乾燥、強風、豪雪……なぜ可憐な高山植物は過酷な環境でも生きられるのか?|工藤岳
本文公開!(第1章冒頭部分)
生物の類似性と多様性
高山植物と聞いて思い浮かぶのは、どんな感じのものだろう。草だか木だか分からないような地表を這う植物、細かい葉っぱが密生して地面にへばりついたような植物、それでいて花だけは鮮やかできれいな植物。こんなイメージは、私たちが普段目にする植物と比較して無意識のうちに作り上げたものだ。雲の上の別世界にいる特別な植物、みたいな。特殊な環境にいる生物群集は、似たような特徴を持った種が集まってできていることが多い。
例えば、熱帯雨林にはとても背の高い樹木がひしめいているし、砂漠ではサボテンのように針みたいに細い葉を持った植物や一年草が一般的だ。洞穴や深海に棲む生物は、目が退化していて色彩に乏しいものが多い。外観が似ているのは、生物がそれぞれの環境で有利になる性質を進化させてきたからだ。花がない時期に高山植物を見ると、似たような形をしているものが多くて種の区別が難しい。厳しい山岳環境で生き延びるのに有利な性質にはいくつかの共通点があって、それぞれの種がある特定の方向へと進化を続けてきた結果だ。
でも花の時期に高山植物を見ると、種の違いは一目瞭然。それだけ高山植物の花はインパクトが強い。全体がコンパクトである分、花が強調されて見えるという一面もある。例えばイワウメという植物は、ひとつひとつの葉っぱはわずか数ミリで米粒みたいに小さくて、それがぎっしりと密生して地面にへばりついている(図表1‐1)。
おにぎりを平たく潰したみたいで、なんだかコケのようにも見える。高さはわずか1センチにも満たないので、とても低木だとは思えない。夏至が近づいた初夏の頃、コケみたいな塊からにょきにょきと花茎が伸びて真白い花が咲き出すと、潰れたおにぎりは突如高嶺の花に変身する。
盛夏の頃、稜線の岩場で風に揺れるイワギキョウの紫色の花は涼しげで、遠目からでもよく目立つ。だけど花のない時期に葉っぱだけで見つけ出すのは結構難しい。高山植物の女王と呼ばれるコマクサは、白粉をまぶしたパセリのような特徴的な葉っぱを持っている。そこからピンク色に反り返った花をすくっと立ち上げる姿は気品に溢れ、〝女王〟の名にふさわしい(図表1‐2)。
ほとんどの登山者はこうして花に注目して高山植物を探す。多様な色彩、模様、形に気をとられ、葉っぱや全体の形まで見ることはまれだ。花を見て体を見ず。それだけ高山植物の花は魅力的だ。
花の色や形が種間で異なるのは、子孫を残すための進化の産物に他ならない。それぞれが似たような花を咲かせると、同じ昆虫が異なる種類の花を行き来するようになり、種間交雑が起こりやすくなる。その結果、正常な種子を作れなくなる。昆虫は、色、形、匂いなどそれぞれの種に特徴的な性質(探索イメージ)を手がかりに花から花へ散策する。花粉を運ぶ昆虫たちに同じ種の花を訪れてもらうには、それぞれの種が個性的な花を作るほうが有利になる。だから虫媒花の性質は、種間で異なる方向に多様な進化が進む。高山帯の花の季節は短いので、いろいろな高山植物が一斉に咲く。その結果、鮮やかなお花畑ができるというわけだ。これについては、第2章で詳しく説明しよう。
未来に生命をつなぐ自己増殖は生物が背負ってきた宿命であり、それをよりうまくできるように生物はそれぞれの場所で進化を続けてきた。その結果、地球上のさまざまな地域に多様な生物が存在している。そんな生物進化の原理に最初に気づいたのがチャールズ・ダーウィンで、今からほんの150年ほど前のこと。ダーウィンの進化論は今でも生物進化や生態学の基本定理であり、多くの研究者がさまざまなアプローチからその検証に取り組んでいる。生物はそれぞれの生育環境に特有の淘汰圧、すなわち自然選択圧に対して生存と繁殖を有利にするような方向へ絶えず進化する。もちろん高山植物だって例外ではない。だから高山生態系に作用する自然選択圧を理解することで、高山植物の類似性と多様性を理解できるに違いない。どうやって生き延びるのか、そしてどうやって子孫を残していくのか。それを探るのが生態学という学問だ。山の上での酔狂な研究だって、ちゃんと意味がある(と、自分には言い聞かせている)。
小さいことはいいことだ
高山環境で生き延びるために有利なのは、どんな形態だろうか。どの高山植物にも共通しているのは背丈が低いこと。「木ってどんな形?」と尋ねられると、空に向かって伸びた幹から太い枝が分かれ、その枝からさらに細い枝が分かれ、その先に葉がついている形状をイメージするだろう。でも高山植物の場合、木本植物(幹が木化して年輪ができる植物)であっても、幹がすくっと立ち上がって伸びるものはほとんどいない。幹は地表を這い、そこからちょっとだけ枝を立ち上げて葉を密生させたり、場合によっては枝さえも地表を這って、葉っぱが直接地面を覆ったりするような構造を持った植物も多い。だから一見すると、私たちが普段イメージする木とは似ても似つかない形状となる(図表1‐3)。木を倒して上からぎゅっと押しつけたような感じだ。
高山植物の背丈が低いのは、高山環境が厳しいからに他ならない。標高が100メートル増すごとに、気温は約0・55度低くなる。3000メートルの高嶺では、平地に比べて約16度も気温が低い。秋から翌春まで、氷点下の状態が半年以上続き、土壌は完全に凍結する。土が凍っていると根から水分を吸えないので、植物は成長を止めるしかない。だから、土壌が凍らない時期が生育期間となる。単純に計算すると、持続的に平均気温がプラスとなる期間だ。北海道の大雪山では5月末から9月末までの4か月ほど。1年のうちたった3分の1しかない。このような環境では、樹木が巨体を維持することは到底できない。
森林限界は森がなくなる標高で、それでもその上部にはぽつりぽつりと木が生えている。ダケカンバ、オオシラビソ、アカエゾマツといった木だ。そんな生育限界に生えている木は、どれも極端に小さく(矮小化)て、幹が折れ曲がり、枝がそろって一方向に伸びた異様な形をしている。高く伸びるはずの樹木が、本来の形態を維持できなくなるのが森林限界だ。
そんな形態になってしまうのは、風が強いためだ。日本の山岳地域は世界有数の強風域で、冬の間はシベリアからの北西風が吹き荒れる。強い風と吹き飛ばされる氷雪にたたかれ、高い幹はへし折られ、枝は風下側にしか伸びることができない。だから、高山帯に生えている木は、南東側だけに枝を伸ばした旗のような樹形をしたものが多い(図表1‐4)。
日本は世界有数の豪雪地域でもある。日本海の湿った空気は雪雲となり、山にぶつかって大量の雪を降らす。風上側にあたる北西斜面の雪は強風で吹き飛ばされ、風下側の南東斜面に堆積する。場所によっては積雪深が20メートルを超える。ものすごい雪圧によって木は押し潰され、矮小化する。つまり、高く伸びることは高山帯では不可能で、そのため森が途絶える。そして背の低い高山植物が取って代わることになる。その植生変化は劇的だ。ある標高にすっと線を引いたように、森林帯から高山帯へ変化する。
そもそも植物が高くなるのは、日光をたくさん浴びて光合成を行うためだ。他の植物より高くなって、明るいところで葉を広げれば、より急速に成長できる。植物は光を求めて競争し、木は高くなる。でも厳しい高山環境では、背丈を高くすると生きていけない。強風によって倒されてしまうからだ。むしろ、背丈が低いほうが生きるうえで有利となる。地表付近は太陽で暖められるので、寒冷な山岳地でも比較的暖かな環境で生育できる。地表付近は風も弱いので、枝が吹き飛ばされることも少ない。さらに、背が低いほうが雪に埋もれやすいので、極寒から保護されやすい。だから高山帯では、草も木もみんな地表付近に葉っぱを広げる平面的な世界となる。まわりに高い植物がいないので、背が低くても十分に日光を浴びることができる。小さいことはいいことだらけだ。
このほかにも、"高嶺の花" の気になる秘密が盛りだくさん! 引き続き、写真と図表が満載となっています。つづきはぜひ、書籍にてお楽しみください。
目次
はじめに
第1章:高山植物という生き方
第2章:高嶺の花はなぜ美しい
第3章:お花畑ができる仕組み
第4章:高山植物のたどった道
第5章:消えゆくお花畑
おわりに
より詳しい目次はこちらをどうぞ!
著者プロフィール
工藤岳(くどうがく)
1962 年東京生まれ。東京農工大学農学部林学科卒業、北海道大学大学院環境科学研究科博士課程修了。博士(環境科学)。現在、北海道大学大学院地球環境科学研究院准教授。大学院生の時から 30 年以上、高山植物について研究を続けている。これまでの著書に『高山植物の自然史』(編著、北海道大学図書刊行会)、『大雪山のお花畑が語ること』(京都大学学術出版会)、『生物学者、地球を行く』(小林真とともに責任編集、文一総合出版)などがある。