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入船亭扇辰の『葵』―広瀬和生著『21世紀落語史』【番外編】

2008年に博品館劇場で開催された「源氏物語一千年紀祭特別公演」、今回ご紹介するのは11月2日に入船亭扇辰が演じた『葵』だ。これは文左衛門や談春と同じく落語作家の本田久作氏が原作台本を提供したもの。僕は歌之介(現・圓歌)の『末摘花』を観ていないので、「落語版源氏物語」のご紹介はこれが最後となる。
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前回の記事はこちら。

「思い出の名高座①」はこちら。

入船亭扇辰の『葵』―2008年「源氏物語一千年紀祭特別公演」より

高座に上がった扇辰は「芸術祭参加ということですが、対象となるのは今日だけだそうで……ですから責任重大です」とコボした。この「落語版源氏物語」公演は毎回、演者がコボすところから始まる。(笑) 「源氏物語というのは女の情念の物語です。女の情念を、女の人が書いているのですから、これはもう本当に怖い。女の情念と言えば……」と、ここで当時の落語界での“タイムリーな話題”に触れたが、ここは伏せておこう。

「惟光、今なんどきだい?」
「いきなり落語調ですな、驚きました」

光源氏と藤原惟光の会話で始まる扇辰の『葵』は平安時代の設定のまま。今宵も女の許へと向かう源氏、その供を毎夜務めるのが乳兄弟の惟光だ。

「今日はどちらへ行かれるのです? たまにはお独りでお休みになられては……」
「女が居ないと眠れぬのじゃ。♪独りで寝るときにゃよぉ~」
「お戯れを。六条御息所のところへ行って差し上げたらどうです?」
「うむ……あの女もいいのだが少々気詰まりじゃ。そこへ行くと夕顔は若くていいなぁ♡」

夕顔を口説きに行く源氏。その成り行きを、遠く離れた場所に居ながら六条御息所は察知、夕顔の男だった頭中将に「男というのは若い女がいいのですね」などと言い始める。

口説きに来た源氏に、最初は「ここからそっちは京橋、こっちは日本橋、こっちに来ちゃダメよ」なんて『宮戸川』の半七みたいなことを言っていた夕顔だが、やがて抱かれることに。この二人が「六条御息所? あれは七歳も年上じゃ」「まあ、それじゃもうとっくにお婆ちゃんね」なんて寝物語に話しているのを聞いている、一人の女。

「この女はあなた(源氏)にふさわしくない……淫らな女……ふさわしくない!」

一気に怪談噺のような演じ方になる扇辰。こういう展開には扇辰の端正な語り口が実によく似合う。「苦しい!」と悲鳴を上げる夕顔、慌てて明かりを灯す源氏……しかし既に夕顔は亡くなっていた……。

という『夕顔』を経て、『葵』へ。源氏とはあまり上手くいっていない正妻の葵だが、源氏の子を宿したことで二人の仲に改善の兆しが。その妊娠中の葵に、物の怪が取り憑いたという。祈祷師が懸命に葵を救おうとしている最中、見舞いに訪れた源氏。すると六条御息所の独白が。

「私はおまえが憎い……」

ここから、六条御息所の独白と、源氏に語りかける葵が交互に描写される。「あの物の怪は私……赤子を産むことが許されるあの女が憎かった」と御息所。「あの女は私より若いというだけで寵愛された……」 苦しむ葵を抱きしめる源氏。「いつになくお優しい……」と涙を流す葵。「そなたの清らかな涙……葵……おまえを生涯、私は……」と、突然高らかに笑い出す葵。

「ハハハハハ! 私が誰だかお判りにならないのですか!」

見るとその顔はいつのまにか六条御息所に! 『豊志賀』の寿司屋の二階を思わせる場面だ。「やはりそなただったのですか」と六条御息所の生霊に語りかけた源氏、「立ち去れっ!」と頬を思い切り叩く。我に返る六条御息所……。

生霊が現われるクライマックスでは圓朝の怪談噺のような恐ろしさを表現した1時間15分の長講は、「女をぶった? 相変わらず女に手が早いこと。フン!」と『悋気の火の玉』風のサゲで幕を下ろした。

(「思い出の名高座④」了)


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