【49位】ブロンディの1曲―新しい波が寄せてくる、婀娜(あだ)な女神が天高く舞い踊る
「ハート・オブ・グラス」ブロンディ(1979年1月/Chrysalis/米)
※画像はアメリカ盤12インチ・シングルのレーベルです
Genre: Disco, New Wave
Heart of Glass - Blondie (Jan. 79) Chrysalis, US
(Debbie Harry • Chris Stein) Produced by Mike Chapman
(RS 259 / NME 19) 242 + 482 = 724
70年代の灼熱のディスコ・ブームの末期を彩った大ヒット・ナンバーがこれだ。ロック音楽家がディスコ音楽を取り入れたヒット・ソングが相次いだ時代ではあったのだが、なかでもこれは、特大だった。前年6月に発表した3枚目のアルバム『パラレル・ラインズ』(『教養としてのロック名盤ベスト100』では53位)からのシングル・カットだ。
なんとシングル発売翌月には、イギリスで売り上げ100万枚を突破。アメリカでも4月には突破。だから全英およびビルボードHOT100の1位はもちろん、豪、オーストリア、カナダ、独、スイスそのほか各国のシングル・チャートで、軒並み首位に輝いた。
しかもヒットさせたのが、ニューヨークのアンダーグラウンド・シーンにて、パンク・ロック界隈が根城だったブロンディだったもので、ニューウェーヴ系周辺に激震が走った。なぜならばこの当時、ディスコとは一面、セルアウトして堕落したポップ音楽の代名詞だったからだ。対して、パンク以降の「新しい」ロックとは、潔癖の象徴だった。
とはいえ、ブロンディの「ディスコ好き」は降って湧いたものではない。この曲のデモが最初に録音されたのは75年。「ワンス・アイ・ハッド・ア・ラヴ」というタイトルで、レゲエの香りもするファンク調のナンバーだった(が、バンド内では「ザ・ディスコ・ソング」と呼ばれていた)。そのままお蔵入りしていたこの曲に目をつけたのがプロデューサーのマイク・チャップマン。彼の嗅覚によって「鉄壁のディスコ・ソング」として仕立て上げられることになった。目標となったのは、エレクトロニック・サウンドのユーロ・ディスコ・ソング。つまりジョルジオ・モロダーの模倣だった。この着眼点が「その他のロック・バンドのディスコもの」とは、明らかに一線を画していた。
まずなんと言っても、ローランドのCR-78ドラム・マシーンだ。これに合わせて生ドラムを叩き、ベース・ドラムは「音を二重にかさねて」強化。さらにCR-78をシーケンサーがわりにSH-5とミニモーグを鳴らす。これら全部の上で天高く、まるでエデンの園に春を告げるヒバリのように軽やかに舞い歌うデビー・ハリーの妖艶に、聴き手はノックアウトされた。そもそも彼女は、ドナ・サマーの「アイ・フィール・ラヴ」(77年、76位)をライヴで好んでカヴァーしていた。だからこの路線の、見事なる「適役」だった。
そしてこのあと、怒涛の「ニューウェーヴ・ダンス」音楽ブームがやってくる。それがデヴィッド・ボウイの「レッツ・ダンス」(83年)にまでつながっていく。
(次回は48位。お楽しみに! 毎週火曜・金曜更新予定です)
※凡例:
●タイトル表記は、曲名、アーティスト名の順。括弧内は、オリジナル・シングル盤の発表年月、レーベル名、レーベルの所在国を記している。
●曲名については、英文の片仮名起こしを原則とする。とくによく知られている邦題がある場合は、本文中ではそれを優先的に記載する。
●「Genre」欄には、曲の傾向に近しいサブジャンル名を列記した。
●ソングライター名を英文の括弧内に、そのあとにプロデューサー名を記した。
●スコア欄について。「RS」=〈ローリング・ストーン〉のリストでの順位、「NME」は〈NME〉のリストでの順位。そこから計算されたスコアが「pt」であらわされている。
川崎大助(かわさきだいすけ)
1965年生まれ。作家。88年、音楽雑誌「ロッキング・オン」にてライター・デビュー。93年、インディー雑誌「米国音楽」を創刊。執筆のほか、編集やデザイン、DJ、レコード・プロデュースもおこなう。2010年よりビームスが発行する文芸誌「インザシティ」に短編小説を継続して発表。著書に『東京フールズゴールド』『フィッシュマンズ 彼と魚のブルーズ』(ともに河出書房新社)、『日本のロック名盤ベスト100』(講談社現代新書)、『教養としてのロック名盤ベスト100』(光文社新書)、訳書に『フレディ・マーキュリー 写真のなかの人生 ~The Great Pretender』(光文社)がある。
Twitterは@dsk_kawasaki