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小澤征爾、小林研一郎、佐渡裕、沖澤のどか...クラシック音楽を彩る指揮者たち|本間ひろむ

指揮者は一切、楽器に触れない(演奏しない)不思議な音楽家だ。(中略)自分では直接手を染めない、という点において、指揮者は映画監督、サッカーや野球の監督、もしかしたら最高経営責任者や投資家のみなさんに近いのかも知れない。

(「まえがき」より)

西洋音楽が日本に本格的に入ってきた明治時代以降、私たちは西洋音楽をどう受容し、学び、そして世界への扉を開いていったのでしょうか。批評家の本間ひろむはこのたび、『日本の指揮者とオーケストラ』を上梓しました。本書では、その黎明期からヨーロッパに渡った先駆者たち、そして、日本中にクラシック音楽の種を蒔いた小澤征爾、さらに新世代の指揮者まで、それぞれの個性が炸裂する指揮者とオーケストラの歩みと魅力に迫っています。本書の刊行を機に「まえがき」を公開いたします。

不思議な音楽家

指揮者は一切、楽器に触れない(演奏しない)不思議な音楽家だ。
リハーサルでも楽器は弾かない。が、よくしゃべる。

14小節目第2ヴァイオリンさん少しだけ長くしときましょうか〜、トロンボーンさんあのいつもの問題の8分音符硬めと言って言い過ぎなら柔らか過ぎず〜。チェロさんコントラバスさん69小節4拍目は大きめ5拍目ですっと落とす感じ

(『交響録 N響で出会った名指揮者たち』茂木大輔)

リハーサルでこんな指示を出すのは、たかただあき

そこは、夜道で、間違えて、カエルを踏んづけちゃって、そのカエルがギャ‼と鳴いたのに驚いて、こっちもギャー‼っと叫んで、そしたら別のカエルをまた踏んで!!!

(『交響録 N響で出会った名指揮者たち』茂木大輔)

というディレクションをするのが、ひろかみじゅんいち

どちらの指揮者もNHK交響楽団の凄腕楽員たちを相手にリハーサルをした時のものだが、こんなふうに演奏してください、というリクエストをするだけで、かくも個性がさくれつする。

このようにリハーサルは言葉で伝える言語コミュニケーション(指揮者の性格やパーソナリティがそのまま出る)。

一方で、演奏会本番では指揮者は観客に背中を見せ、無言でタクトを振る。これすなわち、非言語コミュニケーションの極致である。この使い分けが指揮者の腕の見せ所であり、聴き慣れたあの名曲が違って聴こえてくるというマジックはここから生まれる。

一緒にいてラクな人が多い

日頃、クラシックに限らずプロの音楽家のみなさんと接していて感じることは──もちろん演奏スキルがえげつないことは自明ですよ──この人たちは「非言語コミュニケーションにけているな」ということ。あれこれ余計な説明をしなくてもいいので、一緒にいてとてもラクな人が多い。

これはどうゆうことかというと、この非言語情報に対するセンス(人はそれを「野生」と呼びます)を磨かないと職業的に音楽家にはなれないということだ。そして、この非言語情報に対するセンスを磨くことでしか「教養」は獲得できない。

一方で、教養のない人ほど言葉そのもの(記号論でいうとシニフィアンですね)にしがみつく。例を挙げるなら、

ショパンはピアノの詩人だっていうけど、詩なんか書いてない

なんて言い方をする人。こんな人がまわりにいたらなかなかシンドイ。

話がれてしまったが、要するにクラシック音楽は教養そのものということだ。ただ、頭だけで理解しようとしてもだめです。まずは体の中に音楽を招き入れること。

たとえば、モーツァルト《交響曲第40番》と聞いて「あ、大きいト短調ね」となるでしょ。そして、あの主旋律が頭の中に流れてくる。ついでに、小さい方のト短調(交響曲第25番ですね)の冒頭のあのエキサイティングなパッセージ(映画『アマデウス』の冒頭で使われてたやつです)も流れてくる。もっといえば、バッハの《小フーガ ト単調》のあの物悲しい旋律まで頭に流れてくるでしょ。パイプオルガンの音で。

しかし、スコア(楽譜)にあるのは記号のみで(もちろんAllegroといった速度記号などは言語情報ですが)、クロード・ドビュッシーみたいに「はい、これはなんちゃらという日本の版画で『海』のスコアの表紙に使いますよ」なんて親切なことはいってくれない。ロマン派までのクラシック音楽は、非言語情報の嵐です。速度記号や発想記号でもシニフィアン(言葉の表の意味)だけではなく、楽曲の全体像を見てシニフィエ(言葉の裏の意味)も把握する必要があります。

そして、指揮者はそのスコアを担保にして、オーケストラのみなさんに自分のイメージしたとおりの「大きいト短調」を演奏させなければいけない。

映画監督!?  CEO!?  投資家!?

自分では直接手を染めない、という点において、指揮者は映画監督、サッカーや野球の監督、もしかしたら最高経営責任者や投資家のみなさんにも近いのかも知れない。

チームの状況(会社の情報)をきちんと把握し、マーケットの情報(サッカーなら同じリーグのほかのチームの戦力)を随時キャッチアップして、自分のチーム(会社)を成長させる。投資家はその銘柄が成長するかどうかを見極める。そこは言語情報をキャッチアップするだけでは(残念ながら)不十分である。非言語情報に対するセンスが問われるのだ。

では、指揮者はどうか──。
リハーサルでは言語情報の嵐。本番はタクトを振るだけ。
この2通りのアプローチを使い分け、本番(演奏会)を成功に導かなかればいけない。

そして、受けて立つのがオーケストラ──。
思えば、あそこ(プロオケのプルトの前)に座るためには、子供の頃からピアノを習い、それ以外の楽器(ヴァイオリンや管楽器や打楽器など)をとことんさらい、気がつけば数千万円と20年前後の時間(というコスト)をかけて座っている。そんなプロの音楽家が100人、舞台の上に乗っているのがオーケストラ。そんなこんなのたちが、せーのでいっせいに演奏するんですよ。そりゃあ、あーた、沼ですよ、沼。

ビートルズだってせいぜい4人ですよ。しかも、彼らは大してコストかけてないし。ジョージ・ハリスンなんて大してうまくないし(失礼)。
そして、その100人の猛者を一気に束ねるのが指揮者というお仕事。両者が一体となって作られる音楽のなんと豊かで、贅沢で、心躍ることか──。

今でもオーケストラの生演奏を見ると、翌朝シャキッと目覚めることができる。どんなサプリより、朝陽をたくさん浴びて(セロトニンを分泌させて)散歩する朝より、コレは効きます。

オーケストラ音楽は心と体が喜ぶのだ──。

本書は、こんなふうに誰かを沼に引きずり込んでしまった(あるいは自ら沼にはまってしまった)日本の指揮者とオーケストラの物語だ。

もちろん、ピアニストもヴァイオリニストも沼の住人ではあるのだが、そちらは拙著『日本のピアニスト』や『日本のヴァイオリニスト』にてお楽しみください。

目次

【序 章】もしも、アウグスト・ユンケルが来日しなかったら
【第1章】ベルリン・フィルを振った男たち──近衛秀麿と山田耕筰
【第2章】関西楽界のデベロッパー──貴志康一と朝比奈隆
【第3章】鋼の師弟──齋藤秀雄と小澤征爾
【第4章】違いがわかる男と大きいことはいいことだ
     ──岩城宏之と山本直純
【第5章】炎のコバケンとみちよし先生
【第6章】カラヤンの教え子、バーンスタインの弟子
【終 章】ブザンソンを制した新世代指揮者たち

「日本の指揮者とオーケストラ・ディスコグラフィ30」付録付き!


●近衛秀麿/近衛交響楽団
●齋藤秀雄 /新日本フィルハーモニー交響楽団
●朝比奈隆/大阪フィルハーモニー交響楽団
●渡邉暁雄/札幌交響楽団
●外山雄三/大阪交響楽団
●山本直純/NHK交響楽団
●岩城宏之/オーケストラ・アンサンブル金沢
●小澤征爾/サイトウ・キネン・オーケストラ
●若杉弘/東京都交響楽団
●飯守泰次郎/東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
●小林研一郎/日本フィルハーモニー交響楽団
●井上道義/名古屋フィルハーモニー交響楽団ほか
●尾高忠明/東京フィルハーモニー交響楽団
●小泉和裕/九州交響楽団
●高関健/群馬交響楽団
●大植英次/大阪フィルハーモニー交響楽団
●大友直人/東京交響楽団
●広上淳一/京都市交響楽団
●大野和士/東京都交響楽団
●佐渡裕/兵庫芸術文化センター管弦楽団
●山下一史/仙台フィルハーモニー管弦楽団
●藤岡幸夫/関西フィルハーモニー管弦楽団
●飯森範親/山形交響楽団
●沼尻竜典/日本センチュリー交響楽団
●下野竜也/広島交響楽団
●山田和樹/横浜シンフォニエッタ
●原田慶太楼/NHK交響楽団
●川瀬賢太郎/神奈川フィルハーモニー管弦楽団
●沖澤のどか/読売日本交響楽団
●水戸室内管弦楽団

著者プロフィール

本間ひろむ(ほんまひろむ)
1962年東京都生まれ。批評家 / アーティスト。大阪芸術大学芸術学部文芸学科中退。クラシック音楽評論など文筆活動のほか、作詞作曲も手がける。主な著書に『ユダヤ人とクラシック音楽』『アルゲリッチとポリーニ』『日本のピアニスト』『日本のヴァイオリニスト』(以上、光文社新書)、『ヴァイオリンとチェロの名盤』『ピアニストの名盤』『指揮者の名盤』(以上、平凡社新書)、『3日でクラシック好きになる本』(KKベストセラーズ)ほか。新聞・雑誌への寄稿のほか、ラジオ出演も。

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