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『海の変な生き物が教えてくれたこと』より①カイロウドウケツの中で繰り広げられる不穏な営み|文・写真:清水浩史


「ヒトはヒトから学ぶよりも、きっと自然や生き物から学ぶことのほうが多い――」。水中観察30年の「海と島の達人」が、選び抜いた10の驚くべき生き物たち。彼らはヒトに何を教えてくれるのか? 
新刊『
海の変な生き物が教えてくれたこと』より、一部を写真とともに特別公開。(文・写真/清水浩史


#1 閉じられた空間の夢と現実
カイロウドウケツ


カイロウドウケツ(沖縄・那覇市で入手したもの)


「夫婦の契り」に漂う不穏さ


ご存じのように四字熟語の「偕老同穴(かいろうどうけつ)」は、夫婦がともに暮らして老い、死んだあとは同じ墓穴に葬られることを指す。転じて夫婦が信頼し合っていること、仲睦まじいことを意味する。かつて結婚式では、決まり文句のように祝辞で引き合いに出されたという。

カイメン(海綿)の一種であるカイロウドウケツは、偕老同穴という言葉そのものが名の由来になっている。カイロウドウケツが生息しているのは、深い海の底。およそ水深1000メートルまでの、深海の砂地だ。


ドウケツエビが中で暮らすカイロウドウケツ(かごしま水族館)


カイロウドウケツは、長さ20~30センチほどのヘチマのような形をしている。網目模様で中は空洞になっているため、いわば海底に生えている「筒状の籠(かご)」のようなもの。ただしカイロウドウケツはカイメンの仲間なので、植物ではなく動物(固着生物)だ。

カイメンと聞くと、一般的には磯や浅瀬で見られる「ブヨブヨしたもの」を思い浮かべる(クロイソカイメンなど)。たしかにカイメンの9割以上は、ブヨブヨ、スカスカしたイメージの普通海綿綱(ふつうかいめんこう)に属している。しかしカイロウドウケツは六放海綿綱(ろくほうかいめんこう)という、ガラス海綿のグループに属する。ガラス質(二酸化ケイ素)の硬い骨格を持つ、カチカチのカイメンだ。

カイロウドウケツは、まるで天然の骨董品のよう。細かなガラス細工を施(ほどこ)したような白い骨格が「網目状の美しい籠」に見えることから、英語では「ヴィーナスの花籠(Venus’ Flower Basket)」と呼ばれている。

そもそもカイロウドウケツという名は、筒状の内部(胃腔〔いこう〕)に小さなドウケツエビが暮らしていることに由来する。ドウケツエビは筒状の中で雌雄(しゆう)のペア、つまり夫婦で生息している。ドウケツエビがペアで仲良く暮らしているカイメンなので、カイロウドウケツと名づけられたわけだ。

骨格は格子状の網目模様になっている



ドウケツエビのペアは、宿命的な生涯を送る。

ドウケツエビは体が小さい幼生の段階で、カイロウドウケツの網目をすり抜けて筒状の内部に入り込む。ドウケツエビは筒状の中で成長し、やがて網目よりも大きくなる。するとドウケツエビは、筒の外に二度と出られなくなる。

何もカイロウドウケツが、ドウケツエビを逃がさないように閉じ込めているわけではない。ドウケツエビが自らカイロウドウケツの中に入り込んで成長し、外に出られない生涯となる。

そもそもカイロウドウケツにとっては、ドウケツエビが中で暮らすメリットはないようだ。一方に利益が生じ、他方には利益も害もない関係である片利共生(へんりきょうせい)だろう。

外に出られなくなった雌雄ペアのドウケツエビは、仲睦まじいかどうかは別にして、カイロウドウケツの中で添い遂げるしかない。


内部にドウケツエビの黄色い亡骸が見える。
カイロウドウケツの美しい網目は、「逃げられない檻」にも見える。


二度と外に出られない――といっても、筒状の内部は快適なようだ。

カイメンであるカイロウドウケツは、海水を取り込み、水の中の酸素を利用して呼吸する。そして海水の有機物を濾(こ)し取って、栄養を細胞に取り込む(「ろ過食」という食性)。そのためカイロウドウケツの内部は、水がきれいになる。いわば浄化フィルターを通じて、澄んだ水が筒状の中に流れ込んでくるわけだ。

ドウケツエビは、食事にも困らない。カイロウドウケツの網目に引っかかった餌やプランクトンなどをハサミで摘み取って食べるという。網目が細かいだけに、引っかかる餌も多いのだろう。


中から取り出したドウケツエビのハサミ。大きい左がオス、小さい右がメス(一対ずつ)


また筒状の中で暮らすドウケツエビは、安全だ。カイロウドウケツの硬い骨格(ガラス質)は、外敵の侵入を防いでくれる。そもそもカイロウドウケツ自身がカチカチのガラス質の骨格を持つことによって、捕食者から身を守っている。

カイロウドウケツの中で暮らす、ドウケツエビ。

生涯外に出られないとはいえ、雌雄のペアが安全かつ快適な空間で暮らしつづけられるわけだ。沖縄美ら海水族館(本部町)には、6年にわたるドウケツエビの飼育記録があるという。カイロウドウケツの中で夫婦が暮らしつづけるのは、きっと長い時間なのだろう。

↑↑↑ 沖縄美ら海水族館ブログ「美ら海だより」より


縁起物として重宝されてきたカイロウドウケツ


ペアで暮らすドウケツエビの存在があるからこそ、カイロウドウケツは「夫婦の契(ちぎ)り」を象徴する縁起物として重宝されてきた。

数年前に那覇市(沖縄県)の土産物屋を訪れた際、カイロウドウケツが売られていたので購入した。今や縁起物としての需要はすっかり廃(すた)れてしまったようで、「全然売れないから、1つ500円でいいよ」と大いに値引きしてくれた(もともとは2500円の値札が貼られていた)。

カイロウドウケツは、底びき網によって深海から採取されたものだろう。真っ白なガラス質の骨格だけが残り、乾燥させたヘチマのようになっている。網目状の繊細な構造であるにもかかわらず、カイロウドウケツは硬い。力強く握ってみても、びくともしない。

かつて藤沢市の江の島(神奈川県)を訪れた際も、土産物屋にカイロウドウケツが数千円で売られていた。店主に訊くと、店に所狭しと並べられた標本類は、今では仕入れることができない珍しいものが多いという。

ただカイロウドウケツは今でも流通ルートがあり、数年ごとに仕入れをしているそうだ。以前に買い求めた客は小学生で、「専門家顔負け」の知識量だったという。今やカイロウドウケツは縁起物というよりも、生き物の愛好家に需要があるのだろう。

カイロウドウケツで暮らすドウケツエビを想像してみたい。

体が大きくなって、二度と外に出られなくなる。狭い空間の中で夫婦が添い遂げるというのは、いったいどのような「心持ち」なのだろうか。

誰にも邪魔されない二人の幸せな空間であり、外敵に怯(おび)えることのない安穏とした空間なのだろうか。あるいはパートナーから逃れられないという諦念(ていねん)が空間を支配しているのだろうか。

縁起物として重宝されてきたカイロウドウケツは、何やら不穏なことも想像させる。

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以上、光文社新書『海の変な生き物が教えてくれたこと』(清水浩史著)の第2章「カイロウドウケツ」より、冒頭の部分を公開いたしました。

このあと、ペア(夫婦)で暮らしているはずのドウケツエビに関する、驚きの事実が著者によって明らかになります。

ぜひ本書でお読みください…!

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目 次





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著者プロフィール


清水浩史(しみずひろし)
1971年、大阪府生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了、同大学院新領域創成科学研究科博士課程中退。テレビ局・広告代理店・出版社勤務などを経て、書籍編集者・ライターとして独立。大学在学中は早大水中クラブに所属し、NAUIダイビングインストラクター免許取得。以降も国内外の海や島への旅をつづけ、水中観察は30年来のライフワーク。著書に『秘島図鑑』『幻島図鑑』『楽園図鑑』『海の見える無人駅』(以上、河出書房新社)、『深夜航路』『海のプール』(以上、草思社)、『不思議な島旅』(朝日新聞出版)などがある。

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