【第60回】桂離宮の「美」を見抜く力とは何か?
和辻哲郎と森蘊の論争
「宮内庁」のホームページは、思いのほか楽しい構成になっている。「参観案内」から「皇居・京都御所・京都仙洞御所・桂離宮・修学院離宮」のページに飛ぶと「施設案内」が出てくる。「桂離宮」に提供されている10分のビデオを見ると、まるで桂離宮の参観コースを歩いているような感覚を味わえる。
桂離宮の基礎を築いたのは、後陽成天皇の弟に当たる智仁親王である。親王は天正14年(1586年)に7歳で豊臣秀吉の猶子となり、将来は関白となるはずだった。ところが、秀吉に実子が生まれたため、秀吉の奏請で八条宮家を創設した。親王は、20代の若さで当時最高の知識人である細川幽斎から古今集を伝授され、和歌や文芸に抜群の才能を示した。その親王が桂川西岸の領地に観月や茶会や酒宴を催すための優雅な別邸を築いたのが始まりである。
別邸の建築と造営は、八条宮家第2代の智忠親王に引き継がれ、第3代の穏仁親王が当主として寛文3年(1663年)に後水尾院の御幸を迎えた際、ほぼ現在の「回遊式庭園」の姿に完成したらしい。八条宮家の断絶後、明治16年(1883年)からは宮内省所管となり、「桂離宮」と称されるようになった。
桂離宮は江戸時代の同時期に完成した「日光東照宮」と比較されることが多い。1933年に日本を訪れたドイツの建築家ブルーノ・タウトは、東照宮の「過度の装飾と浮華の美」を「建築の堕落」と強く批判し、逆に、可能な限りの装飾を排し、純粋かつ簡素な構造の桂離宮こそが「最高の美」だと絶賛した。
本書の著者・三嶋輝夫氏は、1949年生まれ。国際基督教大学教養学部卒業後、東京大学大学院人文科学研究科修了。早稲田大学芸術学校建築設計学科卒業。東京大学助手、青山学院大学助教授などを経て、青山学院大学教授を長く務めた。専門は倫理学・ギリシア哲学。著書に『汝自身を知れ』(NHK出版)や『ソクラテスと若者たち』(春秋社)などがある。
さて、桂離宮の竣工時期や設計者や造営者は、どれも不明である。主要建造物の「古書院」「中書院」「新御殿」に加えて4棟の茶屋と持仏堂があるが、具体的な造営時期さえ明らかではない。本書には、それらの謎を巡る多種多様な論争が縦横に分析されているが、あたかも推理小説のようでおもしろい。
たとえば、建築家の森蘊は「寛永以来の煤や蜘蛛の巣にまみれた屋根裏や縁の下にもぐりこみ、はいずりまわり、又測量器をかかえ、箱尺やテープを引きずりまわしながら、長年月かかって実測した結果」、まず中書院が造営され、付随して古書院が移築されたと主張した。ところが、森から「建築家でない博士」と揶揄された哲学者の和辻哲郎は、建物と庭園の景観から智仁親王の意図した原形を見極め、逆に「古書院独立先行説」を主張した。そして昭和と平成の大修理の際、和辻の眼力が正しかったことが証明されたのである!
本書で最も驚かされたのは、最初の4章「間柄と建築=『風土』」「天平の甍=『古寺巡礼』」「建築と風土=『イタリア古寺巡礼』」「アルプスの北=『故国の妻へ』」が98ページであるのに対して、第5章の「面と線の美学=『桂離宮』」だけで133ページあるという実にアンバランスな構成である(笑)。
以前、青山学院大学に論理学の兼任講師として伺っていた際、倫理学者としての三嶋氏には何度もお会いしたことがあるが、まさか建築設計学科卒業とは知らなかった。和辻が情熱を傾けた「桂離宮」の「面と線の美学」に鬼気迫る本書は、渾身の力を込めた三嶋氏だけにしか書けない快著といえる!