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【第2回】なぜ「ヒューマンエラー」が生じるのか?|高橋昌一郎

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脳とAIの本質的な相違

ミカン1個とリンゴ1個で合計500円になる。リンゴはミカンより400円高い。さて、ミカン1個の値段は幾らだろうか?

ミカン1個は100円に決まっていると思われた読者には、もう一度落ち着いて考えていただきたい。ミカンが100円であれば、リンゴはそれよりも400円高い500円となり、ミカン1個とリンゴ1個では合計600円になってしまう。

正確には連立方程式を立てればよいのだが、そこまでしなくてもミカンが50円だとおわかりになるだろう。するとリンゴは450円で、合計500円になる。

間違えないように気をつけていても、人間は間違いを犯す生き物であり、この種の人間の失敗を「ヒューマンエラー」と総称する。上記のような「計算」のミスから「記憶」の間違い、「先入観」や「不注意」、あるいはコミュニケーションの「誤解」など、さまざまな要因によってヒューマンエラーが発生する。

実際は下り坂であるにもかかわらず、周囲の風景の「錯覚」から上り坂に見える場所では、ドライバーが必要以上にアクセルを踏み、交通事故が多発する。管制官が機名を言い間違えて生じた航空機事故や、看護師が薬品名を見間違えて注射した医療ミスなど、人間の生死にかかわるヒューマンエラーもある。

さて、ヒトの脳には約1000億の「ニューロン」と呼ばれる脳細胞があり、その1つのニューロンが数千以上の「シナプス」と呼ばれる接合部位で繋がれている。大脳皮質1平方ミリメートルには10万個以上のニューロンがあり、シナプスは10億以上に達する。そこで重要なのは、ニューロンの信号がシナプスを介して他のニューロンに伝わる際に「不確実性」が生じることだ。

その不確実性によって脳が間違えてヒューマンエラーが生じるわけだが、なぜそのような不確実性が脳に内在するのかという謎について、本書は詳細に解説している。要するに、脳構造は、よく教科書に描かれる単純な神経回路モデルに置き換えらないほど「複雑」で「多様」だというのが本書の主張である。

本書で最も驚かされたのは、おそらく一般に幅広く受け入れられている次の5つの脳の基本概念が、すべて「典型的な誤解」だという本書の主張である。

(1)脳はニューロンとそれをつなぐシナプスの動作だけで働いている。
(2)すでにニューロンとシナプスの基本動作は明らかになっているのだから、神経回路の動作を数式で記述しプログラムで実現することは可能である。
(3)遠からずヒトの脳の完全な配線図ができ上がるから、それを電子回路で再現することも可能である。
(4)たとえ完全な配線図がなくても、ニューロン間の接続には規則性があるため、神経回路をプログラム上で構成することは可能である。
(5)単純な神経回路の動作をプログラムで再現できれば、あとはそれを増やし重ねて行けば脳の動作になる。

この5つの脳の基本概念が導くのは、いずれ人工知能AIが人間の「脳」に近づき人間のような「心」を持つという、多くのSF作品で見慣れた世界観である。ところが、本書の著者・櫻井芳雄氏は、「AIは脳になれない」「心は数式で表せない」「AIは人になれない」と断言している。逆に言えば、脳は想定以上に生物学的に「いいかげん」で「間違える」のが当然の情報処理を行っているため、「間違えない」神経回路プログラムとは本質的に異なるというわけである!

本書のハイライト

脳はいいかげんな信号伝達をしてまちがえるからこそ柔軟であり、それが人の高次機能を実現し、一人ひとりの成長を生み、脳損傷からの回復を促し、個性をつくっている。現在の脳科学は、人の多様性と可塑性を保証しており、人を安易に分類することや、その可能性をあらかじめ決めつけることを、強く戒めている(はずである)。(p. 227)

著者プロフィール

高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)
國學院大學教授。情報文化研究所所長・Japan Skeptics副会長。専門は論理学・科学哲学。幅広い学問分野を知的探求!

著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』(以上、講談社現代新書)、『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『新書100冊』(以上、光文社新書)、『愛の論理学』(角川新書)、『東大生の論理』(ちくま新書)、『小林秀雄の哲学』(朝日新書)、『実践・哲学ディベート』(NHK出版新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)、『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)、『科学哲学のすすめ』(丸善)など多数。

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