【15位】ザ・ビートルズの1曲― 永遠を、あの夏の永遠をまた見つけるために
「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」ザ・ビートルズ(1967年2月/Parlophone/英)
Genre: Psychedelic Rock, Art Pop
Strawberry Fields Forever - The Beatles (Feb. 67) Parlophone, UK
(Lennon–McCartney) Produced by George Martin
(RS 76 / NME 35) 425 + 466 = 891
また出たビートルズ、本当に強い。しかも「これがなくっちゃ」という、決定的な1曲だ。いつもの共作名義ながら、こちらは歌っているジョン・レノンの主導。彼のビートルズ時代のナンバー、その最高峰にて浮遊する、夢幻の境地の名曲がこれだ。
ひとことで評すると、当曲は「やさしいサイケデリック・ロック」だ。ソフトであたたかく、同時にまた、センチメンタルでナイーヴな痛痒感にも満ちている。歌詞はレノンが自らの幼少期の思い出を歌ったもの。つまりは「ノスタルジック」なのだが、そこに最先端の音楽的流行や実験性などを「これでもか」と投入したせいで、とてもユニークな1曲となった。
サウンド面で楽曲のトーンを決定づけたのは、メロトロンだ。磁気テープ使用の最初期サンプリング・キーボードとも言える同楽器が、冒頭から最後まで、大きくフィーチャーされている。「フルート」と名付けられた音色の、機械じかけの手風琴みたいな独特の響きが、「なにも本物じゃない(Nothing is real)」世界の構築へと、大きく貢献した。「エリナー・リグビー」(21位)も収録の、7枚目のイギリス盤アルバム『リヴォルヴァー』の完成以来、彼らが最初に手掛けた新曲がこれだった。そのせいで、同作にあった先進的音楽性のあれやこれやが、この1曲のなかに、ふんだんに注ぎ込まれていた。
しかしその点が、(ビートルズにしては)あまり広くは受け入れられなかった。当曲は、ポール・マッカートニーが同じく幼少期の記憶を歌った「ペニー・レイン」との両A面シングルとして発表されたものの、全英2位までしか上昇しなかった。「プリーズ・プリーズ・ミー」(63年)以来初めて、同国で彼らが1位を逃したシングルとなる。ビルボードHOT100は8位が最高位。批評面でも賛否が割れた。若々しい「モップトップ」ヘアを卒業、髭面および老婆みたいな丸眼鏡(レノン)の若年寄り姿となったMVでの外見含めて、聴き手の期待をはるかに超える地点まで彼らは到達していたからだ。4人に見えていた「極彩色の万華鏡」が世を制するには、あとほんのすこしの時間が必要だった。
ストロベリー・フィールドとは、幼少期のレノンがよく忍び込んでは遊んでいた、救世軍が運営する孤児院の名称だった。いつも夏には同施設のパーティーがあり、レノンは救世軍ブラス・バンドの演奏をとても楽しみにしていたのだという。『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(67年6月、『教養としてのロック名盤ベスト100』では23位)のアイデア原形質の一片を、その記憶のなかに見る人は多い。
(次回は14位、お楽しみに! 毎週火曜・金曜更新予定です)
※凡例:
●タイトル表記は、曲名、アーティスト名の順。括弧内は、オリジナル・シングル盤の発表年月、レーベル名、レーベルの所在国を記している。
●曲名については、英文の片仮名起こしを原則とする。とくによく知られている邦題がある場合は、本文中ではそれを優先的に記載する。
●「Genre」欄には、曲の傾向に近しいサブジャンル名を列記した。
●ソングライター名を英文の括弧内に、そのあとにプロデューサー名を記した。
●スコア欄について。「RS」=〈ローリング・ストーン〉のリストでの順位、「NME」は〈NME〉のリストでの順位。そこから計算されたスコアが「pt」であらわされている。
川崎大助(かわさきだいすけ)
1965年生まれ。作家。88年、音楽雑誌「ロッキング・オン」にてライター・デビュー。93年、インディー雑誌「米国音楽」を創刊。執筆のほか、編集やデザイン、DJ、レコード・プロデュースもおこなう。2010年よりビームスが発行する文芸誌「インザシティ」に短編小説を継続して発表。著書に『東京フールズゴールド』『フィッシュマンズ 彼と魚のブルーズ』(ともに河出書房新社)、『日本のロック名盤ベスト100』(講談社現代新書)、『教養としてのロック名盤ベスト100』(光文社新書)、訳書に『フレディ・マーキュリー 写真のなかの人生 ~The Great Pretender』(光文社)がある。
Twitterは@dsk_kawasaki