2019年、58回聴いたCDはこの本の中の一枚です
note担当の田頭です。毎日寒いですね。みなさんいかがお過ごしでしょうか。
個人的に大注目している光文社新書の1月刊、『アルゲリッチとポリーニ』が予約受付を開始しています。
これはもうタイトルだけで全クラシックファンが泣きますよね。およそクラシックに関心があれば、必ずや一度は聴いたことがあるピアニストなわけですし、奇しくも同世代の大スター2人が迎えているのは、間違いなくキャリアの最晩年。サブタイトルにある若き日のショパン・コンクールを軸に、本間ひろむ先生がこの不世出の天才同士をどう描いているのか、今から楽しみでなりません。
さて、今回ご紹介しようと思っているのは、そんな輝かしい存在であるアルゲリッチやポリーニとは真逆の、ヴィルヘルム・ケンプというピアニストについてです。この人の魅力を、私は許光俊先生の『世界最高のピアニスト』に教えられたのですが、何が逆かって、このケンプさん、アルゲリッチやポリーニみたいなキレッキレの演奏とは違い、少しも「うまそうに」聴こえない人なのです。
ごく私的には、ケンプと聞くと在りし日の祖父を思い出します。よくブツブツと文句を言いながら、黄色いロゴが大きく入ったグラモフォンのレコードを鑑賞していた姿が子供心に印象的でした。曰く「音の粒立ちが悪い」とか「また弾きこぼした」とか何とか(笑)。
実際に許先生も前述の著書でケンプによるショパンのピアノ・ソナタ第2番を評して、「現在であれば、これしか弾けない人がプロのピアニストとして認められる可能性はきわめて低いだろう」と言い切っています。たしかに、アルゲリッチやポリーニの弾く鮮烈なショパンと比べるとよれよれのミスタッチだらけで、なんだか別の曲みたい…。はっきり言ってしまうと、「ヘタ」なんじゃないかと、私などでも思っちゃうくらいです。
しかし、そんなケンプが最近しみじみいいなと感じるんです。特にバッハの演奏が。自分でも上手に言葉にできないのですが、クラシックだからと変に構えずに聴けて、じんわりとよさが沁み渡ってくるといえばよいでしょうか。そんな次第で、『世界最高のピアニスト』にも紹介されているケンプのCDは、今年いちばん繰り返し聴いた一枚になりました。たとえばこんな演奏。有名なバッハのBMV147「主よ、人の望みの喜びよ」です。7:27あたりからどうぞ。
ああ綺麗ですね。心が洗われるかのよう。同書で許先生は「この曲をこれほど感動的に演奏した例は他にない」「素晴らしく気品と奥行きがある」と書いたのち、ケンプの章を次のように締めくくります。
ベタベタしているわけではない。でも、この音楽はいくら悲しいときでも孤独ではない。聴き手に共感と連帯を求めている。自分の心の中を素直にうち明け、あなたをやさしく迎え入れる。
納得。そういうことだったんですね。どういった演奏であるかをきちんと言葉でつかまえて表現できる人は本当に素敵だなと思います。私のもやもやとした感情を、許先生がすっきり言いあらわしてくれたかのような思いです。何度でも読み返したくなる文章ですし、もっと音楽を聴きたくなります。ケンプさん、今までただヘタだと思っていてごめんなさい(笑)。
そして今にして得心がいきます。きっと私の祖父も、だから文句を言いつつもケンプのレコードに繰り返し手を伸ばしていたんですね。演奏のよしあしは、必ずしも技巧だけが評価の指標ではなかったんです。
寒い夜、こうしたピアノに耳を傾けながら、あったかくした室内でこれまた熱々のホットウイスキーを飲んでいると、とても幸せな気持ちになります。今年も残りわずかですね。みなさんよいお年をお迎えください。来年も光文社新書をよろしくお願いいたします。
↓今晩、59回目を聴こうかな。