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【第53回】なぜ人間は拝まざるをえないのか?

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★現代の日本社会では、多彩な分野の専門家がコンパクトに仕上げた「新書」こそが、最も厳選されたコンテンツといえます。この連載では、高橋昌一郎が「教養」を磨くために必読の新刊「新書」を選び抜いて紹介します!

宗教(本質)を求める人間(実存)

フランスの哲学者アルベール・カミュは「死へ向う一方で生きなければならない人間」を「不条理」な存在とみなした。多くの人間は、この世界に何らかの「本質」を求めて救われようとする。科学者や哲学者や宗教家は、世界に何らかの意味や目的があると信じて、「真理」や「正義」や「神」を追究する。つまり「本質」を探すわけだが、それらが存在するという保証はない!

カミュによれば「不条理」に対処する方法は三つ考えられる。第一の方法は「自殺」である。自分がこの世界から消滅すれば、苦悩も同時に消え去るが、この方法は「不条理」からの卑怯な「逃避」にすぎないとカミュは否定する。

第二の方法は「妄信」である。世界の「不条理」の背景に「未知の科学的あるいは合理的な理由」や「神の与えた試練」のような「本質」があると想定する方法だが、カミュはこの種の「妄信」は「哲学的自殺」だと批判する。

第三の方法は「反抗」である。世界が「不条理」であることを認めて、真実を包括する科学的、合理的あるいは宗教的な「本質」が存在しないことを認め、さらに人生に意味がないことを受け入れ、そのうえで「反抗」するという方法である。この発想をカミュは「形而上学的反抗」と呼んで推奨した。

本書の著者・佐々木閑氏は、1956年生まれ。京都大学工学部卒業、同大学文学部卒業後、同大学大学院文学研究科修了。花園大学専任講師・助教授を経て、現在は花園大学教授。専門は仏教哲学・仏教史。著書に『科学するブッダ』(角川ソフィア文庫)や『ネットカルマ』(角川新書、2018年)など多数。

さて、佐々木氏は、理系学部から文系学部に再入学して仏教学の研究を始め、「仏教学の第一人者」と呼ばれるようになった経歴の持ち主である。大学教授であると同時に浄土真宗の僧侶でもある。本書では、多神教から一神教と善悪二元論に変遷し、仏教へと至る人類の宗教思想が明快に解説されている。

本書で最も驚かされたのは、佐々木氏が「資本主義」も「共産主義」も「人権」も「平等思想」も、あらゆるイデオロギーを「宗教」とみなしている点である。この考え方の基盤になっているのは、ヘブライ大学の哲学者ユヴァル・ハラリが『サピエンス全史』で主張した「宗教は、超人間的な秩序の信奉に基づく、人間の規範と価値観の制度」という定義である。

カミュならば、ハラリの定義を「超人間的な秩序の信奉という本質を優先する妄信」にすぎないと却下するかもしれない。それでも多くの宗教は、願望の充足を人間の幸福と捉え、その実現のために祈りを捧げる。しかし、仏教は、願望自体を消し去ることによって安寧の幸福を得ようとするため、願望の「本質」を放棄するという意味では、カミュの実存思想にも近いように映る。

ところが、本書には、佐々木氏ほどの仏教徒でさえ「父の死」という「実存」に向き合った際、「父を助けたい」という願望を抑えきれずに祈ったという本音が赤裸々に語られている。改めて「宗教の本性」について考えさせられる。


本書のハイライト

普段の私は、「仏教とは、苦しまずにこの世を生きるための自己鍛錬法を示したもので、人間の願望や欲望を叶えるためのものではありません」などと語っていますが、数年前に父を看取ることになったとき、自分の中にそれまでなかった感情が芽生えてきました。父の死期が近づくにつれて、「何かにすがってでも父を助けたい」という思いがどんどん強くなり、「人智を超えた大きな存在」に頼りたいという気持ちになってきて、実際、心の中で頼んだのです。おそらく皆さんも、大切な家族が不治の病に罹り、もう手の施しようがないという状況に陥ったら、何かを拝まずにはいられなくなるでしょう(pp. 16-17)。

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著者プロフィール

高橋昌一郎_近影

高橋昌一郎/たかはししょういちろう 國學院大學教授。専門は論理学・科学哲学。著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『愛の論理学』『東大生の論理』『小林秀雄の哲学』『哲学ディベート』『ノイマン・ゲーデル・チューリング』『科学哲学のすすめ』など、多数。

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