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山口周さんの幻のデビュー作『グーグルに勝つ広告モデル』を全文公開!【その5】6章

6章 オンデマンドポイントキャスト事業の提言

*視聴者のニーズは高精細画像ではなく、タイムシフト&編成権

米国や日本では、これまで様々な視聴者ニーズに関する調査が行われています。それらを総括してみると、視聴者の映像コンテンツに対するニーズは、

①タイムシフト(好きなときに見たい)。

②編成権(好きな部分だけ見たい)。

の二つに収斂しています。

意外に思われるかもしれませんが、高精細映像に関するニーズは、この二つに比べるとはるかに弱いことも各種のレポートから明らかになっています。

では、これらのニーズがどのような変革をドライブすることになるのかを、考察してみましょう。

*タイムシフト

まずタイムシフトです。

タイムシフトは、もともとベータマックス訴訟の際に著作権法違反を告発されたソニーが、苦渋の策としてひねり出したコンセプト(コピーではなく時間をずらしただけという考え方)ですが、その後のハードの世代交代をへてニーズとして市場に定着しました。

現在はそのニーズをHD(ハードディスク)レコーダーが支えていますが、実はここに非常に大きな問題があって、タイムシフトをするためにHDレコーダーを購入した視聴者は、CMを見ないことがわかっています。

様々な調査機関やシンクタンクのレポートを見る限り、おおむね「半分強の人がほとんど見ない」という線で落ち着いています。

これをちょっと単純に整理してみるとこうなります。

①タイムシフトのニーズは潜在的に広く・強く存在。

②タイムシフトのツールとしては(今のところ)HDレコーダーが最適。

③HDレコーダーを保有した人の過半数がCMをほとんど見ない。

先述しましたが、テレビ局の収益は地上波放送によるCM放映によって生み出されています。したがって、これは非常に困ったことが起きている、ということなのです。

これに対して何が解になるのか?

いろいろな考え方があるかと思いますが、筆者は「自らタイムシフトサービスを提供する」ということが一つの方向性になるのではないかと考えています。

実は米国ではHDレコーダーによるCMスキップが問題視されていますが、韓国ではテレビ局によるオンデマンドポイントキャストが5年前くらいに始まっているので、HDレコーダーはまったく売れていません。タイムシフトのサービスをテレビ局が自ら提供しているので、必要ないわけです。

この事態に対して日本のマスコミ関係者は、HDレコーダーがCMをスキップできなくなるようにメーカーに要請したり、番組コンテンツの中にCMを入れ込んでスキップできないようにしたりという対応をしているようですが、筆者は、こういった対応策は事態の解決に寄与しないだろうと考えています。

理由は以下の二つです。

理由1 マーケットのニーズに応えていない。

理由2 取引コストが高くなりすぎる。

順々に説明していきましょう。

*CMスキップへの対応策がマーケットのニーズに合っていない

まず理由1ですが、HDレコーダーがCMをスキップできないようにしたり、CMを番組の中に入れ込むことでCMをスキップできないようにしたりする、という対応策自体が、そもそもマーケットの要求に応えていない、むしろその逆を行っている、ということです。

今現在、HDレコーダーのユーザーがCMをスキップしている、ということは、とりもなおさずユーザーがCMをスキップしたがっているということです。視聴者はCMを嫌がっているのです。だからこそ、HDレコーダーユーザーの過半数がCMをほとんどスキップするという恐ろしい事態が発生しているわけです。

それに対して今マスコミ関係者がやろうとしていることは、聞きたくない、見たくないと言って目も耳も塞いでいる視聴者の耳目を無理やりコジ開けて、広告をネジ込もうとしているということです。番組の中にCMを入れ込んで、CMをスキップさせないようにしようというのはそういうことです。

その結果、何が起こるか?

おそらく番組の魅力が下がって、視聴率が低下するだけでしょう。その一方、コンテンツ間の競争環境はよりシビアになっています。今一度、1章で説明した事態を思い出してほしいのですが、今後、テレビ以外にも自宅で楽しめる様々なコンテンツが台頭し、ただでさえコンテンツ間での競争がシビアになってきます。

そういう状況を考えれば、地上波放送がまず考えなければならないことは、何よりも「視聴者を惹きつけるコンテンツを作る」ことにほかなりません。

CMを見てもらえないから番組の中にCMを入れ込んで無理ヤリ見せてしまおうという発想は、これの真反対を行っているわけです。関係者は、今一度このことをよく考えてほしいと思います。

*プロダクトプレースメントは取引コストが高すぎる

次に理由2についてです。

CMスキップに対する対抗策として、番組中に広告商品を露出させる広告手法=プロダクトプレースメントは、なぜうまくいかないのか、という問いですが、これは「取引コストが高くなりすぎる」というのがその答えになります。

日本のテレビ広告市場は、年間2兆円を超えています。統計を見るとテレビ広告の一回の取引単価は0.2億円弱ですから、年間で10万回の取引をやっているということになります。

この取引というのは、クリエイティブの企画を提案して、案を決めてもらって、タレントの手配とロケハンをやって、撮影して、試写をやって、フィルムに仕上げて、送稿して、オンエアしてということを、年間で10万回行っている、ということです。

この取引をトラブルなくスムーズに推進させるためには、簡単でわかりやすいビジネスプラットフォームを構築し、その上に関係者が乗って、決められたルーチン、ルールでもってビジネスを回していくことが必要になります。

要するにテレビ広告というのは、そうは見えないかもしれませんが、一種の装置産業、インフラ産業だということです。

一方で、番組の中にプロダクトを露出させるプロダクトプレースメントの手法が、この簡易でわかりやすいプラットフォームに乗るかどうかを考えてみると、きわめて難しい。標準化しにくいのです。

では、プラットフォームに乗らないと何が問題なのか?

先ほど視聴率とは何か、という話をした際に「取引コスト」という概念を説明しました。プラットフォームに乗せられないということは、「取引コスト」が異常に高くなることを意味します。

したがって、ドラマや番組中へのプロダクトプレースメントは、株主へのIR(投資家向けのPR)と、広告主へのアピール以上に大きな意味はないだろうと思っています。

端的にいって、ここまで大きくなってしまったテレビ広告市場の次世代を受け継いでいくモデルとして、プロダクトプレースメント等の手法はきわめて難しいと筆者は考えています。

ここまで二つの理由を挙げて、プロダクトプレースメントやHDレコーダーそのものの機能の制限は、「CMスキップを何とか止めさせる」には、あまり筋のいい対応策ではないことを説明しました。

では、どうすればいいのか?

CMスキップというのはHDレコーダーの機能で、人々がHDレコーダーを購入するのはタイムシフトのニーズによっているのですから、テレビ局自身がマーケットの声に耳を傾け、自らタイムシフトというサービスを提供すべきだと筆者はいいたいのです。

これが、マーケットの声に応えると同時にCMスキップ問題を解決する、もっともシンプルなアプローチです。

*編成権により視聴者の「時間コスト」を削減する

次に編成権という要素についてお話ししたいと思います。

これは一言でいうと、自分の好きな部分だけピックアップして見たい、ということです。

番組という枠組みは、テレビ草創期に、番組スポンサーという形で広告を売る際に決められた一種の売買単位です。でも、視聴者のアテンションを奪い合うシェア獲得競争が激烈化していくと、番組まるごとの時間、ずっとアテンションを維持することは難しくなってきます。

例えば独立U局の東京MXテレビは、番組をコーナーごとに分割してYouTubeに乗せています。そこで、まったく見られないコーナーと非常に高いビュー数を記録するコーナーに明確に分かれることから、同じ番組内でも、視聴者のアテンションを獲得するパワーが大きく変動していることがわかります。

視聴者側からすれば、アテンションの獲得パワーの強い部分、つまり面白い部分だけを抽出して見たい、ということになるわけですから、将来的には番組という枠組みは解体されて、コンテンツはメタデータ(注1)を持ったモジュール(注2)に分解され、それを視聴者が検索やリコメンデーションを通じてスキップしながら楽しむ、という消費形態に変わるのかもしれません。

注1 メタデータ:検索の対象となるデータを要約したデータ。図書館情報学では書誌情報と呼ぶ。例えば書籍であれば著者名やタイトル、主なテーマ、出版社、発表年月日、関連キーワードなどがメタデータになる。
注2 モジュール:機能単位、交換可能な一塊の構成要素。本書の文脈では、番組やアルバムといった従来のパッケージより一段階下の階層において一つのまとまりを持ったコンテンツの単位という意味。

これはつまり、今テレビ局が中央集権的に行っている編成という機能を、視聴者一人ひとりに持たせることにほかなりません。

大胆なパラダイム変化に思われるかもしれませんが、グーテンベルク以来、ネットワークの歴史は中央から端末へのインテリジェンス(注3)のシフトの繰り返しであったことを考えれば、テレビというネットワークシステムが、50年以上の間インテリジェンスを中央に集中させ続けたことのほうが、歴史的には奇異なことなのかもしれません。

注3 インテリジェンス:日本語の直訳では単に「知能」とのみ訳されるが、外来語ないし和製英語として同語が用いられる場合、知能的な働き全般を表す。本書の文脈では人工知能のような「賢い機械」を表す。

加えて、若者のテレビ離れ、ということが最近よくいわれているのですが、必ずしも「テレビ離れ=動画離れ」ではない、ということを認識しておくのも非常に重要です。

最近の大学生や高校生と話すと、ネットばかりでゼンゼンテレビを見ていない、という子がいますが、話を聴いてみるとYouTubeは見ていたりする。つまり、必ずしも動画を見なくなっているわけではないのです。

コンテンツを選択するアプローチ、もっといえば情報処理のスタイルが違うわけで、この部分のギャップが埋められれば、彼らをテレビの前に連れ戻すことは十分可能だと考えるべきです。

問題は、彼らの情報処理のスタイル=自分が知りたいこと、見たいことが先にあって、それを検索し、楽しんで、仲間とシェアする、という流れにフィットする形に、どのようにすればテレビというプラットフォームを変換できるかという議論なのです。

*著作権・著作隣接権問題をどう解決するか

ここまで、「タイムシフト」と「編成権」という、世界的に観察される強いニーズについて言及しました。

これを簡単にいうと、

見たいときに、見たいものを、見たい部分だけ、見たい。

ということになります。

このニーズを満たすためにオンデマンド(注1)のポイントキャスト(注2)サービスという方向性があるのではないか、というのが筆者の提言ですが、当然ながらこのビジネスモデルでは、著作隣接権(注3)の問題をクリアする必要があります。

注1 オンデマンド:ユーザーの要求に応じるサービス形態。
注2 ポイントキャスト:個人個人に最適化された放送を行うという意味。本書の文脈ではマス向けの放送であるブロードキャストへの対概念として用いている。
注3 著作隣接権:著作物の伝達に重要な役割を果たしている実演家、レコード制作者、放送事業者、有線放送事業者に認められた権利。

この領域に関して筆者は専門外ですので、具体的な提言は差し控えますが、関係者にお願いしたいのは、

とにかく前に動かす方向で議論を進めてほしい。

ということです。

なぜこういうことを申し上げるかというと、過去の著作権、著作隣接権の問題は、常にものごとを前に動かすことで結果的に解決してきたという経緯があるからです。ここでのポイントは「解決してから前に進めた」のではなくて「前に進めたら解決した」ということです。

別の言い方をすると、著作権や著作隣接権というのは、結局のところ「おこぼれをどう分けるか」の議論ですから、結果的に儲かればみんなダマルという構図があります。

テレビのコンテンツと通信の話が著作権関連の問題で非常にヤヤコシクなるのは、通信という流通路を使ったコンテンツの配信で儲けるビジネスモデルができていないのがその理由で、新しいコンテンツの流通システムが出てくるときは常にこの議論が出てきます。

例えばアップルの音楽配信もそうですし、古いところではVHSが登場してきたときもこの議論がありました。でも、結局のところ著作権・著作隣接権の問題は解決、というか、落ち着くところに落ち着きました。

なぜか?

儲かったからです。儲かったから、トヤカクいうより流れに乗ったほうがいいと、皆が思ったからです。そういう観点からいうと、結局のところ著作権・著作隣接権の問題は、整理をするより「とにかく儲かるビジネスモデルを作れ」というのがその解決にもっとも近い道になると思います。

では、どうやって作るのか?

まずは始めてしまうことです。

暴論と思われるでしょう。しかし過去の偉大な企業の多くが同業界の競合ではなく、むしろ不完全な商品やサービスで市場に登場してきた別業態のプレイヤーに足元をすくわれて倒産に追い込まれていったことを考えれば、今現在の業界の盟主であるテレビ局がやらなければ、謎の(一見いかがわしい)会社が視聴者のアテンションを奪っていくことになる可能性だってあります。

議論なんか、いくらしたって物事がはかどるもんじゃありません。行うべし、言うべからずですよ。(モリエール『ドン・ジュアン』)

*アテンションの単価を上げたい

オンデマンドポイントキャストを推す一つ目の理由として、「タイムシフト」と「編成権」という消費者ニーズに合っているから、ということを挙げました。

それでは、次の理由について説明しましょう。

オンデマンドポイントキャストを提案する二つ目の理由として、アテンションの単価を上げられる、ということを指摘しました。ここは、既存のアテンション数の増加が期待できない以上、マスメディアビジネスが検討しなければならない最大のポイントといえます。

では、オンデマンドポイントキャストで、なぜアテンションの単価が上がるのか?

それは「ターゲッティングの精度」が高まるからです。

*広告のムダ打ちを最小化することで広告単価を上げる

オンデマンドポイントキャストは通信を用いますから、クライアントごとにダイナミックにコンテンツを切り替えることが、技術的には可能になります。この特性を利用して、視聴者一人ひとりのプロファイルに基づいたターゲッティング動画広告を展開できないか、というのが、筆者の考え方です。

今現在のテレビ広告の到達単価は1円以下で、これは他のメディアに比べると非常に安価です。こういうと違和感を持たれる方もいらっしゃるかもしれません。テレビは高価であるという印象は、リーチがべらぼうに大きいところから生じていて、一人あたりの到達単価は他のマスメディアに比べて安価なのです。

なぜ安価なのかというと、ターゲッティングができないからです。テレビというのは膨大な無駄打ちを前提にしたメディアですから、逆にいえば正味のターゲットに刺さるコストを考えると、平均到達単価を安くしておかないと割に合わない、ともいえます。

そこで視聴者の年齢、居住エリア、年収、世帯構成、職業、消費性向をプロファイルデータとしていただいた上で、そのプロファイルに応じた広告を流す。こうすることで、これまでの到達単価よりはるかに高い価格設定が可能になります。

もしこのメディアプラットフォームが実現すれば、まさに4章で説明した「ターゲッティング×情緒メディア」が実現することになります。

*固定費の増加を解消するには過去のコンテンツのフル活用が課題

ここまで、オンデマンドポイントキャストについて概説してきました。では、実際簡単なのかというと、なかなかどうして非常に難しい側面があります。

その最大のポイントは、一つひとつのコンテンツや番組の視聴者数が地上波よりはるかに少なくなることから、固定費負担が大きくなってしまうという点です。

ごく簡単にいえば、500万円で作った番組を100万人に見てもらったとしたら、一人あたりの制作費は5円ですから、仮に一人あたり10円の広告費を取れれば黒字になります。ところが視聴者数が5万人になってしまったら、番組制作費の500万円を回収するためには、一人あたり100円以上の広告費を取る必要があります。

確かに、オンデマンドポイントキャストの利点の一つは、広告単価を高めに設定できることではありますが、せっかく広告単価を高めに設定しても、コストがそれ以上に上がってしまったらまったく意味がありません。

番組というのは、多数の人に見せようが少数の人に見せようがコストは変わらない──つまり固定費になりますから、この比率をいかに少なくするかがポイントになってきます。

この問題を解決するアプローチとして、著作権フリーの映像のフル活用、労働単価の安い海外へ制作をアウトソースするといったいくつかの考え方がありますが、筆者は過去のコンテンツのフル活用がその基本になってくると考えています。

*ほとんどの人にとって過去コンテンツは新コンテンツ

なぜかというと、ほとんどの過去のコンテンツは、ほとんどの人にとって新しいコンテンツだからです。

今の日本では一日18~20時間、複数のテレビ局(例えば東京ではVHFだけで7局)が映像コンテンツを放映していますが、視聴者が実際に接触しているのはこのうちのごくわずかなコンテンツだけです。

一日の平均放映時間を18時間、局数は東京の場合7局になりますから、総計で一日に120~130時間のテレビコンテンツが流れているわけですが、一方で平均のテレビ視聴時間は3.5時間にしかなりません。つまり作られた番組コンテンツのうち、2~3%くらいしか見られていないわけです。

こういう状況の中で、果たして新しいコンテンツを生み出していく必要があるのか?

97%の見られずに終わってしまったコンテンツの中には、もちろんニュースや時事ネタなど、時間をへることで情報としての価値をなくしてしまうものもあるでしょうが、一方で視聴者にとっては魅力的なコンテンツも含まれているはずです。

この「見られずにお蔵入りになったコンテンツ」にスポットライトを当てることで、番組制作コストの増加を抑えて、広告単価の上昇をそのまま収益として見込めるようにするアプローチが考えられます。

このアプローチは、すでに埋没コストになってしまっている資産を活用することから、新たな資金は不要な上に、バランスシートに載っている資産の回転率が上がることになりますから、新規事業としては非常に低リスクです。

*なぜ地上波と新ビジネスモデルでの併走が必要なのか?

そんなにオンデマンドポイントキャストがいいのなら、十把一絡げ向けの地上波放送はやめて、そっちに行ったらいいじゃないか、という声もありそうですが、筆者は、オンデマンドポイントキャストは地上波放送と併走することで、はじめて経営的に意味がある、と考えています。

理由は二つあって、一つは短期的視点で考えた場合、地上波放送に広告を入れるというビジネスがきわめて収益性の高いビジネスであり、中長期的に難しい局面が見えてくることがわかっているとしても、すぐに棄てるのはもったいないと思うからです。

経営学やマーケティングの概念で、ライフサイクルカーブというものがあります(図10)。ライフサイクルカーブでいえば、地上波放送は成熟期から衰退期に向かいつつありますから、戦略の基本は、投資を最小限にして、利益を搾り取ることです。その点からも、地上波放送には利益を生む最後の瞬間まで働いてもらって、蜜を搾り取ったほうがいいと思います。

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話が若干横道にそれてしまうかもしれませんが、2011年に予定されている地上波デジタル放送への移行は、成熟期から衰退期に差し掛かっている装置産業に莫大な追加設備投資を行うということですから、いかにリスクの高いものであるかがわかると思います。

*テレビの社会的な役割

地上波放送との併走をお勧めする二つ目の理由として、社会的な側面から考えた場合の地上波放送の代替不可能性があります。

3章での、テレビとは何なのか、という議論にさかのぼってしまうかもしれませんが、そもそもテレビとは不特定多数の人が同時に見ることで、はじめて成り立つものです。個人個人がバラバラに好きなものを好きな時間に見る、というオンデマンドポイントキャストは、社会学的な側面から考えた場合、テレビとはいえない、とも考えています。

この点について、少し述べましょう。

本章の冒頭で、タイムシフトと編成権が非常に強い潜在的なニーズとして、グローバルに存在するという話をしましたが、仮に自由に時間をずらして見たいモノだけ見られるようになったときに、それを見る人がかつてテレビを見ていた人が感じたような、本能的な「社会に対する連帯感」を感じ取ってくれるかどうかということに関して、筆者は非常に懐疑的です。

「今自分が見ているこの番組を、世の中のたくさんの人もまた同時に見ている」という気持ちが、いかに社会に安堵を与えてきたか。悩み事を抱えて眠れない夜、深夜番組をボーッと見ているときのあの侘しさ。これはテレビの持つメディアとしての本質的な特徴を表していると思います。

話題の番組を見た次の日、学校や会社で話題にしたり飲み屋の席で登場人物の行動について議論したりといったことも、必ずしも自分が選ぶ仲間と、自分の好きな事象だけを話題にして生きてはいけない「社会」というものを、スムーズに動かしていくための潤滑油として、きわめて重要な機能だったのだと思います。

なかなか話題の切り出しが見当たらない人に対して、話題のドラマや事件をきっかけに話が盛り上がり、人となりがよくわかって打ち解けた、ということは誰にでもあることでしょう。

考えてみれば、戦後の日本が高度経済成長を成し遂げていくためには、こういった社会の潤滑油としてのメディア機能が必要だったのかもしれません。つまり、個人の趣味や嗜好を超越して社会的に共有できる話題や娯楽が必要だったということです。

その意味で、地上波テレビの番組やプロ野球という娯楽・エンタテインメントは、誰にでもとっつきやすく共有できる格好の話題であり、結果として社会の潤滑油になったのでしょう。

こういった役割は、筆者が説明したようなオンデマンドポイントキャストにはまったく期待できません。オンデマンドポイントキャストは、趣味や嗜好といったくくりででき上がった仲間内でのコミュニケーションには適合するかもしれませんが、見ず知らずで嗜好も趣味も合わないという人とのコミュニケーションの材料やネタにはなりません。

そうなったときに、社会というのがどういうものになるのか?

一つだけ確かなことは、社会というものが仲良くしたい人とだけ仲良くする、という人たちの集団になってしまったら、発展しなくなってしまうだろう、ということです。

アリストテレスは、人間をして「社会的動物」と定義しましたが、現代という時代は人と人の連携をきわめて薄弱にしても機能しうる様々な形質を獲得しています。でも、人と人とのつながりが薄弱になる中で人々が問題意識として共有できる話題や事象を提供する機能が、やはり社会には必要であろうと筆者は考えています。そして今現在、その機能を提供できているのはテレビと新聞だけなのです。

世の中で生きるには、人々とつきあうことを知らなければならない。(ルソー『エミール』)

*ライブドア事件の禍根

ライブドア事件は、粉飾決算額に対して量刑がきわめて重く、不可解な印象を与える事件でしたが、ことメディア論の枠組みで捉えた場合、非常に残念だったのが「通信と放送の融合」がもたらす変革について、非常に陳腐なイメージを一般の人々に与えてしまったことです。

フジテレビとの提携の記者会見において、堀江貴文さんは、提携によって拡大するビジネスチャンスとして「ドラマで女優が使っているドレスやバッグがすぐにネットで買える」とか「バラエティをネットでも流す」ということを挙げていました。多くの人はこれを聞いて、「通信と放送の融合ってそんなコトか、クダラネー」と思われたのではないでしょうか。

通信と放送が融合するというのはそんな陳腐なことではない、と、筆者自身もこの記者会見を見ていて直感的に思いましたし、同時に、堀江さん自身があまり明確にその先に何があるのかという絵を描けていない以上、ちょっと危ないなこれは、と思ったことを覚えています。

堀江さんが指摘したビジネスチャンスは、「今テレビでやれること」と「今ネットでやれること」を単に足しただけで、融合とはいえないのではないでしょうか。そういう意味では、皮肉なことにフジテレビ会長の日枝久さんが訂正したように、「融合ではなく連携」というレベルです。

おそらく通信と放送の融合というのは、両者が合わさることで、これまでになかったものが表出してくることになるのだと思います。

例えば、先述したとおり、番組という枠組みが崩壊して、コンテンツはメタデータを背負ったモジュールに分解されることになるのかもしれません。そうなれば分解された映像モジュールを、検索技術を駆使して組み合わせて楽しむ、という方向になるでしょう。

そしてプラットフォーム(注1)は、個人の好みを学習してコンテンツをダイナミックにリコメンデーションしていきます。いい映像がリコメンデーション(注2)されれば友人にもそれを教えてあげたり、場合によっては遠隔地にいる人と一緒に見たりする、ということもできるでしょう。

注1 プラットフォーム:もともとは周囲よりも高くなった平らな台地を指す英語。本書の文脈では、メディアを運営するための階層構造全体の中の基底部分を指し示す。
注2 リコメンデーション:各ユーザごとに興味のありそうな情報を選択して表示するサービス。

さらにいえば、おそらく今誰も考えていないような驚くべき利用方法が、市場の文脈の中で生み出されていくことになるのだと思います。

放送と通信の融合というのは、一時期ハヤリ言葉みたいになってしまったため、今さら言及したりもう一度本気で考えてみたりといったことに、多少の気恥ずかしさを感じてしまうかもしれません。

でも、関係者は、ゆめゆめ堀江さんが指摘したようなレベルの話では終わらないことを、忘れてはならないと思います。

新しい秩序を打ち立てるということくらい難しい営みはないということをしっかりと頭に入れておかなければならない。なぜならその責任を負う人物は、現体制でおいしい思いをしている人をすべて敵に回す一方で、新体制で甘い汁を吸うことになる人からは手ぬるい支援しか得られないからである。(マキアヴェッリ『君主論』)

(7章以降に続きます。毎日更新予定)


















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