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臨床の現場では、「アナログの概念を理解した上でデジタルに扱う」ことが必要である(西浦博×岩田健太郎対談)


好評発売中の岩田健太郎著『丁寧に考える新型コロナ(光文社新書)。
巻末特別対談「『西浦博先生に丁寧に聞く』西浦博×岩田健太郎」から一部を公開いたします。
(※この対談は7月20日にZoomで行われたものを収録したものです。)

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何が「接触」になるか―― 一般の人にとっての初めての経験


西浦 ここまで話してきましたように、クラスター対策にも経験と学びが必要だと実感しているところですが、「接触」の定義に関しても、専門家ではない普通の人たちが感覚として経験するのは、今回が初めてではないかと思います。

つまり、何が「接触」にあたるのか、ということですね。

今回、流行は何回か繰り返すことになりますから、その間に学んでいくことになるのかなと思っていますが。

たとえば、分かるように説明しますと、ぼくが北海道にいるときに、こんな経験がありました。

政情不安や嵐が原因で、北朝鮮の船が北海道に漂着することがあるのはご存じかと思います。で、いちど困った案件があって、松前小島というところに漁船が着いて、島にあがった北朝鮮の漁師さんたちが小屋の食料を食べていると。で、その人たちを保護して連れてきたというときに、相談を受けたんです。

実は北朝鮮では結核がすごく流行しているようなのですが、例に漏れず、その島で保護した漁師さんも、検査の結果、排菌をしている肺結核であることがわかりました。

そのときに、海上保安庁で最初にその漁師さんたちを保護した方たちが、腕を組んで行動を制御しながら船に乗せていたという。結核の罹患者と5分ほど一緒にいて腕も組んでしまったのだけれども、保健所では濃厚接触者ではないと言われたと。それについてどう思うかと相談がきたんですよね。

保健所で結核のプロとして制御を担当している方々は、それは濃厚接触とは言わないと対応したんですね。結核における濃厚接触というのは、もっと長い時間、狭い場所で、時間を共にすることを言います。とても短い時間一緒にいて、腕を組んで連れてきたという程度であれば、結核は簡単に感染しません。

ですので、「もし未来に、すごく低い確率ですけれども、結核を発病するようなことがあったら、そのときのことを話してくださいね」というぐらいでそのときは終わったのですが。

つまり、この「濃厚接触」の定義一つをとっても、医療に関係する方以外の人にとっては、経験したことがないことなんですよね。だから心配になって当然です。

そして皆さんが口にするのは、「では今、私が結核菌の検査をしたら、感染しているかどうかが分かるのですか」と。皆さんやっぱりそう言うんですよ。もちろんすぐに検査をしても分かりません。

これと同様のことが、やはり今、コロナウイルスに関しても起こっている。

コロナウイルスが相当の規模でこれからも流行を繰り返すうちに、いろいろな会社や病院で流行が起きてきます。数理モデルの評価指標に関しても、皆さんが今、勉強してくださっていて、説明を聞いてくれていて、今年は「数理モデル元年だ」なんて捉えているのですが、それと同じような話だと思っています。

「濃厚接触」の「接触」の範囲に関しても、みんなが肌で触れるような距離でその問題と向き合うというのは、これが初めての経験です。この流行を何回かの波で経験するたびに、皆が身近な問題としてくれるということが繰り返されて、やっと学ぶものなのだなぁというのは、その結核の際にも実感しました。

濃厚接触の定義って、現場を見ていないと分からないですよね。感染者と1分、2分、空間を共有していただけで、やっぱり危ないって思ってしまうものですから。

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「濃厚接触」の定義とは


――今回の新型コロナでも、たとえば小学校で1人感染者が出たけれども、濃厚接触者はいないから休校にはしない、という対応が発表されたときに、やはり心配になる人が出てきています。改めてうかがいますと、濃厚接触の定義というのはどういうものになっているのですか?

西浦 はい。一般に言われるのは、かなり近い距離で、空間を一定時間以上共有している人が濃厚接触者となりますね。ですから今の小学校の例でいうと、感染性期間(二次感染を起こす可能性のある期間)だったことが明確な時期に、同じ教室で長い時間ずっと一緒にいれば、それは濃厚接触者になります。ですが、感染性期間ではないときに一緒にいたということであれば、そうはなりません。

で、こういうケースがやっぱり一番、問題になります。親御さん的には皆さんすごく心配だと。そうすると、さきほど、岩田先生の言っていたような、検査の問題になります。うちの子は検査をしなくていいのか、感染していたらどうするんだ、という声でいっぱいになる。

岩田 はい。うち(神戸大学病院)でも似たようなケースがありましたが、たとえばそういう接触があった直後にPCR検査をしてほしいと言われたり(早すぎても検査結果に反映されない)、逆に、最終接触がすでに3週間ぐらい前で、もう潜伏期間をとっくに過ぎているので「いまさらPCRやっても」という状況のこともありました。でもそれをお伝えしても、そういうときには相手は心配でものすごい勢いで詰め寄ってくるので、議論する時間のほうが勿体ないので、とっととPCRしようかという話になりがちなのですが。
 
ですが、さきほどの濃厚接触の定義に関する質問は、なかなか難しいところもあります。

たとえばCDCも、日本環境感染学会も、濃厚接触の定義というのを病院向けをメインに出してはいます。サージカルマスクをお互いに着けていると濃厚接触にあたらない、というようなものを作っているんですね。

でもこれは、科学的なステートメントというよりは、半分ポリティカル・ステートメントみたいなところがある。

つまり、濃厚接触の定義をゆるめてしまうと、皆が濃厚接触者になってしまって、調べる範囲が広くなりすぎてしまうということがあるので、エビデンスレベルとしては低いのですが、まあ、その辺りで線を引いておかなければ埒(らち)があかないというような、そういうところもあるんですね。

だから、我々が濃厚接触かどうかを調べるときには、マスクをしていたか、していなかったかというデジタルな考えでバチッと切るのではなくて、目的は感染が広がるのを止めることなので、たとえば、マスクをしていたとしても、一緒にいる時間がすごく長かったりとか、ナースステーションなどの狭いところで一緒におしゃべりをしていたりとか、そういうことがあると、ちょっと加味するところがあります。

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岩田 定義というのは基本的にデジタルな考え方であって、先ほど西浦先生も、いみじくもおっしゃっていましたけど、「可能性が極めて低い」というのは、要はアナロガスな概念なんですよね。ゼロなのかと言われるとゼロではない。

「定義に当てはまる」「当てはまらない」という場合には、アナロガスな概念を無理矢理デジタルに「ある」「なし」という風に分けている。

でも本当の世界はそうはできていないわけで、それを無理矢理デジタルな概念に変えて、「濃厚接触がある」「なし」というものに変換させているわけですよね。

公衆衛生のカテゴリーではそれで数えればよいのですが、実務としては、つまり臨床現場では、そうはいかないというのは多々あるわけで、「アナログの概念を理解した上でデジタルに扱う」という、ちょっとアクロバティックな頭の使い方をしないとならないわけです。

検査を受ける条件としても、それこそ、37度5分以上、4日間という、条件のあるなしで走り出してしまった保健所はたくさんありました。でも「まだ3・8日だから違います」などという切り方をしてしまうと、ちょっと非人情な話になってしまう。

この4日間という数字に、何かウイルス学的な根拠があるわけではないのです。ウイルスが時間を数えていて、時報が鳴ったから今から感染しますとか、そういう話をしているわけではないので、そこはやっぱり理解が必要なんですね。

ソーシャルディスタンスにしても、2mと言いますけど、別に2m離れていたら感染リスクがドカンとゼロになるわけではなくて、やっぱりカーブを描いてだんだん下がってくるわけです。ですから、距離が2m以上あっても、多少のリスクは残る急にゼロになるわけではない。だけどかなり下がる、というわけですね。

この「かなり下がる」というのが大事で、この辺の概念を理解すると、このウイルスはすごく理解しやすくなるのですが、それが何か、199㎝から200㎝になったとたんに何かが変わるとかいう、そういう概念で理解すると、本質を見失ってしまいます。

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この対談が収録されている光文社新書『丁寧に考える新型コロナ』(岩田健太郎著)は全国の書店にて発売中です。電子書籍版もあります。ぜひ、お読みいただければ幸いです。

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