ネット社会における「世論」とは何か?|高橋昌一郎【第41回】
「ネット世論」は「世論」ではない
古代ギリシャ哲学者プラトンの「洞窟の比喩」によれば、人間とは、洞窟の中で暗い壁の方向しか見えないように縛られた囚人のようなものである。洞窟の外では太陽が光り輝いていて、そちらは「イデア」の世界である。ところが、洞窟の中にいる人間は、入ってきた光の影が壁に映るのを見ることしかできない。人間が認識するのは、イデアの「影」の世界にすぎないというのである。
たとえば「完全な正三角形のイデア」は、人間が直接見ることができない洞窟の外にある。人間がいくら精密に正三角形を描いても、それは不完全な「影」にすぎない。プラトンによれば、完全な円、完全な美、完全な善、完全な正義のようなイデアも存在する。これらの「完全なイデア」は、過去から未来永劫に至るまで普遍的に存在し、そちらが本来の「実在」である。ところが、人間の認識する「影」の世界は何一つ完全でなく、時間と共に変化して崩れていく。
さて、1922年に「現代ジャーナリズムの父」と呼ばれるウォルター・リップマンが上梓した『Public Opinion』(世論)は、プラトンの「洞窟の比喩」の引用から始まる。彼は、プラトンと同様に、人間の認識は「現実環境」を反映する「疑似環境」にすぎないと考えた。現代人はメディアを通して脳内に「疑似環境」というイメージを作り上げ、それに基づいて「行動」する。つまり、人間は「現実環境・擬似環境・行動」の三角関係の中で動いているわけだが、そこで大きな影響をもたらす固定観念のことを彼は「ステレオタイプ」と名付けた。
「ステレオタイプ」とは、もともと文字の刻まれた「鉛版」のことで、この鉛版で印刷された印刷物は、当然まったく同じ文面になる。今から100年前の主要メディアといえば「新聞」であり、一般大衆のほとんどは購読している新聞のステレオタイプに染まったイメージに支配され、それに基づいて行動した。
リップマンは、1889年に裕福なドイツ系ユダヤ人の家庭に生まれた。ハーバード大学を首席で卒業し、1914年には2人の仲間と雑誌『ニュー・リパブリック』を創刊して、多くの記事を寄稿した。この年にヨーロッパで勃発した第1次世界大戦に対して、アメリカは伝統的な外交孤立主義を守り「中立」を宣言した。アメリカ国内の「世論」も「アメリカの若者をヨーロッパで死なせるな」という厭戦ムードだったが、実はその「世論」を参戦ムードに変えたのが、ウッドロウ・ウィルソン大統領の顧問に就任したリップマンの「世論形成」だった。
本書の主題は、リップマンの『世論』から100年を経た現代社会における「ネット世論」である。著者・谷原つかさ氏は、Twitter(X)を対象としてさまざまな実証研究を行い、「ネット世論」が、実際には非常に少数のユーザーによって形成されている事実を指摘する。そこから「フィルターバブル現象」(AIが利用者に便利な情報を選別)「エコーチェンバー現象」(閉じた環境で同類の意見ばかりが響き固定観念化)「沈黙のらせん理論」(多数派は積極的で少数派は消極的)といったネットにおける「バイアス」(偏見)に踏み込む(多種多様なバイアスについては拙監修『認知バイアス事典』(フォレスト出版)を参照)。
本書で最も驚かされたのは、2021年衆議院選挙における投稿の実証研究である。「反自民党」的な投稿が約190万(51.7%)あったが、そのうち約52%は約200にすぎないオリジナルポストから発生していた。つまり「反自民党」的なネット世論は、わずか0.2%のユーザーに形成されていたというのである。たしかに、当時の投票結果は自民党の圧勝だったので「ネット世論」が「世論」からかけ離れていたことがわかる。現代人もプラトンの洞窟の中にいるわけである。