【第51回】ドストエフスキーの「黒い言葉」とは何か?
■膨大な情報に流されて自己を見失っていませんか?
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■自分の頭で論理的・科学的に考えていますか?
★現代の日本社会では、多彩な分野の専門家がコンパクトに仕上げた「新書」こそが、最も厳選されたコンテンツといえます。この連載では、高橋昌一郎が「教養」を磨くために必読の新刊「新書」を選び抜いて紹介します!
「神がなければ、すべては許される」
第2次大戦前のアメリカ合衆国連邦政府は、当時の仮想敵国である日本の言語・文化・思想を根本的に理解するため、「日本学研究所(Center of Japanese Studies)」の設置を各地の主要大学に促した。そこから発展して世界有数の研究所に発展したのが、現在のハーバード大学エドウィン・ライシャワー日本研究所であり、コロンビア大学ドナルド・キーン日本文化センターである。
私がミシガン大学に留学して何よりも驚いたことの一つは、大学内に図書館の建物だけでも10以上あり、その中の一つが日本語文献だけを集めた3階建の建物だったことである。アメリカには、それほどの余裕があったわけだ。
この日本語文献の図書館は、留学生にとって実にありがたい存在だった。連日の英語漬けの授業に疲れると、帰り道に日本語図書館に寄る。そこに米川正夫氏が全訳した『ドストエフスキー全集』全21巻があり、結果的に全巻を読破した記憶がある。ちなみに、私が國學院大學に赴任した当時の学科代表が、正夫氏の御子息に当たるイタリア文学者の米川良夫氏だった。その「りょうふ」という名前は、トルストイに因んだものだと伺ったことがある。
本書の著者・亀山郁夫氏は、1949年生まれ。東京外国語大学外国語学部卒業後、東京大学大学院人文科学研究科修了。天理大学助手・講師・助教授、東京外国語大学教授を経て、現在は名古屋外国語大学教授・学長。専門はロシア文学・ロシア文化論。著書に『ロシア・アヴァンギャルド』(岩波新書)や『ドストエフスキーとの59の旅』(日本経済新聞出版社)など多数がある。
さて、本書は、雑誌『すばる』に連載された「ドストエフスキーの黒い言葉」を新書にまとめたものである。当初の構想は「箴言集」だったが、結果的に「他者の死を願望する」・「疚しさ」・「神がなければ、すべては許される」・「全世界が疾病の生贄となる運命にあった」・「破壊者たち」といった12のテーマに焦点を絞っている。ドストエフスキーの作品に登場する「黒い言葉」を作者の人生と照合しながら探究するという、他に類を見ない構成になっている。
28歳のドストエフスキーは、ペトラシェフスキーの社会主義団体に加わった罪で逮捕され、死刑判決が下された。ところが、銃殺刑の執行直前になって、皇帝ニコライ1世の特赦により、シベリア流刑に減刑処分となった。この壮絶な体験から、ドストエフスキーは人間性を徹底して限界まで突き詰める作品を書くようになった。ただし、その大部分は創作だろうと私は思っていた。
本書で最も驚かされたのは、ドストエフスキーの「わたしの主人公が語っていることはみな現実に基づいています」というリュビーモフ宛書簡の言葉である。ブルガリアに攻め込んだトルコ人が妊婦の腹に短剣を突き立てて胎児をえぐり出す話、無邪気に笑う幼児の頭をピストルで撃ち抜く話、飼い犬に石を投げた子どもを裸にして猟犬の群れに入れて噛み殺させる将軍の話……。
つまり、「黒い言葉」は「現実の人間性」を表している。その一方で亀山氏は、「黒」は春に雪が溶けて蘇るロシアの「大地」を示す「豊穣の証」でもあるという。ドストエフスキーの「希望」とは何か、改めて深く考えさせられる。
本書のハイライト
五十九年にわたるその生涯を見渡してみよう。謎に満ちた父親の死、死刑判決、流刑、癲癇、賭博癖、数十年にわたる国家からの監視。たしかに、二十世紀が生み出した桁外れな悲劇に類する事件に遭遇することはなかった。戦争体験もない。たとえば、ルーレット賭博への熱中のように、みずから呼び招いた不幸もある。しかし、彼の人生に降りかかった不幸は、おおむね運命的というべき、選択の余地のないものだった。小説を執筆するかたわら、借金地獄でのすさまじい苦闘を、彼はほとんど道化的ともいうべき言葉で書きつづった(pp. 4-5)。
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著者プロフィール
高橋昌一郎/たかはししょういちろう 國學院大學教授。専門は論理学・科学哲学。著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『愛の論理学』『東大生の論理』『小林秀雄の哲学』『哲学ディベート』『ノイマン・ゲーデル・チューリング』『科学哲学のすすめ』など、多数。