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失恋ソングは失恋の傷を癒してくれるか?|源河亨

私たちの心を震わすラブソング。誰しも思い出の曲にラブソングが1つは入っているのではないでしょうか。自分の心を代弁してくれる——そんな曲に出会ったことがある人もいるかもしれません。しかし、ラブソングはなぜこれほど世の中に溢れているのでしょうか。古今東西で歌われてきたにもかかわらず、今も新しいラブソングは生まれています。なぜ私たちはこれほどラブソングを求めているのか。そもそも歌のテーマである「愛」とはなんなのか——。光文社新書10月新刊『愛とラブソングの哲学』では、哲学研究者である源河亨さん(九州大学大学院講師)が、生物学、脳科学、歴史学、社会学などさまざまな学問「知」を駆使して、そんな問いへの答えを探っていきます。本記事では、刊行を記念して、第8章より一部を抜粋・再構成して掲載。失恋ソングは失恋の傷を癒す理由について迫ります。

楽曲の効果

音楽と癒しの関係と言えば「音楽療法」が浮かびます。音楽療法は、心や体の健康の改善・維持を目的として音楽を使用することです。そして音楽療法では「同質の原理」と呼ばれるものがよく取り上げられます。その原理を簡単に言えば、「悲しくなっているときには、楽しい楽曲よりも悲しい楽曲を聴く方が悲しみが和らげられる」というものです。

とはいえ注意すべきなのは、悲しい楽曲が必ず癒しを与えてくれるわけではないことです。そもそも音楽的に良くない楽曲は、曲調が楽しかろうが悲しかろうが、聴くと残念な気持ちになります。また、悲しい楽曲だけが悲しみを和らげてくれるわけではありません。楽しい楽曲でも悲しい楽曲でも、それが音楽的に素晴らしいものであれば、良い作品を鑑賞したことで喜びや感動といったポジティヴな感情が生まれるでしょう。

実際、失恋ソングのなかには曲調がまったく悲しくないものもあります。槇原敬之の《もう恋なんてしない》や、Official髭男dismの《Pretender》も「失恋ソング」に該当しますが、その曲調はアップテンポで楽しいものです。日本語を知らない人に聴かせると、それが失恋を歌ったものだとは気づけないかもしれません。

そうすると、楽しい失恋ソングの癒しの効果は同質の原理では説明できないことになります。では、何が癒しとなるのでしょうか。

重要なのはやはり歌詞でしょう。歌詞がもつ癒しの効果は私物化のところですでに説明しましたが、それですべてだとは思えません。というのも、私物化に関する論点では、現在の自分の気持ちが整理される点は指摘されていますが、過去が思い出される点には触れられていないからです。ですが、思い出すことにも何か癒しの効果があるのではないでしょうか。というのも、失恋を思い出すという過程は、それによって再び失恋の悲しみが生まれてしまうもの、言い換えれば、できるなら避けたい感情を生み出してしまうものだからです。本章の冒頭で負の感情のパラドックスを参照しつつ説明したように、避けたい感情が生まれてしまうからには、それを上回る良い効果が期待されます。嫌な副作用が出てしまう処置を受けるからには、その処置にそれなりの治療効果があると考えられるわけです。

言葉と記憶

ここで本書独自の考えを提示したいと思います。それを簡潔に言えば「失恋ソングが過去を美化する」というものです。

もう少し詳しく言うと次のようになります。失恋をした人は、まさに失恋のために、交際期間に体験されたさまざまな物事がネガティヴに捉えられるようになっています。そうした人が失恋ソングを聴いたとき、その歌詞が自分の過去の体験をふさわしく表すものとして私物化されます。このときに過去の交際期間が思い出されて悲しみが生まれますが、同時に、歌詞がもつポジティヴな内容の影響により、思い出された過去がポジティヴなものに書き換えられてしまうというわけです。

この主張の根拠となるのは、言葉の影響によって記憶が変化してしまうという現象です。これは記憶研究で「語法効果」と呼ばれるものです。ここでは、記憶心理学の古典とも言えるロフタスらの実験を紹介しましょう。

その実験では、まず参加者に自動車事故の映像を見てもらい、その後で映像についていくつか質問がなされます。質問はいろいろありますが、重要なのは車の速度に関する質問です。しかも、その質問は参加者ごとに言葉を少し変えてなされます。たとえば、ある参加者には「車が当たった(hit)ときの速さはどれくらいのものでしたか?」と尋ねられますが、別の参加者には「車が激突した(smashed)ときの速さはどれくらいのものでしたか?」と尋ねられます。つまり、「当たった」を「激突した」などに変えたりしたわけです。

すると驚きの結果が出ました。なんと言葉によって思い出される速さが変化したのです。「当たった」の質問に対して参加者が推定した速度の平均は時速五四キロ(三四・〇マイル)であったのに対し、「激突した」に言葉を変えた質問では平均が時速六五キロ(四〇・八マイル)となりました。同じく、他の言葉でも思い出される速度に違いが出ています(図表16)。

さらに、言葉の違いは推定速度以外にも影響することが示されました。「激突した」の質問で速度を推定してもらった人にも「当たった」で推定してもらった人にも、「割れたガラスを見ましたか?」という質問をしました。そうすると、「激突した」の質問をした人の方がガラスを見たと答える傾向にありました。しかし、実際にはその映像のなかに割れたガラスは映っていなかったのです。

この研究が示しているのは、言葉の微妙な違いによって思い出される内容が変化してしまうということです。「当たった」よりも強い衝撃のニュアンスをもつ「激突した」の方が、事故がより衝撃的なものとして思い出されます。車のスピードはより速かったと思われますし、実際には映っていなかった割れたガラスを見た記憶が作られてしまうのです。

こうした結果が示しているのは、記憶はビデオのように確定したかたちで保存されているわけではないということです。同時に、「思い出す」という心の働きは、保存されたビデオをただ再生する作業でもありません。記憶に関する心理学では、思い出す働き自体が記憶を部分的に作り出していると考えられています。

語法効果は事故の目撃証言だけでなく記憶一般にみられるものです。そうであるなら、失恋ソングを聴いて自分の失恋を思い出す場面でも、語法効果が現れているでしょう。失恋ソングをきっかけにして自分の過去の失恋を思い出すときには、その歌詞の影響で記憶が変化してしまうということです。

では、なぜそれが癒しにつながるのでしょうか。おそらくそれには過去の美化が関係しています。失恋ソングの歌詞では、失恋の悲しみが描かれつつも、同時に、別れた恋人への感謝、交際時期を懐かしむ気持ち、といったポジティヴな要素が含まれています。そうした失恋ソングを聴いて過去が思い出されるとき、記憶がポジティヴなものに書き換えられるのではないでしょうか。たとえば、「あなたはあんなに優しかった」といった歌詞があれば、相手の行動が優しいものであったかのように思い出される可能性があります。第三者視点からすると何も優しい行動はなかったとしても、相手は自分に優しかったという記憶ができあがってしまうかもしれません。

以上、「第8章 失恋ソングは失恋の傷をどう癒すのか」より一部抜粋して再構成。

目次

 導 入:哲学とは何か
第1部|愛とは何か
 
第1章:愛は感情なのか
 第2章:愛に理由はあるか
 第3章:愛は本能なのか
 第4章:愛は普遍的か
 第5章:愛に本質はあるか
第2部|ラブソングとは何か
 
第6章:愛は音で伝わるか
 第7章:愛の言葉はどう響くのか
 第8章:失恋ソングは失恋の傷をどう癒すのか
 第9章:なぜラブソングは歌われ続けるのか
     ——対談 feat. 原田夏樹(evening cinema)

より詳しい目次はこちらをどうぞ

著者プロフィール

1985年、沖縄県生まれ。2016年に慶應義塾大学で博士号(哲学)を取得。2021年より九州大学大学院比較社会文化研究院講師。専門は、心の哲学、美学。著作に、『知覚と判断の境界線——「知覚の哲学」基本と応用』『悲しい曲の何が悲しいのか——音楽美学と心の哲学』『感情の哲学入門講義』(以上、慶應義塾大学出版会)、『「美味しい」とは何か——食からひもとく美学入門』(中公新書)。


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