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【新連載】新たなバズワード登場?―『Web3とは何か』by岡嶋裕史 prologue1

新刊『メタバースとは何か~ネット上の「もう一つの世界」』が絶好調の岡嶋裕史さんによる新連載が始まります。テーマは「Web3」。もう15年以上前でしょうか、「Web2.0」という言葉が一世を風靡しました。今度は「Web3」。「なんじゃそりゃ」という方もおられるでしょう。私もそうです。現在「Web2.0」は死語ですが、その概念に紐づけられて提唱されたサービスはネット上で主流になっています。具体的には「ウィキ(Wiki)やSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)、ブログ、ソーシャルブックマーク」(IT用語辞典)など。要は、一般人による発信がネット・コンテンツの中心になるという不可逆な潮流が「Web2.0」だったわけです。では、「Web3」とは何なのでしょうか? 新たにネット上で覇権を握るサービスなのでしょうか? それともただのバズワードで終わるのでしょうか? 私も読者の皆さんと共に学んでいきたいと思います(光文社三宅)。

新たなバズワード登場?―『Web3とは何か』by岡嶋裕史 prologue1

「巨大IT企業(ビッグテック)の支配はいやだ」という思想

新しいバズワードのリストに、Web3が加わった。

日本では2021年あたりから言及され始めて、まだブレイクには至らないけれども(後から出てきたメタバースのほうが先にブレイクした)、なんとなく耳にしたことがある人の数がブレイクへの閾値に達しつつある状況だと思う。

Web3とは何かといえば、「巨大IT企業(ビッグテック)の支配から個人が解放されたWeb」で、「要素技術としてブロックチェーン、なかでもNFTを重視する」くらいが最大公約数的な説明だろう。2021年後半からのメタバースのハイプがすごいので、要素技術のところにメタバースを加える人もいる。

ハイプというのは人々の期待値が実情を大きく上回っている状態のことだ。もちろんその状態が長続きすることはなく、サイクルを形成する。しばらくすると幻滅期が来て、そのあと(その概念や製品がよければ)地道に普及する。いいものでなければ消滅する。

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出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%97%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AB

Web3やNFTは今まさにハイプを迎えているので、間もなく幻滅期がやってくる。おそらく消滅することはなくて、定着していくだろうけれど、人々はビッグテックの支配からあまり逃れられないだろうし、次世代のインターネットインフラの基盤技術がブロックチェーンになるかどうかもわからない。

どうしてそう思うかといえば、Web3としてくくられている技術でなきゃいけない理由が乏しくて、Web3で実現できるとされていることが難しかったり、あるいは昔から実現されているからで、それを説明するのが本連載の役割だ。

あらかじめ書いておくと、本連載の目的はWeb3を礼賛することではない。いまのWeb3の取り上げられ方を見て、「えっ、大丈夫かな」という動機で書いている。

Web3の根底にある思想(ビッグテックの支配はいやだな)は広まるだろうけど、みんなが期待しているほどではないと考えている。そして広まるときには、いま捉えられているのとは違った広まり方をするだろう。

もちろん、Web3の実装自体は立ち上がったばかりだし、黎明期にはありがちなことだがいろいろな意見の人がいる。Web3にすごく期待を寄せて、評価している論者も多い。私自身も、たとえばiPhoneが現れたときは、「こりゃすごい。今後あらゆるサービスへの窓口は、これになるかもしれない」と書いた書籍を出版してだいぶ怒られた。2007年時点では、まじめに仕事をしている人たちにとってはiPhoneはおもちゃであり、ビジネスの現場に持ち込むべきものではなかったのである。

だから、Web3を理解するためには、自分の意見はどうあれ賞賛する側にいる人、懐疑的な人、両方の立場の書籍や記事に目を通しておくと良いと思う。

ただ、その人のポジションには留意した方が良い。ベンダや○○推進協会の看板を背負って文書を書いている人は、自分でもそんなにいいものだとは思っていないサービスに対して、やむを得ずだいぶ盛った表現で褒めている場合があるし、既存システム(レガシー)に軸足を置いて仕事をしている人の意見は本人が意識する以上に保守的になる。

たとえば、以前にある協会の会長さんが「AやBやCを既存技術で対応できるというなら、それはもうDと呼んで良いのでは?」とツイートしているのを見てのけぞったことがある(ボカして書いている)。

それって、「車輪を回すことは原子力でできる、ネジを回すことは原子力でできる、キャップを回すことは原子力でできる。ところで、車輪もネジもキャップも人力で回せる。ということは、人力を原子力と呼んでもいいのでは?」と同じことだ。どうしても、Dを売り込まねばならなかったのだろう。見ていてちょっとつらかった。

ピンとこなければ、たとえばコスメなどの分野で毎年繰り返される「今年の流行色」を思い浮かべるとよい。年が明けた時点でなぜ今年の流行がわかっていて、雑誌が特集を組み、メーカーは材料を調達し、生産体制を整えているのか。ボトムアップで流行が決まるわけではない。流行を決めて、流布する者がいるのである。

だから、ある見解がどんなに良さそうに思えても、異なる視点で語られる複数の意見に目を通しておくことは極めて重要である。

本連載の主張もあくまで、「ああ、この著者はそう考えているんだな」と捉えて、Web3とどう付き合っていくかは多様な意見を踏まえたうえで自分で決められたらそれが一番だ。(続く)


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