岩田健太郎「繰り返す感染拡大。新型コロナウイルスと、どう付き合っていくべきなのか」
大好評発売中の岩田健太郎著『丁寧に考える新型コロナ』(光文社新書)。
巻末特別対談「西浦博先生に丁寧に聞く」から一部を公開いたします。
一瞬一瞬の最適解を多様化し、ばらばらに選択する
岩田 この新型コロナウイルスは、今まで感染症界に存在したことのないタイプの病原体だという話をすでにしたのですが、それと同時に、このウイルスは、感染症の原理原則はきちっと踏襲している、非常にコンベンショナルな、要は、原理そのものを踏み外したウイルスではないということです。
シンプルに言うと、感染経路がちゃんとある。そして、感染経路がなくなるか、もしくは遮断されれば、感染は防げる。そして最終的には、数理モデル的に言うところの、流行がなくなるというところに行き着く。
つまり、これはもうパスツールの時代から分かっていることですが、感染経路というのがやはり重要なんだよということです。そこ自体は、ぜんぜん揺るがない。プリンシプルはやっぱり変わらない。
だからここから外れないということはすごく重要だと思います。
西浦先生のおっしゃった「最適解探し」はすごく重要なのですが、それに加えて、いかにその一瞬一瞬、刹那刹那での、その場、そのときにおける最適解というのを多様化できるか、あるいはスピード化できるのかっていうのが、すごく重要だと思っています。
それはとりもなおさず、「いかに楽をするか」ということにも通じます。
今、アメリカではたとえば、アンソニー・ファウチ(米国立アレルギー感染症研究所〔NIAID〕所長)などが、もう全員マスクをするべきだみたいな話をしています。
それは、今、いろいろな手段を取ってもぜんぜん感染の流行が抑えられていないアメリカで、最終的に取られるであろう唯一の選択肢だからそうなわけで、それをたとえば今の日本(*2020年7月時点)の神戸市でもみんなマスクするべきかというと、また話は違うわけですね。
「これが最適解だ」というのは、場所によって全然違うし、フェーズによっても全然違うし、そしてそれは日々変わっていくわけです。
これをいかにファインチューニングするか。たとえば、島根県のこういう場所だったら、5人ぐらいの密は、まあいいんじゃないの、みたいなところが出てくるかもしれませんし、一方で新宿の歌舞伎町ではとても許容できませんよ、という話も出てくる。
そういうことを、いかに上手に、行きつ戻りつ、リトリート(退却)したり、攻めに行ったりできるか。
攻めに行くというのは、たとえば旅行したり、経済活動をしたり、楽しいパーティをしたりということだと思うのですが、そういうのをどこまで許容できるかということに、だんだん慣れていって、出る、戻る、出る、戻るっていうのを、それぞれの状況下でうまくできるっていうことが、世界中でばらばらにできるようになれば、今よりもだいぶ楽になると思います。
ただ、いつも言うことですが、日本は、みんなでばらばらにやるっていうことをすごく苦手とする国なのです。どちらかというと「みんなで一緒にやる」とか、「どうすればいいのかを教えて欲しい」って言う傾向がある。
みーんながばらばらにやれって言われても困ってしまう。
でも実は、みーんなばらばらにやるというのがいちばん、このコロナ対策としては適切なんですよ。
ぼくらがやるジョギングでも、ぼくだけ別のルートで、誰とも噛み合わない時間に1人で走っていれば、ぼくが感染するリスクも感染させるリスクもゼロなわけです。
でも、ぼくが「こういうジョギングをすればいいんですよ」なんて言って、みんながそれに飛びついたら、それだけでもうそこがリスクになってしまうわけですよね。
だから、いかにみんなでばらばらにできるかがすごく重要なのですが、まあ我々が一番苦手とするところでもあるので、そういうものに堪えることができるかということですね。
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