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【第33回】「天安門事件」とは何だったのか?

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★現代の日本社会では、多彩な分野の専門家がコンパクトに仕上げた「新書」こそが、最も厳選されたコンテンツといえます。この連載では、高橋昌一郎が「教養」を磨くために必読の新刊「新書」を選び抜いて紹介します!

「現代中国最大のタブー」の意味

中国語で「八九六四」(バージョウリョウスー)といえば、1989年6月4日に生じた「天安門事件」を意味する。現代の中国国内では、この事件は歴史書から葬り去られ、ネットで関連キーワードを検索すると接続が切れてしまう。この言葉を口にすること自体が「現代中国最大のタブー」なのである!

その日、中国の政治改革と経済改革を要求して天安門広場を占拠した学生と市民約10万人に対して、中国共産党は、人民解放軍による武力鎮圧を行った。約2万5,000の軍人が戦車と装甲車で広場に突入し、学生と市民に発砲した。中国の公式発表では「319人が死亡」だが、イギリス大使館は「少なくとも1万人以上の市民が軍に殺害された」と極秘公式文書で述べている。

この事件が他人事ではないのは、実は、当時、私の妹が北京に留学していたからだ。彼女は、大学寮の学生と一緒に毎日のように天安門広場に行っていたが、その日に限ってルームメートが高熱を出したため、寮に残って看病していた。そこに血塗れの学生たちが次々と担架で運ばれてきて、震え上がったという。もし広場に行っていたら、殺されても仕方がない状況だった。

事件の翌日から、外国報道機関は国外に退去させられ、中国国内の報道も厳格に統制された。現在のようにネットやスマートフォンはなく、唯一の交信手段である国際電話も繋がらなくなった。数日間、家族で心配し続けたが、妹は、日本政府の特別便で帰国することができた。偶然テレビをつけたら、妹が空港でインタビューを受けていて、ビックリしたことを覚えている(笑)。

本書の著者・安田峰俊氏は、1982年生まれ。立命館大学文学部卒業後、広島大学大学院文学研究科修了。多摩大学非常勤講師などを経て、現在は立命館大学人文科学研究所客員協力研究員・ルポライター。『中国人の本音』(講談社)や『性と欲望の中国』(文春新書)などの著書がある。

さて、「天安門事件」といえば、すぐに思い出す写真が2枚ある。1枚は、広場に設置された「自由の女神」を模した高さ9メートルの白い彫像「民主の女神」である。中国の学生や市民がアメリカ風の民主主義を望んだ象徴だが、この像は、戦車に踏み潰された。もう1枚は、戦車の前に立ちはだかる男の写真で、「戦車男」・「無名の反逆者」・「中国の自由の象徴」として世界の新聞に掲載された。彼が何者で、その後どうなったのかは、今でも不明である。

当時の中国共産党は、4月26日付『人民日報』で「民主化学生運動」を「動乱」と決めつけ、5月20日に「戒厳令」を公布した。6月4日以降、人民解放軍に「妨害行為」に対して「必要とするすべての手段」を取るように命じた。これが民主主義国家では当然の「言論の自由」や「普通選挙」が存在せず、政府への批判が許されない国の正体である。一方、資本主義市場経済を取り込む「改革開放政策」は大成功し、GDP世界第2位の経済大国になった。

本書で最も驚かされたのは、中国全土で民主化の声を上げた数百万人の若者が、今では完全に体制に取り込まれるか、体制に距離を置いて無関心を装っていることだ。誰もが、体制を批判して政治改革を求めるような「面倒」を避ける。その姿勢が、日本の若者との「意外な共通点」だと本書は指摘する。


本書のハイライト

保守的な習近平のもと、中国は八九六四以降で最も政治的に抑圧された雰囲気が強まっている。社会のサイバー化も進み、都市部ではスマホ抜きでは生活ができないほどになった。だが、これはデータを一括管理する当局に、個々人の言動や交友関係が筒抜けになったことも意味する。いまや全世界の監視カメラの七割が中国に集中し、その一部には最新鋭の顔認証技術やクラウド化技術が組み込まれた。私のような外国人の物書きや、体制に不都合な思想を持つ中国人は、間違いなく監視のターゲットになっている(p. 337)。

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著者プロフィール

高橋昌一郎_近影

高橋昌一郎/たかはししょういちろう 國學院大學教授。専門は論理学・科学哲学。著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『愛の論理学』『東大生の論理』『小林秀雄の哲学』『哲学ディベート』『ノイマン・ゲーデル・チューリング』『科学哲学のすすめ』など、多数。

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