見出し画像

「マルチ・エージェント・シミュレーション」でカイゼンとイノベーションを仮想実験してみた|岩尾俊兵 vol.5

10月に光文社新書より発売された『日本企業はなぜ「強み」を捨てるのか』(岩尾俊兵)。発売即3刷りと話題になっている本書は、「ティール組織」「オープン・イノベーション」など最先端と思われがちな経営理論が実は戦後日本では当たり前のように実践されていたことを示すとともに、なぜ今の日本ではそうした知見が受け継がれていないのか、過度な欧米信仰に偏ってしまった要因を明らかにする一冊です。
中身が気になる方のために、序章~第6章から選りすぐりの箇所をピックアップしてお届けします。今回は第5章から、著者の専門である「カイゼン」とイノベーションをコンピューター上でシミュレーションしてみた結果をお伝えします。

人工社会実験でカイゼン研究をよみがえらせる

 筆者によるカイゼンのコンセプト化は、基本的に参与観察やインタビュー調査、そして質問票調査をもとにしたものである。
 しかし、そのままでは抽象化・論理モデル化による一般論にはなりづらい。事例をもとにして何かを論じたとしても「その事例の文脈ではそうかもしれないが、別の文脈ではそうではない」といえてしまうためだ。これは本書のテーマである「文脈依存度」に関する問題である。

 そこで筆者は、ここで提案したコンセプトを、論理にもとづく抽象的なシミュレーション・モデルとして再現してみた。具体的には、マルチ・エージェント・シミュレーションと呼ばれている、近年隆盛しつつある仮想実験手法を用いた。artisoc4.0というシミュレーション言語を使い、コンピュータ上に数千体の人工知能を生成し、人工知能同士を交流させることで「人工社会」を作って、仮想社会実験をおこなったのである。

 具体的なシミュレーションの概要は次の通りである。
 まず、「エージェント」と呼ばれる単純な人工知能を、工場の規模を参考に2200体作成する。このとき、エージェントには大きく分けると作業者と技術者とがいる。作業者は0~1の間でランダムな数字を与えられる。これはランダムな大きさのアイデアを思いついているという擬制である。そして、技術者は作業者の10分の1の人数(200人)しかいない代わりに、アイデアは平均すると作業者より10倍大きい、0~10の間で思いつく。
 フローチャートで表すと図15のようになる。

 同時に、一定の決まりで資源という別の数字を配る。そして、エージェントは、それを周囲に相談し、自分より大きな資源を持つエージェントに自分のアイデアを託す。最終的に自分のアイデア実現に必要な資源が集まった時点でそれを具現化するのである。

 なお、資源は、本社の技術者に配られる場合も、現場の作業者に配られる場合もある。これは資源配分が集権的か分権的かという組織設計を模している。また、作業者ないし技術者に対して、全体の5%ほどのエージェントを「ランダムにかつ広範囲に移動させる」よう変更を加えることもある。
 エージェント全体のたったの5%の、しかも行動形式のみを変える、というのがここでのポイントである。なお、これは比較事例研究におけるライン内スタッフのモデル化である。
 こうして複雑な問題解決をアイデアと資源のマッチングという単純なモデルで模しているわけである。

 筆者が作成したこのシミュレーションのコードは、ハーバード大学のウェブサイトにおいて公開している(https://doi.org/10.7910/DVN/UN14B7, Harvard Dataverse, V1)。そのため、気になった方は、誰でもこのコードを使用して結果を確かめることができる。

 さて、こうしてでき上がった人工社会において、人工知能同士のつながり方や資源の配分などを変化させてみる。これによって、結果が変化するかどうかを確かめていくわけである。
 すると、図16から見て取れるように、やはり資源が本社技術者に集中的に配分されているか、現場作業者に集中的に配分されているかによって、前者では大規模なカイゼンが多く、後者では小規模なカイゼンが多く見られた。これだけであれば、なかば当然の結果である。

 より注目に値するのは、これらの状況において、全体の5%ほどの人員を本社と現場とを広くランダムに行き来する「ライン内スタッフ」として配置した場合であろう。そして、たとえライン内スタッフが資源を一切持たない場合でも、結果として生まれるカイゼンは技術者中心でも作業者中心でもないバランス型になっていたのである。

 なお、本社と現場の距離を近づけたり、離したりすることによっても、最終的にその組織から生みだされるカイゼンには変化があった。
 たとえ資源のすべてを本社の技術者が握っていた場合でも、本社と現場の距離が近いと小規模なカイゼンが中心となり、反対に現場と本社の距離が遠いと、大規模なカイゼンばかりになる。そして、その場合においても、ライン内スタッフ組織を採用すれば、常にそれらの結果の中間になったのである。そうだとすれば、ライン内スタッフを用いることの効果は、組織のつながり方を変化させることで、組織構成員同士の距離感を変化させていたことにあったともいえる。

 こうして、シミュレーション・モデルにおいても、組織設計のいかんによって、そこから創出されるカイゼンの平均規模に影響があることが確かめられた。また、上記の発見にあたって、ネットワーク理論でいう「スモールワールド・ネットワーク」によってライン内スタッフ型組織を近似できることも分かった。

 ここで重要なのは、カイゼンからイノベーションまでを、その経済効果の大きさや規模の大小によって分類される連続的なものとして扱っていることである。カイゼンからイノベーションまでの違いは、どれだけの大きさの資源とアイデアが出会ったかでしかない。そして、大きなアイデアはエージェント同士のアイデア交換によって創発的に生まれる。
 潜在的な問題解決の連鎖モデルを非常に単純なシミュレーションで再現した場合においても、やはり実際の観察や理論的な考察と同様の結果が得られたわけである。

 だとすれば、カイゼンの「問題解決の連鎖」モデルの説得力は現時点では高いといえるだろう。しかも、このモデルによって、これまでのカイゼンのマネジメント論が取りこぼしてきた実務的な示唆も得られる。
 これについては、次節で取り扱う。

著者プロフィール

慶應義塾大学商学部准教授。平成元年佐賀県生まれ。東京大学大学院経済学研究科マネジメント専攻博士課程修了。東京大学史上初の博士(経営学)を授与され、2022年より現職。組織学会評議員、日本生産管理学会理事を歴任。第73回義塾賞、第36回組織学会高宮賞、第37回組織学会高宮賞、第22回日本生産管理学会賞、第4回表現者賞等受賞。主な著書に『13歳からの経営の教科書』(KADOKAWA)、『日本“式”経営の逆襲』(日本経済新聞出版)、『イノベーションを生む“改善”』(有斐閣)、『Ambidextrous Global Strategy in the Era of Digital Transformation』(分担執筆、Springer)ほか。

この記事が参加している募集

光文社新書ではTwitterで毎日情報を発信しています。ぜひフォローしてみてください!