人にとってもっとも切実な問題の一つ。それは、人間関係です。人間関係で悩んだことがない人はおそらくいないでしょう。
職場でも、学校でも、家庭でも、地域社会でも、人の集まるところでは、かならず大なり小なり人間関係のトラブルが生じます。人間関係を悪くしてプラスになることなど、一つもありません。
人間関係が悪化すると、自分にとっても大きなストレスですし、周囲にも悪影響を及ぼします。仕事も学業も家庭生活もすべて停滞し、深刻な場合は破綻を来(きた)してしまいます。
多くの企業の人事部が、コミュニケーション能力の高い人を採用の第一条件に挙げるのも、コミュニケーション能力の多寡(たか)が業務の成果に直結することをよく知っているからです。
では、どうすればコミュニケーション能力が上げられるのでしょうか。
コミュニケーションが言葉によって担われるものである以上、言葉遣いの質を高めることが必要です。そこでまっさきに思い浮かぶのは敬語です。かくして人は敬語の本を手に取り、敬語を身につけようとします。
しかし、敬語の習得はしばらくすると、壁に突き当たります。過剰な敬語を使っても、よそよそしくなるばかりで、自分が本来備えているよさが失われるように感じられるからです。
一方で、苦労して身につけた敬語が仮面のように機能してしまい、機械的な話し方でかえってその人の印象を下げることもあります。敬語は大事ですが、とってつけたような言葉遣いになり、人間関係の改善に役立たないことも少なくありません。
そこで、本書では副詞に着目しました。
いきなり副詞と言われても、「副詞って何?」とピンと来ない方もきっと多いことでしょう。
でも、大丈夫です。副詞はふだん意識しなくても、日々の生活で驚くほど多く使っている言葉だからです。意識せずに頻繁に使っている言葉だからこそ、肉声として響く、敬語以上に大事な言葉だともいえます。
私たちは、日本語の言葉遣いを日常生活のなかで周囲の人から学び、成長するものです。
たとえば、休みの日、自治会の掃除に出て、長い作業が終わったあと、ご近所の年配の方に別れぎわに、
「どうぞお疲れが出ませんように」
と声を掛けられます。
そんなとき、一瞬戸惑ってしまい、とっさに、
「あっ、ありがとうございます。では、また」
という出来合いの言葉しか出てこない我が身が恨めしいのですが、それと同時に、この「どうぞ」という副詞から始まるこの一文が、自分の発想にはない、さわやかな言葉だと気づかされるのです。
何気ない、じつに自然な、それでいて品のある一言をさらっと言えるお年寄りになりたい。せっかく教えてもらったのだから、次回からは自分もそんな言葉を使っていこう。
そう多くの人が考えることで、社会のなかで渡し渡される言葉のバトンは、思いやりのあるものへと変わっていくのでしょう。
私たちは周囲の世界をあるがままに見ているわけではありません。かならず自分というフィルターを通して見ています。自分なりの捉え方、考え方、価値観、先入観から周囲の世界を見ているのです。
副詞という品詞には、そうした話し手自身のものの見方が自然と反映されるようにできています。
つまり、副詞は素の自分が出てしまうところなので、話し手のよい面が出れば魅力となり、悪い面が出てしまうと欠点となります。
そこで、私たちは自分が使っている副詞を知り、その副詞を磨く必要があるのです。本書はそのお手伝いをする本です。
さあ、これからご一緒に、副詞を知る旅、ふだん無自覚に使っている副詞から透けて見える自分自身の姿を知る長い航海へと出港することにしましょう。
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《目次》
以上、光文社新書『コミュ力は「副詞」で決まる』(石黒圭著)より一部を抜粋して公開しました。
光文社新書『コミュ力は「副詞」で決まる』(石黒圭著)は、全国の書店、オンライン書店にて好評発売中です。電子版もあります。
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【著者プロフィール】