的に重要な場所であるから人が集まってくるのか、または経済的に重要な場所であるから人が集まってくるのか、どちらの側面を重視するかで都市の定義のしかたが大きく分かれるのである。

 たとえば、日本の中世(鎌倉時代から戦国時代)では、各地に市や宿や港などの交易の拠点に人が集まるようになっており、こうした中小の交易集落を経済的側面から「都市」と定義すれば、中世は数え切れないほど多くの都市が存在した時代、ということになる。いっぽうで、都市の政治的側面を重視して、「都市」とは公権力の拠点となる巨大集落である、と定義すれば、中世の都市は、京都・鎌倉、そして戦国大名の城下町が代表的なもの、ということになる。 

 私は、これまでどちらかと言えば、前者の経済的な側面を重視して都市を考えてきたが、最近は、後者の政治的側面を重視することで見えてくるものもあると思うようになった。政治的定義からみれば、さきほどの厳密な意味での「古都」こそが、時代を代表する都市であり、鎌倉が鎌倉時代を代表する政治都市であったことは間違いない。

 しかしながら、同じような「古都」である奈良・京都と比較すると、鎌倉には「政権の本拠」の痕跡がきわめて薄い。奈良には、平城京の中心であり天皇の居所である平城宮跡が広大な歴史公園としてそのまま残されており、東大寺・薬師寺・唐招提寺・法隆寺などには奈良時代以来の建築も現存している。京都には、平安京の中心であった天皇の内裏の由緒を受け継ぐ京都御所が現役で存在し、多少の変化はあるものの、平安京の大路・小路を受け継ぐ碁盤の目状の道路網が残されている。 

 いっぽう、政治都市鎌倉の中心で、「古都」の源泉とも言うべき将軍の御所(幕府)の跡は、明確な範囲も確定しておらず、史跡や公園などのオープンスペースとして保存されているわけではない。現地を訪れても、わずかに道の傍に石碑が建てられているばかりである。現在の鎌倉に、鎌倉時代から伝わっているものと言えば、若宮大路と鎌倉大仏、和賀江島くらいのものである。これらは、残念ながら政権(幕府)の本拠と直接に関わるものではない。つまり、奈良・京都と異なって、鎌倉にはかつての政権の拠点を偲ぶ史跡がないのである。

若宮大路[著者撮影]

 世界遺産登録をめざしていた「武家の古都・鎌倉」が平成二十五年(二〇一三)にあえなく落選してしまったのも、要するに、現在残る史跡だけでは「武家の古都」を十分に知ることができないからである。 

 鎌倉が奈良・京都と比較して違う点は、ほかにもある。それは、鎌倉が海に面しているということである。日本では古代の難波京や中世の福原京などを除けば、ある程度継続的に都が海沿いに設けられることはほとんどなかった。したがって、海のある古都鎌倉の事例は、きわめて珍しいと言える。そして、現在の鎌倉は、海水浴・マリンスポーツのスポットとしての性格を持つことで、開放的で、「古都を名乗るわりには、古臭くない」という雰囲気を醸し出しているのである。 

 にもかかわらず、人々は単に「海沿いの、おしゃれで美味しいものが食べられる町」として鎌倉を訪れているわけでもないようである。街頭アンケートに基づく観光客の訪問先ランキングでは、鶴岡八幡宮と鎌倉大仏が上位を占めている。鎌倉の歴史を象徴する寺社、これが鎌倉観光の核となっていることがわかる。そして、鎌倉時代の史跡とは無関係ではあるものの、黒板塀や緑の生垣が続く落ち着いた住宅街は歴史の重みを感じさせる。古都のような、古都ではないような、なんとも表現することが難しい「まちの佇まい」こそが、鎌倉の最大の魅力であろう。「古都」らしくない古都鎌倉、その魅力の秘密は、都市鎌倉の歴史を通して見ることでわかってくるのではなかろうか。本書では、長年の歴史の積み重ねによってかたちづくられてきた、鎌倉の佇まいの形成過程を追って、古代から現代まで、都市鎌倉の歴史を順を追ってたどっていくことにする。


つづきはぜひ書籍でお楽しみください。本書にはたくさんのカラー写真(高橋先生が撮影した写真多数)、史料図版、地図等が掲載されています!

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目次


著者略歴

高橋慎一朗(たかはししんいちろう)
1964年、神奈川県生まれ。東京大学史料編纂所教授。東京大学文学部国史学科卒業後、東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。博士(文学)。専門は日本中世史、都市史。神奈川県立湘南高校在学中から古都鎌倉の魅力に親しむ。著書に、『中世の都市と武士』『北条時頼』『日本中世の権力と寺院』『中世鎌倉のまちづくり─災害・交通・境界─』(以上、吉川弘文館)、『武家の古都、鎌倉』(山川出版社)、『中世都市の力─京・鎌倉と寺社─』(高志書院)など多数。共編著に、『中世の都市─史料の魅力、日本とヨーロッパ─』(東京大学出版会)がある。

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