見出し画像

苦しいときに神吉イズムをとことん学んだから、大ベストセラー『さおだけ』を作ることができた

(前回からの続き)

仕事から逃げて逃げて逃げて出会った、カッパと神吉イズム

柿内 メルマガに返事書くのにも飽きてきたので、新しい「仕事をしたふり」がないか必死に探したんですけど、そうしたらすぐ近くにあったんですよね。運良く、「アレ」が。

――アレ?

柿内 わかりません? 資料室ですよ。光文社新書編集部と同じフロアには、会社の資料室があって、そこに行っていればまるで仕事をしているように見えるじゃないですか!

――ああ(笑)。

柿内 「東京大学〇〇先生 直帰」みたいに、編集部員の行き先を共有するホワイトボード、ありましたよね? 一時期ぼくは、「資料室 調べもの」と書いて編集部にぜんぜんいない時期があったと思うんです。でも調べものなんてもちろん何もなくて、ただ資料室に逃げ込んで「鬱だ死のう」みたいに、ドヨーンとしていただけという。

――(苦笑)。

柿内 狭くて暗くて、少しカビくさい資料室には、各新聞の縮刷版やら辞書辞典の他に、光文社の過去のすべての出版物が陳列されていました。で、あまりに暇だったので、適当に手にとって読み始めたんですよ。

――そうか、そこで出会ったのが……

柿内 そう、カッパです。だから、雑誌から書籍まで全部手にとりました。とりあえず、ふーんって。あ、こんなのやってきたのねという感じで次々と読みちらかしていったら、カッパと出会ったんです。

――ちなみにそのとき最初に読んだのって、なんだった?

柿内 なんだったかなあ。カッパ・ノベルスじゃなく、カッパ・ブックスであったのは間違いないんですが。『葉隠入門』とか『パンツをはいたサル』とか、そのあたりだったと思います。最初はパラパラと、拾い読みだったんですよ。だってどう考えても古くさかったから、真面目に読む気もおきなくて。古い=つまらない、という先入観がありました。でもちょっと読み進めていくと、どの本もめちゃくちゃ面白いんです。で、「あれ、なんだこれ!?」と思って。

――若い柿内が読んで、面白いと感じたんだ。

柿内 面白かったですね。まずどの本も「はじめに」から、しっかり読者をつかむじゃないですか。テーマが多少古くても、文章がすごくスルスル入ってくる。しかも著者略歴が、衝撃的なくらい面白いんですよ。たとえば今たまたま手元にある、この『独創力』というカッパの本。カバー裏にある「著者・糸川英夫について」のところ、読んでみますよ。

「〝逆転博士〟糸川英夫の頭はいつも新しい目標(ルビ:テーマ)に向かって全開である。『僕はね、新しいことに対して抵抗感がまったくないんです。卒業して入った会社で、大学で習ったことがぜんぜん役に立たなかった。つまり、ゼロからスタートしたわけで、いつもそのつもりでやることにしている』というが、まさにゼロからのスタートこそが、不可能を可能にする独創精神の秘密なのである。
『ここからすぐにでも外国旅行に飛び出せる』という博士の事務所の中は、本や雑誌、資料ファイル、各種メカとともに、生活小物があふれている。メガネ、カバン、傘など、まさに雑然、混沌の基地だが、『もっと便利に、もっと使いやすく』という発想の基礎にたちかえった独創の眼がすみずみまで光っている。」

……すごくないですか!? 著者のキャラクターを立たせ、本の内容をアピールし、読者の興味を喚起しつつ、これ自体が一つの物語になっている。もう一冊、『催眠術入門』(藤本正雄・著)の略歴の冒頭は、こんな感じです。

「おつむがツルツルテンに禿げあがった、ノッポの肥満体。その特異な風貌は日本人ばなれがしている。しかも、早口でまくしたてられると、相手はたいてい気押されてしまう。いかにも催眠術の先生らしいタイプである。……(以下略)」

もう完璧ですよ。それまで著者略歴って「1960年神奈川県生まれ。82年東京大学文学部卒業後、SONYへ入社。企画開発部を経て、現在〇〇代表。著書に……」みたいなものだと思っていた固定概念を、ひっくり返してくれました。著者略歴の書き方だけでも、カッパ・ブックスのすごさっていうのが垣間見えてくると思うんですけど。

画像1

――たしかに、この書き方は面白いね。

柿内 そこからです。本当に積極的に資料室に通って、カッパを研究し始めたのは。どうやらカッパというのは、昔、日本の出版界を席巻したらしいということもわかってきました。そしてその中心にいたのが、神吉晴夫という人物だということも。
そこで古書店を探して、神吉晴夫が残した本もすべて購入。マーカー片手に読み込みました。『カッパ兵法』『カッパ大将』『俺は現役だ』『カッパ軍団をひきいて』『現場に不満の火を燃やせ』『マスコミの眼がとらえたカッパの本』……どれから読んで、どこに何が書いてあったかまではもう覚えていないんですけど、重要なところは手帳にメモしながら、これらの本と格闘していきましたね。時間だけはたっぷりあったので。

――カッパとの縁は、ほんとうにいろんな偶然が重なった結果だったんだ。

柿内 そうですね。たとえぼくが光文社の社員であっても、『JJ』や『VERY』とかの雑誌に配属されていたら絶対たどりついてないですよね。新書だったからギリギリ出会ったはずで。

――まあ、そうかもしれないね。

柿内 しかも労働争議(※光文社争議:終結までに6年半を要した出版界史上に残る大争議)があったから、その腹心の部下も含めて、全員光文社を去ってしまったわけじゃないですか。

――うんうん。

柿内 神吉さんは、そういう経緯で会社を去った人だから、やっぱり社史ではさらっとしか扱われない。それどころか、ちょっとタブー的な存在にすらなっている。あと、三宅さんたちはカッパが売れない時代の最後を経験しているから、反カッパ的な流れで光文社新書を立ち上げている。神吉晴夫が歴史に埋もれてしまう素地があったわけですよね。

『さおだけ』のヒットは神吉イズムのたまものだった

――もちろんぼくはカッパが好きで光文社に入ったんだけれど、2000年くらいになると、完全に時代に置いていかれている感じはあったかな。だから光文社新書は、岩波新書的な教養新書づくりに邁進していったわけです。カッパが売れていたら、そういうことにはなっていなかったと思います。自分が営業なり編集なりで直接関わった90年代半ばから2000年にかけても、いい本、面白い本はあったんだけれど、売れ行き的にも話題的にも、世の中に大きなインパクトを与えるような一冊は、残念ながら生み出せなかったんだよね。
それで『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』を作った頃は、神吉イズムに出会って、もう自分の方法論ははっきり定まっていたの?

柿内 まだ迷っていましたけど、神吉晴夫と向き合うことで、それまでよくわかっていなかった「編集者の仕事と立ち位置」というのが、ようやく見えてきてはいましたね。編集者は【庶民・大衆の身代わり】であり、一握りの選ばれた人(エリート)ではなく、大多数の庶民の実感に根ざす【反権威・非専門家】である、とか、【優れたアマチュアの目】を持ち続け、【無名の同時代人】と共に歩いていかなければならない、とか。
『さおだけ』の著者である山田真哉さんに出会ったのは、ぼくが入社2年目の、まさに神吉イズムを独学で学んでいたタイミングでした。山田さんは当時まったくの無名であり、これからの人。で、反権威なんですよ。そもそも山田さんは会計学の外にいる人ですから。

――それはどういう意味で?

柿内 職業としては会計士ですけど、山田さんってもともとなりたくて会計士になった人じゃないんです。彼は大阪の大学を卒業して、ふつうに東京の一般企業に就職したけれど、たった2カ月で五月病になって、退職して神戸の実家に逃げ帰ってしまった。そのとき、ご近所さんの目が気になり、とにかく苦しかったんだそうです。「山田さんちの息子さん、東京に就職したはずなのに、どうやら戻ってきちゃったらしいのよー」とか(笑)。
で、なんでもいいから資格試験をやっていれば近所の目もかわせると思ってとりあえず資格試験の予備校に行ってみたら、「山田さん、あなたは会計士がピッタリです!」と言われて、「じゃあ、それで」と。そのまま勉強したら、頭がいいから1年でほんとに受かっちゃった、という人なんです。

――受かっちゃうのが、すごいけどね。

柿内 ニートでいるのがつらいから、資格の勉強をしているふりをしようと思う……そっくりなんですよね、ぼくと(笑)。特に、たいして興味があるわけでもないのに今の職業を選んだという点からして、2人とも似たスタンスだったんです。

――なるほど、なるほど(笑)。

柿内 だからこそ、会計学というものをどうすれば一般の、要は会計に興味のない大衆にも読めるようなものにできるか、徹底的に考えられたんです。山田さんとの最初の打合せで山田さんが言っていたのは、「わかりやすい会計学」みたいな本はあるけど、タイトルで謳っているだけで、正直全然わかりませんよね、と(笑)。

――入門書が、入門書の役割を果たしていないことは、たしかによくあるよね。

柿内 要は、作り手の偏差値が高すぎて、大衆のところまで降りてきていない。単に「降りたつもり」になってしまっている。内輪の理屈と事情と言葉で、伝えたような気になってしまっているわけです。ぼくは庶民の身代わりなわけですから、「ぼくに伝わる言葉で言ってくれ」「ぼくにわかるレベルで話をしてくれよ」「門外漢のぼくでも興味がわくようにしてくれ」と、言葉悪くいえば「バカ代表」として、著者に食い下がり続けないといけない。
こういう話をすると、よく「読者はバカではない」「なんでもかんでもわかりやすさを追求するな!」みたいに怒られるんですけど、誰に何を言われようと、ぼくのポジションは揺るがないですね。常に「自分が無知で浅学で平凡であることを自覚するところ」から始め、「庶民の自分が納得できるもの」を作りたいと思っています。

画像3

――そういった考えは、かなり神吉イズムを体現していると思うんだけど、もうそのときは神吉さんの言葉をかなり意識していた?

柿内 意識して、愚直にその通りにやってみたら結果が出たから、「なるほど、これでいいんだ!」というふうに思えるようになったんです。必要だったのは、専門に染まり切らない「プロの素人の目」だったんです。対象をある意味外側から見ているがゆえに、ここまで思い切ったスタイルの入門書が、結果としてできたんだなと思って。
だからこの本(さおだけ)は本当に面白いと思いますよ。1章のさおだけ屋は、当時ぼくが住んでいた湯島での話、2章は当時山田さんが住んでいた南浦和の住宅街にあったレストランの話だし、3章は湯島の隣町の御茶ノ水の話で、4章は山田さんのところのスーパーマーケット、5章はぼくが通っていた池袋の雀荘での話……。ちゃんと全部の話に、具体的なソースがあるんですよ。それもほとんど、自分が生活している「半径1キロ以内」の話。まさにまさに、庶民視点で作った一冊ですね。

――じゃあ、本当に創作出版を超える創作出版というか。

柿内 この『さおだけ』の成功って、ぼくの編集者人生の中ではめちゃくちゃでかくて。もともとぼくは、編集者として世の中に生み出したいものが全くない人間なんですよね。今もそうですけど。当時、会社を辞めようとまでは思っていなかったけど、間違った業界に入っちゃったかも、という後悔はあったんです。特に本が好きでもないし、人づき合いが大の苦手で、やりたいこともないような自分が入っちゃいけない業界だったんだ、と思ってしまっていて。

――あっ、そうですか(笑)。

柿内 向いていないと思ったときに、もう神吉さんの言葉は暗闇の中で唯一の光だったんです。蜘蛛の糸みたいな感じで。だからもうぼくはどっちかというと、神吉イズムにすがろうと思ったんですよね。

――でも、やっぱりたくさんの人にウケるものは作りたい、関わりたいという欲望はあった?

柿内 ない。

――それも特にないんだ。

柿内 今もない。

――ああ。そうか(笑)。

神吉イズムの本当のキモとは?

柿内 たぶんそれが、逆にコンプレックスでもあったわけです。同期やまわりの編集者を見ると、みんなやりたいことや、やってきたこと、志なんかがある。でも自分にはない、何にもないじゃん。これはまずったな。でも神吉さんの考えが何かというと、「そんなのいらねえよ!」という話なんですよ。要するに、ぼくはただの大学生が採用試験を運良くクリアしてたまたま編集者になっちゃったんだけど、その「ただの大学生」である自分でいいんだよと言ってくれたのが神吉さんなんですよ、ぼくの中では。

――柿内はそういうふうに解釈をしたということだね。

柿内 ぼくが神吉さんから学んだことの一番は、編集者としてのスタンスのパラダイムシフトです。ぼくのような凡人から見たら、編集者というのは、ジャーナリズムに命をかける人とか、ファッションやマンガが好きで好きでたまらない人とか、プライベートでも何か出版やメディア的な活動を自発的にしている人とか、ある意味「これが天職だ!」みたいな人にしかできない仕事なんじゃないかと思っていたんです。

――ちょっと賢いイメージもあるというか。

柿内 そうです。賢いし、人生を捧げるくらいその仕事が好きだし、のめり込んでいる。選ばれたエリートであり、特異な人にしかできないみたいなイメージがあったんですけど、神吉さんは「そうじゃない」と。そうでなくて、読者の身代わりとしての素人であり、ただ一人のふつうの生活者であるべきだということを言っているわけです。その「ふつうの部分」にこそプロフェッショナリズムを見出せ、と。

――そうね。読者と同じ目線に立って、著者に徹底的に書き直してもらったりする、ということだよね。

柿内 そうなんです。だから、それまで「何にもない」と思っていたぼくの普段の生活が、すべて仕事に活きてくるというか。「武器がない」と思っていたこと、じつはそれ自体が武器なんだよと。むしろそのスタンスでこれからも自信を持ってやっていけ!と教えてもらった思いなんです。

――それはすごいパラダイムシフトだね。

柿内 ぼくにとっては、まさに人生が変わる瞬間でした。それだったらぼくにもできるかもしれない、会社を辞めなくても大丈夫そうだ、って。編集者はエリート側や専門家側にいる存在じゃなくて、読者である庶民の代表なんだと。だから自分が素人として感じたことを、そのまま著者にぶつければいいんだという、すごくシンプルな話ですよね。
それまでは、著者に対して、専門ではない自分、ゼロイチを生み出していない自分がどこまで踏み込んでいいかがよくわからなかったんです。たとえば原稿に指摘を入れるとき、それは単にぼく個人の意見や気分なんじゃないのかな、とか。仮にぼく個人の意見を伝えるとしても、そのバックボーンとなる知識や経験は、ほとんどないわけじゃないですか。だからもっと勉強したら、違う意見になるかもしれない。じゃ、どこまで勉強すればいいの? という具合に悩みが尽きなくて。
そもそも著者に、「それはあなたの主観ですよね」というふうに言われてしまったら、もうそれ以上言えなくなっちゃうわけです。だから原稿にどこまで踏み込んでいいのか、言っていいのか悪いのかというのは、編集者側の立ち位置がはっきりしていないかぎり、やっぱり強くは伝えられないものだと思うんです。

画像3

――それまでもうっすらとは思っていたかもしれないけど、神吉さんの言葉によって背中を押されて、それでいいんだという確信に変わったということかな。

柿内 確信ですね。本当に確信。だからパラダイムシフトだったんです。それまではやっぱり言いたいことを言ったとしても、全力では言っていないというか、逃げ道を用意しながらという感じだったわけです。そういうのはやっぱり著者に伝わらないじゃないですか。でもそれを「言っていいんだ」とか、「むしろ、それを言わないとダメなんだ」という土台のもとで言うと、伝える内容は一緒でも、伝わり方がまるで変わってくるんですよね。

――小手先のテクニック的なことじゃなくて、もう態度として、生き方として神吉晴夫に影響を受けているということだね。

柿内 そうです。神吉イズムというと、一般的には、編集者が企画ありきで著者にお願いし、編集者自身が原稿を積極的にいじるという「創作出版」の考えが、言葉の面白さも含めて一人歩きしています。でもそうすると、ノウハウや企画術に行きがちなんです。ぼくが神吉さんから学んだことは編集者のマインドと立ち位置であり、けっして技術じゃないんですよ。

――そこが後年のカッパから失われてしまったことかもね。神吉晴夫の一番いいところは、庶民の一人としての自分の実感や感動が最初にあって、これをどうにかして多くの人に届けたいというところだからね。

柿内 まさに! ぼくなんていまだにそう信じていますからね。だから「売れること」をまるで考えていないんです。あえて言うと、自分だけが面白く読めればいいという、突き放した感じです。

――それがたまたま当たったり、もしくは外れたりすることもあるということ?

柿内 というより、もう当たるとか外れるとかを考えると、頭でっかちになって計算とかノウハウに行っちゃうじゃないですか。「売れそうなもの」を作ろうとしてしまう。そうじゃなくて、自分のうしろには大衆がいるんだという本当の確信のもとでものを作ることができれば、それが売れるかどうかなんて、1ミリも考える必要がないんですよね。

――うーん。なるほど、なるほど。確信というのは、そこまでのレベルの確信というわけだ。ではちょっとここで、少し具体的な話も聞いていいですか? どうしてもノウハウの話にはなっちゃうかもしれないけれど、タイトル付けについて聞きたい。
タイトルって、やっぱり神吉イズムのポイントだと個人的には思っています。タイトルは本を売るためのいちばんの武器になるし、実際に神吉晴夫はすごくいいタイトルをいっぱい残しています。『英語に強くなる本』とか『少年期』とか。柿内の本も、いまだに語り継がれるものがたくさんあるよね。『4-2-3-1』とか『ウェブはバカと暇人のもの』って、最初に見たときはびっくりしたけど、これはどういうふうに考えていったの?

柿内 いや、これはもう、神吉さんがそう言っているからですよね。

――俺が神吉さんだったらこう付ける、みたいな?

柿内 神吉いわく、【書名、即、宣伝】。

――ああ、絶対、そうだね(笑)。

柿内 【タイトルはすなわち宣伝コピーである】という教えを、忠実に守っただけです。で、【サブタイトルで引き立てる】。サブタイトルというのは、「中身を説明するもの」以上に、「メインタイトルを引き立てて盛り上げるもの」じゃないと、ダメなんですよね。

――そうね。神吉さん、まさにそう書いていたね。

柿内 つまりタイトルは、【読者にイリュージョンを起こさせ、食欲をそそるためのものでなければならない】んですよ。

――後年、カッパ・ブックスを含むブックス系新書って、「錯覚実用」みたいに言われたこともあって。イリュージョンって、ある種の錯覚的な意味合いもあると思うんだけれど、本の魅力をもっと大きく見せるような効果ということかな。

柿内 そうです、そうです。だからぼくはやっぱりタイトルというのは、思いっきり匂いを立てて、香ばしく、食欲をそそるものじゃなきゃいけないと思っています。レストランのメニューと同じで、おいしそうに見えないといけない。「ウェブはバカと暇人のもの」って言われたら、ちょっとそそられませんか?(笑)
あと神吉さんが言っているのは、【説明しすぎもダメ】だということ。余白があるから人は想像で埋めようとするわけで、そこに欲望が湧き、イリュージョンが生まれるわけですよね。「ウェブはバカと暇人と貧乏人のもの」というタイトルも考えましたけど、それだと説明しすぎなんですよ。

――なるほどねえ。

柿内 『嫌われる勇気』だって余白があるタイトルでしょうけど、余白というのは結構むずかしくて、ありすぎると今度は説明不足になって、意味不明になって、脳に認知すらされなくなってしまう。だから「説明不足」と「想像喚起」と「説明過多」のギリギリの境界線はどこなのかを、常に捉えなければなりません。

――つい、説明をてんこ盛りにして、保険をかけたくなっちゃうよね。

柿内 これも神吉さんが言っていることなんですが、出版というのは、要は【読者とのコミュニケーション】ですよね。お客さんとコミュニケーションしているわけだから、メインタイトル、サブタイトル、本の見出し、著者略歴、宣伝、広告、その他もろもろのすべてに、「コミュニケーション」の視点が必要なんです。
ぼくはそこから「対話」と言っているんですけど、「対話を生む」ということがもっとも大事。タイトルでも本作りでも、いちばん大切なのは対話なんです。

――それは神吉さんの教えから出発しつつ、柿内が独自に到達した境地なんだね。

柿内 そうかもしれないですね。『若者はなぜ3年で辞めるのか?』のとき、日経新聞の全五段の広告を作らせてもらったことがあったじゃないですか。何回も鉛筆でラフを描き直したんですけど、本の情報はタイトルと書影だけ載せて、あとはぜんぶ読者のコメントにしました。

――あったね、そういえば!

柿内 それも神吉イズムなんですよ。宣伝ってみんな、「内容紹介」やら「章見出し」やら「本の中の面白い一文」を配置して、必死に中身を説明しようとするんですよね。でもそうじゃなくて、何よりもまず香らせないといけないんです。だからコピー的に使った読者コメントも、中身について触れたものはあえて選びませんでした。「明日の朝、この本を上司の机に置いておこう(25歳・大手メーカー勤務)」とか、そういうのばっかり。新聞広告を見た人との対話を生み出すことだけに集中して、「この本、なんだかよくわからないけど、読まなきゃいけない!」という気持ちにさせないといけない。本の宣伝で「年功序列が日本の不況の源泉である」みたいな説明的なコメントを入れちゃったら、もう本を読まなくてもいいじゃないですか!

――まあ、そうね。そういうことになっちゃうね。

柿内 説明しちゃうと、読者の欲望を喚起しないわけです。だから対話も生まれない。出版社側からの、こういった本ですという一方通行の押しつけにすぎなくて。だからくり返すと、広告にしろ、タイトルにしろ、小見出しにしろ、本文の組みにしろ、帯にしろ、著者略歴にしろ、デザインにしろ、紙選びにしろ、なんにしろ、すべてが読者とのコミュニケーションであり、対話なんです。

画像4

――コミュニケーションというのは、感情に響くようにしたほうがいいということで合ってる?

柿内 そうです。つまりそこに「心の動き」を起こさないといけないわけです。ぼくはいちばん苦しいときに神吉イズムにすがるような思いだったから、神吉さんの教えを教科書として、何度も何度もほんとうに身になるまで読み込みました。感情を喚起しないといけないから、心理学も勉強したし、あらためて大好きな映画を「感情喚起の装置」として捉え直し、その仕掛けを分析してみたり。まさに「喚起イズム」ですよ。

――柿内といえば、『非属の才能』(山田玲司・著)のときにやった全帯も印象的なんだけど、あれもそのあたりの感情喚起と関係あるのかな。新書の全帯って、今はもうあたりまえになっているけど、角川書店の菊地さんがこの本が最初じゃないかと言っていました。

柿内 最初だと思います。だってぼく、誰もやっていないことを確認してからやりましたから。でもこれ、べつに目新しくなくて、文庫じゃあたりまえにやっていたんですよね。

――文庫であったっけ?

柿内 文庫では、小説が映画化したときにやっていましたね。ダブルカバーみたいな感じで、映画中の写真をバーンと大きく使ったカバーに鞍替えしてあるけど、外してみるとその下に元々の地味なカバーが隠れているパターンです。イラストやタイポグラフィが中心の文庫カバーの売り場で、有名な俳優の写真がバーンとあると、「どんなだろう?」って思わず手に取っちゃうじゃないですか。これも一種の心理学であり、コミュニケーションですよね。新書はほぼ文字だけでイラストがないので、新書売り場でバーンとイラストを全面に使ったカバーにしてみたら良い対話が生まれると思ったんです。でも新書にはそれぞれのレーベルの固定のカバーデザインがあるので、だったらカバーじゃなくて帯でやればいい、帯をカバーの大きさにすればいいじゃん、と(笑)。

――なるほど、そういう経緯があったんですね。

柿内 他の業界や売り場でうまくいっている方法があったら、とりあえず目の前の仕事に少しズラして転用できないかというのは、考えますね。「パクる」という言葉、ぼく大好きですから(笑)。よく「学ぶ」は「真似ぶ」から来ているとかもったいぶった言い回しをしますが、パクるでいいじゃないですか。賢く見せる必要はありませんよ。バカ代表でいいんです。

第3回に続く

光文社新書ではTwitterで毎日情報を発信しています。ぜひフォローしてみてください!