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思い出の名高座① 喬太郎の『とはの謎』―広瀬和生著『21世紀落語史』【番外編】

4月中旬以降、オンライン配信落語会が増えてきた。中で、無料配信や投げ銭方式ではなく「電子チケットを購入して観覧する無観客落語会」として逸早く動き始めたのは(立川こしらのような「例外的な存在」を除けば)橘家文蔵の「文蔵組落語会」だ。これは、文蔵の後援会「三代目橘家文蔵組」の会員は無料で視聴可能だが、一般人もストリーミング視聴券を購入できる仕組み。第1回は三遊亭兼好をゲストに迎えて4月9日に行なわれたもので、この日はもともと文蔵と兼好の二人会が高円寺で行なわれるはずだった。

第1回は迂闊にも開催を知らず観逃してしまったが、4月14日に春風亭一之輔をゲストに迎えて行なわれた第2回は視聴券を購入して観覧。以降も「文蔵組落語会」は豪華ゲストを迎えて頻繁に開催されてきた。池袋演芸場で夜の部主任を務めるはずだった5月中旬には10日間連続配信を行なっている。(18日のみスタジオの都合で落語会ではなく鹿芝居を配信)

5月17日の「第14回文蔵組落語会」はトリがゲストの三遊亭天どんで、文蔵は開口一番の橘家文吾に続いて高座に上がり、『千早ふる』を演じた。文蔵の『千早ふる』はオリジナルの名フレーズ満載の爆笑編だが、自身がトリではない場合、ラスト近くで「水くぐるとはの“とは”って何? 千早の本名ってのは無しだよ!」と、サゲを封じてしまうことがある。この場合、「よーく考えてもわからないから、あとは●●●に任せよう」と、後の演者に“とは”のわけを託してしまうのがお約束。17日も文蔵は「あとは天どんに任せた」と振り、天どんは『千早ブルー』という噺で見事に応えてから『ハーブをやっているだろ!』『のみたい!』の2席を披露した。

この日もそうだったが、「本名ってのは無しだよ」以降の会話の中に「『とはの謎』ってのは?」「それ、喬太郎がやった」というやり取りが出てくることがある。実はその「喬太郎がやった」という『とはの謎』を僕は2回、寄席で目撃している。初演は2008年2月3日の池袋演芸場、二度目は2008年7月26日の上野鈴本演芸場。どちらもトリが喬太郎で、文左衛門(当時)に「“とは”のわけ」を振られた喬太郎は、見事に『とはの謎』という新作落語で応じたのだった。初演の池袋演芸場では、明らかに即興で演じている。「即興で噺を創る」ことにかけては紛れもなく天才である喬太郎ならではの凄い展開だった。

この2008年2月3日の喬太郎の高座については、『21世紀落語史』では触れていない。そこで僕はこの「note」を使い、『21世紀落語史』番外編として、当時の日記を基に、喬太郎の『とはの謎』を振り返ってみたい。

2008年2月上席の池袋演芸場は、昼の部の主任が柳家喬太郎だった。ただし、土日が4回ある中で喬太郎が出演したのは2月3日(日)だけだった。この芝居に橘家文左衛門は顔付けされていないが、2日は文左衛門が喬太郎に代わってトリを務め、3日は古今亭菊之丞の代演で仲入り後に登場している。

僕は、2日の昼間は新宿厚生年金会館大ホールの「若手花形特選落語会」(小朝、昇太、たい平、白鳥、三三らが出演)、夜は横浜にぎわい座の「立川談春独演会」に足を運んだ。そして翌3日。この日は喬太郎がトリで文左衛門も出るから絶対に池袋演芸場に行こうと決めていた。しかし、朝起きてしばらくは気づかなかったのだが、窓の外を見ると物凄い雪になっているではないか! この雪の中を長時間並んで待つのもどうかな……観たいのは仲入り後だし、むしろ仲入りの時間に行って立ち見でもいいか……と一瞬思ったが、この日は節分。手ぬぐいを配るのを目当ての客も来て超満員必至である。慌てて支度して家を出たものの、何しろトリが喬太郎、列に並んだ時には既に「立ち見間違いなし」という位置で開場を待つことになった。

入場して客席最後方の壁際に陣取って立ち見。開演後もどんどん客は入ってきて、立ち見のキャパも限界を超え、補助席脇の通路にもぎっしり座っている。演者が交代するたびに「立ち見のお客様、もう少しずつツメてください!」と必死に懇願する前座の古今亭志ん坊(現・志ん吉)。僕の位置は高座は見やすいが、かなり辛い体勢だ。入れ替えなしだが、この状態で夜までいることは到底不可能。喬太郎師の出番が終わったら退出して、映画『歓喜の歌』を観に行こう、ということに決めた。

午後12時15分開演。志ん坊『元犬』、大空遊平・かほり(漫才)、柳家喬之進(現・小傳次)『仏馬』、柳家喬之助『子ほめ』、入船亭扇治『割引寄席』、ひびきわたる(キセル漫談)、五明楼玉の輔『マキシム・ド・のん兵衛』、橘家圓十郎『宮戸川』、ペペ桜井(ギター漫談)、柳家さん生『うどんや』の後、節分の「豆まき」の儀式が行なわれてから仲入りに。ここで遂に最前列の前にまで客が座ることになり、「入り口付近に客が大勢いて扉が閉まらない」状態に。

そして登場した文左衛門が演じた『千早ふる』、これが最高にハジケまくっていて、超満員の場内を揺さぶる勢いで爆笑させた。「シンナー?」「百姓一揆? ダメだよ、はりつけ獄門だよ」「百人組手? お前の娘、極真?」「オダギリジョーと小田原丈くらい違う」「飛んでる鳥がバタバタ落ちる」「歌の『へそ』? 31文字だから…『が』?」「UFJ……歌武蔵二人居ると邪魔」等々、文左衛門ならではのフレーズが矢継ぎ早に飛び出す。「三味線で♪上下で~とか歌っちゃうんだよ!」は懐かしの太田家元九郎(津軽三味線)のこと。「今日はやりたい放題だな」「40日間、鈴本でよそ行きの落語演ってたけど、やっとホームグラウンドに帰ってきたからな!」「いいだろ、こんなに汗かいて演ってるんだから! 酒臭い汗だよ!」なんて台詞も飛び出す。

乞食になった千早が現れ、「いい気になって偉そうに『イヤでありんす』とか言って振った、沢尻エリカみたいな女なんだよ! この沢尻にお前はオカラをやるか!?」「そう言われたらやりたくないな」となんてやり取りもあり、井戸に落ちて死んだと聞いて「井戸から化けて出たりしないの? 明日は休みなんだよとか言わないの?」と『お菊の皿』も絡ませた後、「とはって何? 千早の本名ってのは無しだよ!」と、サゲを封じてしまう。

「とわーっ!って投げた、ってのは?」「ダメだよ、さっき『エイッ』って投げてたもん」「じゃあねぇ……」「ねえ、とはってナンなの!?」「よっく考えてもわからないから、あとは喬太郎に任せよう」でサゲ。大爆笑を背に高座を後にする文左衛門。続いて高座に上がった左龍は「すみませんねぇ、やりたい放題の高座で。悪い人じゃないんですけど」と言いながら文左衛門のエピソードを物真似を交えて再現して笑わせていると、下着姿の文左衛門が乱入する一幕も。

左龍が『初天神』を演じた後、漫才の笑組が「喬太郎師匠は『とは』の意味をどう説明するんでしょう? 十朱幸代とか十和田湖は駄目ですよね」と言及。そしてトリの喬太郎へ。場内の盛り上がりは尋常ではなく、喬太郎は「引退興行みたいな盛り上がりをありがとう」などと言いながら、高座のすぐ下にも客が座っているのを見て座布団ごと一番前まで移動し、「もうこのノリは打ち上げでしょ?」と舞台に腰掛けて「皆で飲まない?」などとふざけてみせる。

「噺家がもらう仕事にはいろんなものがあって……」と、屋形船での余興の大変さをひとしきり語るマクラは『一日署長』の定番。墨田警察の一日署長としてアイドルがやって来ている中で屋形船ジャックが起こるという噺で、寄席のトリでこれを演じる喬太郎はその日の出演者を噺の中に登場させ、その出演者が高座に掛けた落語にちなんだサゲを即興でこしらえる。「才人」喬太郎にしか出来ない作品だ。

アイドルの山内エリコが持ち歌の「東京ホテトル音頭」「大江戸ホテトル小唄」を歌いまくって盛り上がっていると、「屋形船をジャックしたヤツがいる」との一報が入る。船頭の徳さんを人質にシージャックしたのは橘家文左衛門! もちろん犯人の要求はこれだ「知りたいことがあるんだよ! 『とは』って何だ!?」

犯人説得に現われたのは鈴々舎馬風! さしもの文左衛門も「ヤベェ、会長が出てきた」と一瞬ひるむが、よく見るとそれは柳亭左龍が物真似していただけだった。次に説得に登場したのは柳家喬太郎。「兄さん、何でこんなことを!?」「仕方ねぇだろ! すっかり忘れてたのに、笑組が押すから! 本当は、雪だから『按摩の炬燵』演ろうと思って来たのに!」

犯人の文左衛門が叫ぶ。「教えてくれよ! 十朱幸代とか十和田湖ってのは駄目だぞ!」
「何でだよ! 兄さんずっと『千早ふる』オハコにしてたじゃないか! 意味を知らずに演ってたのかい?」
「そうだよ! 20年も演ってたけど『とは』の意味を知らなかったんだよ! 教えてくれ!」
「兄さんはいつもどうしてそう勝手なんだよ! 兄さんの凶悪さは『ウルトラマンA』のヤプール人と同じだ!」

ヤプールとは宇宙怪獣を合成・改造した超獣を次々に地球に送り込む悪役だ。

「兄さんには、ヤプールの血が流れてるんだ! 俺は知ってるよ! 仕事よこせって協会の事務員の田川さんを脅して、もらった仕事がレナウンの水着を着てプールに女の子達と一緒に入るっていうイベントだってわかったら、すっぽかしただろ! あれ、代わりに花緑兄さんが行ったんだぞ! その後、田川さんを神谷バーに誘って『落語の仕事だけくれ』って言ったら、田川さん、席を立って帰っちゃっただろ! だから『血はヤプール』なんだよ!」
「え、えええっ!? これ、ひょっとして歌のわけ?」
「そうさ! まず、『血はヤプール』。神谷バーで田川さんは要求を聞かずに席を立ったから『神谷も聞かず立つ田川』!」
「あれ、『立つ田川』なのか!?」

おおーっ!と感嘆のどよめきと大きな拍手が爆笑と共に場内に湧き起こる。そして噺の中の喬太郎は続ける。

「花緑兄さんがレナウン水着を着て水に入ったから『花緑レナウンで水くぐるとは』だよ!」

なんと凄い展開だろう。

「でも『とは』の意味は何なんだよ!」
「それは……」

言葉に詰まる喬太郎。そこで立ち上がったのが一日署長のエリコだ。「私が行きます! 私、署長ですから!」と言って、エリコは文左衛門に呼びかける。

「橘家さん!」
「上で呼ぶな!」
「私が人質になります! だから船頭さんを解放してください!」
「わかった。徳さん、降りな」

屋形船では文左衛門とエリコが二人きり。人質となったエリコに謎かけを挑む文左衛門。「お前ら、そんな余興の仕事したことねえだろ」 ところがエリコは見事に応じ、文左衛門を驚かせる。

やがて、エリコが文左衛門に囁く。「私は『とは』の意味を知ってるわ」
「本当か!?」

エリコが文左衛門にそれを教えようとした瞬間、警官隊が突入!

「私は『とは』の意味はあなただけに教えたい。一緒に逃げるわよ!」

二人は手に手を取って隅田川に飛び込み、そのまま行方不明に。喬太郎が「『とはの謎』の一席でした」とサゲると、場内から割れんばかりの拍手が湧き起こる。

「凄いものを観た……」 これぞ寄席、これぞ喬太郎。僕は大いなる満足感と共に池袋演芸場を後にした。雪はもうほとんど雨に変わろうとしていた。■

『21世紀落語史』番外編「思い出の名高座」、いずれまた別の名演について書いてみたい。


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