バッタ大発生(蝗害)の恐怖――『バッタを倒しにアフリカへ』まえがき公開
光文社新書編集部の三宅です。
先週末、バッタの大群がインドを襲ったことが話題になりました。
その凄まじさがわかります。
今まで東アフリカの被害が大々的に取り上げられていましたが、インドまで拡大したのです。
アフリカでは2月の時点でバッタの大量発生が深刻な問題となっていました。そのメカニズムは上記Forbesの記事に詳しく、バッタ博士こと前野ウルド浩太郎氏が丁寧に解説しています。
ざっくりした内容は下の日経のインタビューがわかりやすいでしょう。同氏はこのように述べています。
「気候変動によって直接的に引き起こされたものではないが、普段は乾燥している地域にサイクロンが大雨を降らしたことがきっかけになっており、間接的に大発生の引き金を引いたとは言える。1967年から69年にかけての同地域での大発生もサイクロンがもたらした大雨が原因のひとつと考えられている」
「今回は2018年5月と10月にサイクロンがアラビア半島南部に大雨をもたらした。オマーンやイエメンでバッタが大量発生し、群れの一部はアフリカ東部に移動した。アフリカ東部では、本来なら乾期で草がない2019年12月にサイクロンが雨を降らした。バッタにとって好環境が存在し、そこで繁殖しさらに個体群が大きくなって近隣諸国に侵入したため、被害が拡大したとみられている」
一時期ウェブ上で、バッタの大群が中国に侵入し、アヒル軍団が迎え撃つというような記事が話題になりましたが、日経で前野氏が「3月に中国と英国の研究者が『過去の気象条件(気温や風)からみて大群が中国に侵入することはありそうもない』と報告している。公の一次情報に基づいていないニュースに振り回されないようにしたい」と語っているように、現時点では、どうやらフェイクニュースのようです。
このように、世界の一部の国々では新型コロナ禍に続き、バッタの害(蝗害)にも悩まされているわけですが、その恐ろしさについて学べるのが、先ほどから何度も登場している前野氏の『バッタを倒しにアフリカへ』(光文社新書)です。
前野氏は、アフリカを中心に大発生して食物を食い荒らすサバクトビバッタの研究者で、殺虫剤を使わずにバッタの大量発生を食い止めるための研究などを行っています。
本書は、蝗害の恐ろしさやサバクトビバッタの生体がわかる科学読み物です。この機会に未読の方にもお読みいただきたく、まえがき全文を公開します。続きが気になりましたら、ぜひポチってみてください。
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バッタを倒しにアフリカへ まえがき
100万人の群衆の中から、この本の著者を簡単に見つけ出す方法がある。まずは、空が真っ黒になるほどのバッタの大群を、人々に向けて飛ばしていただきたい。人々はさぞかし血相を変えて逃げ出すことだろう。その狂乱の中、逃げ惑う人々の反対方向へと一人駆けていく、やけに興奮している全身緑色の男が著者である。
私はバッタアレルギーのため、バッタに触られるとじんましんが出てひどい痒みに襲われる。そんなの普段の生活には支障はなさそうだが、あろうことかバッタを研究しているため、死活問題となっている。こんな奇病を患ったのも、14年間にわたりひたすらバッタを触り続けたのが原因だろう。
全身バッタまみれになったら、あまりの痒さで命を落としかねない。それでも自主的にバッタの群れに突撃したがるのは、自暴自棄になったからではない。
子供の頃からの夢「バッタに食べられたい」を叶えるためなのだ。
小学生の頃に読んだ科学雑誌の記事で、外国で大発生したバッタを見学していた女性観光客がバッタの大群に巻き込まれ、緑色の服を喰われてしまったことを知った。バッタに恐怖を覚えると同時に、その女性を羨ましく思った。その頃、『ファーブル昆虫記』に感銘を受け、将来は昆虫学者になろうと心に誓っていたため、虫にたかられるのが羨ましくてしかたなかったのだ。
虫を愛し、虫に愛される昆虫学者になりたかった。それ以来、緑色の服を着てバッタの群れに飛び込み、全身でバッタと愛を語り合うのが夢になった。
時は流れ、数多くの昆虫の中でたまたま巡り合ったバッタの研究をはじめ、博士号を取得した。着実に昆虫学者への道を歩んでいたが、子供の頃には想定だにしなかった難問に直面した。大人は、飯を食うために社会で金を稼がなければならない。バッタを観察して誰がお金を恵んでくれようか。あのファーブルですら、教師をして金を稼いでいたのだ。
なんということでしょう。生活のことをうっかり忘れていた。軽く取り返しのつかないところまで、私は人生を進めていた。「末は博士か、大臣か」ともてはやされた一昔前、いや二昔前とは違い、世の中には、道を少々歩けばぶつかるほど博士がひしめきあっている。過剰に生みだされた博士たちは職にあぶれ、職を求め彷徨っている。ライバルひしめきあう中で、職業として昆虫学者をこのまま目指してもいいものなのか。
いくら博士過多でも、社会から研究内容が必要とされていれば、就職先はある。しかし、現在の日本ではほとんどバッタの被害がないため、バッタ研究の必要性は低く、バッタ関係の就職先を見つけることは至難の業もいいところだ。「日本がバッタの大群に襲われればいいのに」と黒い祈りを捧げてみても、「バッタの大群、現ル」の一報は飛び込んできやしない。途方に暮れて遠くを眺めたその目には、世界事情が飛び込んできた。アフリカではバッタが大発生して農作物を喰い荒らし、深刻な飢饉を引き起こしている。
そんな重大な国際問題なら、さぞかし世界各国が力を入れて研究し、ほとんどのことが解明され、いまさらアフリカから遠く離れた日本の研究者なんかお呼びではなさそうだ。と、思いきや、過去40年間、修行を積んだバッタ研究者は、誰もアフリカで腰を据えて研究しておらず、おかげでバッタ研究の歴史が止まったままだということを知った。誰もやっていないのなら、未熟な博士でも全力をかませば新しい発見ができるかもしれない。
バッタの大群に巻き込まれながら、アフリカの食糧問題も解決できる。その上、成果を引っ提げて凱旋すれば、日本の研究機関に就職が決まる可能性も極めて高い。見えた! バッタに喰ってもらえて、昆虫学者としても食っていける道が開けるではないか!
夢を叶えるのに手っ取り早そうなので、アフリカに行ってみたのは31歳の春。向かった先は日本の国土のほぼ3倍を誇る砂漠の国・西アフリカのモーリタニア。当時、日本人は13人しか住んでおらず、『地球の歩き方』(ダイヤモンド社)にも載っていない未知なる異国が闘いの舞台となった。研究対象となるサバクトビバッタは砂漠に生息しており、野外生態をじっくりと観察するためにはサハラ砂漠で野宿しなくてはならない。どう考えても、雪国・秋田県出身者には砂漠は暑そうだし、おまけに東北訛りは通用しない。などなど、億千万の心配事から目を背け、前だけ見据えて単身アフリカに旅立った。
その結果、自然現象に進路を委ねる人生設計がいかに危険なことかを思い知らされた。バッタが大発生することで定評のあるモーリタニアだったが、建国以来最悪の大干ばつに見舞われ、バッタが忽然と姿を消してしまった。人生を賭けてわざわざアフリカまで来たのに、肝心のバッタがいないという地味な不幸が待っていた。
不幸は続き、さしたる成果をあげることなく無収入に陥った。なけなしの貯金を切り崩してアフリカに居座り、バッタの大群に相見える日がくるまで耐え忍ぶ日々。バッタのせいで蝕まれていく時間と財産、そして精神。貯金はもってあと一年。全てがバッタに喰われる前に、望みを次に繋げることができるだろうか。
本書は、人類を救うため、そして、自身の夢を叶えるために、若い博士が単身サハラ砂漠に乗り込み、バッタと大人の事情を相手に繰り広げた死闘の日々を綴った一冊である。(了)
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5月には『バッタを倒しにアフリカへ』の児童書版『ウルド昆虫記 バッタを倒しにアフリカへ』も刊行しました。
こちらは新書判に新たに二つエピソードが加わり、著者による用語解説付き、小3以上で習う漢字は総ルビ、オールカラーという豪華仕様です。寺西晃さんによる迫力満点のイラストに加え、バ太郎という新キャラクターも登場します。詳しくは下の二つの記事をご参照ください。
前野さんは今、研究中心の生活を送っており、専門家としての見解が求められた記事(上記Forbesや日経)以外、限られたメディアにしか出ていません。それなのになぜ、わざわざこの時期に児童書版を刊行したのか?
実はすでに1年前には、児童書版刊行の準備はできていました。ただ、当時は前野さんに執筆や講演、取材など様々な依頼が殺到しており、そちらをお断りするだけでも研究生活に支障が出ていたそうです。その状況で児童書版を刊行すると、さらに依頼が増える可能性があり、出版を見合わせていました。
今回、前野さんが出版に踏み切った理由の一つに、新型コロナの影響があります。休校になり、外遊びも制限され、お子さんが家にいる時間が増えました。当然、読書をする機会も増えるでしょう。児童書版を刊行することで、その一助となればと考えたそうです。加えて、サバクトビバッタ大発生のニュースもありました。興味を持ったお子さんに、何かしらの情報を提供したいという思いもあったようです。
バッタ博士の性格から言って、本当ならば、全ての依頼に応えてバッタのことを説明したいはずですが(自分の研究を知ってもらえる、またとないチャンス!)、ここはグッとこらえて、世界的なバッタ研究者になるために、世界の窮地を救うために、論文の執筆に専念されています。
光文社新書編集部も、バッタ博士の研究活動を邪魔しないよう極力連絡を控えています。
児童書版の最後のページには、バッタ博士からのお願いが綴られていますので、引用しましょう。
【バッタ博士より皆様へ】
いつも応援していただき、ありがとうございます。新書を出版してから、執筆・取材・講演依頼等、たくさん声をかけていただきました。しかし、研究と広報活動の二足のわらじを履くことは今の私にはできず、そのほとんどをお引き受けできない状況です。児童書版が出版されたことにより、新たに興味を持ってくださる方がいらっしゃるかもしれませんが、研究に専念するため、そっと見守ってくださいましたら幸いです。新たな研究成果を引っ提げて、再び皆様にお会いできることを楽しみにしております。
最後になりますが、バッタ博士からのメッセージで締めくくりたいと思います。
「バッタを倒す前に、こちらが過労に倒されそうですが、バッタを鎮める一手を編み出すため、日夜闘っています。皆様からの応援を胸に秘め、立ち向かっています」
次なる登場まで、ぜひバッタ博士のことを温かく見守ってあげてください!