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山口周さんの幻のデビュー作『グーグルに勝つ広告モデル』を全文公開!【その3】4章

4章 4マスメディアvs.インターネット

*卸売りの戦い:ポジショニングマップから判断するネットメディアの新しさ

獲得したアテンションは、広告主に卸売りされてはじめて収益になります。逆にいえば、どんなにたくさんのアテンションを獲得できたとしても、広告主にそれを販売できなければ意味がありません。したがって、獲得したアテンションを卸売りする能力も、競争の重要なポイントになります。

広告主の立場からすれば、購入するアテンションに様々な種類があって、それらのうちどれがもっともマーケティング上のニーズに沿っているのか、という論点が出てきます。

広告主にしてみれば、アテンションはあくまでもマーケティング上の目標を達成するためのツールです。そうなると販売する側=メディア側としては、自分たちのメディアをどうポジショニングすべきか、を判断することが重要になります。一言でいえば、自分のメディアをどう差別化するかが重要になるわけです。

*20世紀後半は情緒メディアの時代だった

図4は、従来の4マスメディアをポジショニングしてみたマップです。円の大きさは広告の売上げの大きさを表し、縦軸は扱える情報の種類を表現しています。

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上に行けば行くほど情緒的・感覚的な表現が得意で、下に行けば行くほど理性的・説得的な表現が得意ということになります。言葉を換えれば、上に行けば行くほど動画や音楽、下に行けば行くほど文字や図像(写真)でのコミュニケーションに向いている、ということになります。

一方、横軸はコミュニケーションできるオーディエンスの質を表しています。

右に行けば行くほどマス的に十把一絡げの人への、左に行けば行くほどターゲッティングされた層へのコミュニケーションが得意ということになります。

まずテレビが右上の象限、つまり情緒的表現をマス向けに行うのが得意、というところにプロットされます。一方で新聞は同様にマス向けですが、適している表現はどちらかといえば理性的・説得的で、図像や文字を送るのに適したメディアです。

また雑誌は、新聞と同様に理性的・説得的な情報伝達が得意ですが、ターゲットされた層にアプローチすることが可能という点が大きく異なります。

ラジオはちょっと中途半端で、どちらかといえば情緒的な表現で、つまり動画は表現できないけど図像や数字はもとより表現できない、一方でテレビほどのマスにはアプローチできないけどターゲッティングも難しい、ということで、このポジショニングになります。

最初に気づくのが、マス向け媒体のほうがターゲッティング媒体よりも市場が大きいということです。

これは、現在のマーケティングの主流がマスマーケティングであることによります。商品企画、生産、流通のそれぞれがマスマーケティングに最適化していて、メディアもまたそうなっている、ということです。

次のポイントが、下側の象限、つまり理性的・説得的な情報を扱うメディアよりも情緒的・感覚的な情報を得意とするメディアの規模が大きいということです。

これはどういうことを意味するのでしょうか?

*理性的・説得的メディアから情緒的・感覚的メディアへ

マーケティングの側面から考えてみると、一般的に市場の立ち上がりの時期は、理性的・説得的な情報、つまり数値や物理的な特性をしっかりと訴求することがマーケティング上の課題になってきます。他社との商品の違いを、数値や文字で伝達することが求められるわけです。

これが成長期をへて成熟期になってくると、商品の特性上の違いはあまりなくなってきます。そこでは物理的な性能や数値よりも「情緒的な価値」が重要になってきます。つまり産業が成長し成熟化していく過程で、コミュニケーションのニーズはマップの下から上へ移動していく、ということです。

今の日本では、特に消費財分野で多くの市場が成熟化していますから、情緒・感覚的なコミュニケーションによって自社の商品を選んでもらうことが、非常に重要になってきます。

逆に、多くの消費財が導入期~成長期にあった高度経済成長の時代は、図の下側のセグメントの需要が上側のセグメントを上回っていました。

特に新聞広告は、広告媒体としては長らく売上げ一位を記録していました。この状況が変わるのが1974年で、この年、テレビが広告売上高で新聞を抜きます。

この1974年という年は何の年かというと、巨人のV9が終わって長嶋茂雄が引退した年です。何の関係があるんだ、といわれるとなかなか苦しいんですが、筆者には非常に象徴的に感じられる点があります。

それは、長嶋の有名な引退スピーチです。「我が巨人軍は永久に不滅です」というセリフ。これ、日本語としては明らかに間違っているわけです。言葉が重複していますから。永久と不滅は意味が重なる部分があるので、どっちかだけいえばいい。でも人々は感動した。それは何に感動したかというと、言葉ではなく、男泣きに泣く長嶋の映像に感動したわけです。情緒的・感覚的に感動したわけです。

だから、あの引退スピーチを文章に起こしても「何だこりゃ? ヘンな日本語だな」で終わりだったでしょうけど、もうそういう時代ではなかった、

つまり、文字による理性的・説得的なコミュニケーションより、映像による情緒的・感覚的なコミュニケーションに人が動かされる時代の、最初の象徴が長嶋の(ヘンな日本語の)引退スピーチだった気がします。

最後になりますが、ポジショニングマップを眺めて気がつく三つ目のポイントが、この左上の象限、つまり情緒的・感覚的な訴求を、ターゲットされた層に伝達するメディアというのは、存在しなかったということです。

*インターネットは初のターゲッティング×情緒メディアとして登場

4マスメディアがこういう状態で存在している時期に、インターネットがどういうポジショニングで登場したかというと、図5のAのような位置になると思います。

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登場したばかりの時期というのは、本当にごく限られたユーザーに対してしかアプローチできなかったので、横軸的には左の端っこの端っこで、しかも表現としては文字と原始的なGIF形式のバナー程度しかなかったので、縦軸的には一番下、ということです。

これが短期間の間に上方向に急激に拡大します。つまり、図5のBのような拡張ということです。

では、これがどう新しいのか、ということを考えるにあたって、具体的な事例を取り上げてみましょう。北米BMWの事例です。

ご存知の方も多いと思いますが、2001年に北米BMWは『ミッション:インポッシブル2』の監督であるジョン・ウーや『トップガン』の監督であるトニー・スコットを起用してショートムービーを作成し、BMWのウェブサイトで公開しました。制作予算は約30億円だったそうです。

ここで考えていただきたいのは、BMWはなぜそんなことをやったのか、ということです。

もともとBMWは、それほどテレビ広告に積極的な会社ではありません。その会社が、ブロードバンド普及率がまだ10%程度だったときに、なぜここまでの予算をかけて動画のキャンペーンを張ったか、という質問です。

BMWのブランドステートメントは「Sheer Driving Pleasure」です。日本国内では、「駆けぬける歓び」というようにいっています。自動車をダイナミックに運転する楽しみについて言及しているわけです。

これをもうちょっとマーケティング的な用語で説明すると、BMWは「走って楽しい自動車」というポジショニングを訴えているといえます。

彼らはなぜ、走る楽しさをブランドのポジショニングを語る要素として、重要視しているのでしょうか?

ここで考えなければいけないのが競合です。BMWの競合として筆頭に挙げられるのがメルセデスベンツです。メルセデスベンツは実質的に世界初の自動車メーカーであり、その伝統とブランドの強さは、いかなBMWでも凌駕することは難しい。

したがって、BMWとしては、メルセデスベンツにいかに「打ち勝つか」ではなく、いかに「差別化するか」が非常に重要になるわけです。

*ターゲット含有率の問題

ここで、図を使って整理してみましょう。

もともとメルセデスベンツが強みを持っている「伝統」「安全性」「ステータス」といったところでモロに戦っても勝ち目がないため、メルセデスベンツがいいにくいことでBMWが強く打ち出せること、そしてもちろん顧客にアピールできそうなことが必要になってきます。それが、BMWの「若々しさ」「楽しさ」「爽快感」「ダイナミックな走り」という要素だったと考えられます。

ですので、図6のようなポジショニングになると思います。

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こういったブランドの要素を見込み顧客に伝達していこうと思ったとき、どのようなメディアがもっとも優れているかを考えてみると、当然ながら動画・映像メディア、つまり先ほどのメディアマップでいうところの上側の象限がいいということになります。

まずココが一つ目のポイントです。

BMWのブランドエッセンスを伝達するのにもっとも適したメディアは、動画メディアである、ということです。

動画メディアといえば、従来はテレビということになるわけですが、じゃあなぜBMWはこれまでテレビ広告を積極的にやってこなかったのか?

これはターゲット含有率の問題です。

BMWは、決して普及価格のクルマではありません。ほとんどのラインが500万円以上する高額車で、購買可能なセグメントは、市場の数パーセント程度です。こういった商品の広告をテレビで行っても、接触した人のほとんどが買いたくても買えないわけですから、費用対効果が非常に悪い。

ここに大きなジレンマが発生してきます。ブランドのエッセンスを伝達しようと考えた際、もっとも適切な表現形態は動画・映像なのに、そのためのメディアが費用効率の非常に悪いテレビしかない、ということです。

彼らが長年、あまりテレビ広告に対して積極的な投資を行わなかったのは、費用効率の悪さゆえの消極的な選択であったと思います。

ところがここに、インターネットという新しいメディアが出てきました。インターネット黎明期の1990年代初頭~中盤にかけては、回線スピードの問題もあって動画を提示するには厳しいメディアでしたが、徐々に動画を送信することも可能になってきました。

彼らにとって、費用効率をある程度高めながら、BMWのもっともアピールしたい特性である「若々しさ」「爽快さ」「ダイナミックな走り」といったイメージを動画でアピールできる新しいメディアが出てきた、ということなのです。

BMWは以前から、費用対効果の問題さえ解決できるのであれば、動画広告をやることにきわめて積極的でした。むしろ、メルセデスベンツとの差別化という側面で考えてみた場合、必要不可欠だったとさえいえます。彼らにとっては、インターネットでの動画広告というのは、まさに福音だったのだと思います。

このキャンペーンでは、最終的に接触者の50%が年収800万円以上だったということで、見事にターゲット含有率を高めることに成功しました。

*マーケッターの思考パラダイムも変革を求められる

これを一般化してまとめると、「セグメントされたターゲット層に対して、情緒的・感覚的なブランドコミュニケーションを行うことが可能なメディアが、はじめて登場した」ということになると思います。

これが、インターネットが単にメディアとして新しいだけでなく、戦略面での考え方を変えることを促しているとする第一の側面です。

今現在、多くのマーケッターの方が、商品の差別化に苦しんでいます。機能面での大きな差異が打ち出しにくく、価格も収 斂しているので、情緒的・感覚的な側面で差別化をしないといけない。

しかし一方で、情緒的・感覚的な情報を伝達できるメディアは、ターゲッティングが基本的にできないテレビメディアしかない。

多くのマーケッターの方はこのジレンマを封じ込めるために、最大公約数的な商品企画を行ってマス媒体で売る、という方法論に陥ってそこから抜け出せなくなっているわけです。

その結果が、シャープなコンセプトを持たない横並び商品と、意味の変容をもたらさない陳腐な広告の大量発生です。このため、現在の日本ではブランドの大量生産・早期撤退が発生しています。

例えば清涼飲料は、年間でだいたい800から1000の新規ブランドが導入されますが、翌年までに定番商品として残るのは3つ程度しかありません。

こういった現象については、その原因として、そもそも欲求が飽和しているとか、刺さるコンセプトを持つ商品が少ない、といったことがよく指摘されていますが、それは表面的な理解であって、根本的な原因ではないと筆者は考えています。

なぜマーケッターはそのようなパラダイムでものを考えるのか?

そこには、情緒面が重視される市場の状況に対して、ツールとして情緒とターゲッティングを両立させられるメディアがない、つまり戦略課題とツールがフィットしていない、という問題があると思います。

インターネットは、この状況を打破できるはじめてのツールになりうるということです。

ここまで「仕入れの戦い」という側面から、インターネットがどれだけのアテンションをマスメディアから奪うのか、という論点を検証し、また「卸売りの戦い」という側面から、広告主の求めるマーケティング上の要請に対して、インターネットとマスメディアがどのようなポジショニングを取りうるのか、という点について、基本的な枠組みを提供して考察してみました。

この後、先ほど提示したフレームワークを適宜用いながら、既存の各マスメディアにどのような競争戦略のオプションがありうるのか、という点を考察してみたいと思います。

(5章以降に続きます。毎日更新予定)





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